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酢豚のパイナップル

 知り合ったばかりで話すこともない時、誰かが嫌いな食べ物は何か、という下らないお題を投下する時がある。お互いの嫌いな食べ物を知っていることは大事なのかもしれない。仲良くなった頃にいざ夕食に誘うとなったらどのお店を予約すればいいか考えなければならないから。しかし、知り合ったばかりでこれから仲が深まるかもわからない人の嫌いな食べ物なんて覚えていられるだろうか。
 それはさておき、この嫌いな食べ物が何かという答えとして酢豚のパイナップルという答えが出ることがある。正直、この回答はなんの得も生まれない。回答がトマトや魚、グレープフルーツといったものであれば、こちらもそういった料理は出さないように気をつけようと思う。しかし、酢豚のパイナップルは別だ。もし酢豚のパイナップルが嫌いな人がいてもパイナップルの入った酢豚を注文するだろう。なぜなら、酢豚のパイナップルが嫌いな人はパイナップルが酢豚の中にあるのが嫌だからだ。
 パイナップルを嫌いな人が嫌いという理由は大体一緒。主菜の中にフルーツが入っているのはおかしいから。彼らにとってパイナップルはフルーツでありデザート、主菜と混ざり合うことはない。パイナップルとお米が混ざり合うことなどありえない。だから嫌いなのだ。しかし、先ほども述べたとおり、もし酢豚にパイナップルが入っているのが嫌いな人がいるとしても、中華料理屋で酢豚を頼んでも大丈夫。別に豚肉などにはパイナップルの風味があるわけではないから嫌いな人はパイナップルを避けて食べればいいし、好きな人は食べればいい。
 問題なのはその思想なのだ。パイナップルはデザートだから主菜にはなれない。ほんとにそうなのだろうか。私はこういった人間の生活でいつの間にかできてしまった枠組みに縛られて考えるのは好きではない。パイナップルがフルーツに分類される理由はパイナップルが植物からできる実で生で食べられる上、熟すと甘く、もしくは甘酸っぱくなるから。それは食後の料理として出されるからではないし、主菜として出されないものだからではない。私たちが生活する中で、食後のデザートとして多く利用をしてきてしまったせいで、固定概念としてパイナップルを間違えて認識してしまっている。サラダにリンゴのスライスがあっても抵抗感はないし、唐揚げにレモンを絞る。食事中にパイナップルジュースは飲める。それなのに酢豚にパイナップルは入れない。

 私たちは既存の思考に縛られている。これは人の創作を妨げる。しかし、縛られているからこそ、その壁を乗り越えた表現に成功したり、目の当たりにしたりすると私たちは興奮したり、喜びを覚えたりする。

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