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移りゆく季節にファッション流れる

 昨日、一昨日は暖かくなり、ついに春が来たかと喜びの声をあげるが、その声には、目が腫れ始め、鼻を啜る日々を過ごすのかというため息混じっている。
 この調子で今日も暖かいのだろうとアウターを脱いで外に出てみたら、そういう日に限って寒い。まだ冬ではないか。この失態を踏まえて明日はアウターを着て電車に乗るのだろう。しかし、その私の頬には水滴がたらりと一粒。そんな未来が見えてくる。
 こんな日常を送っていると季節というものが切り替わるではなく、移り変わると表現されるの理由を身に染みて感じる。
 季節は四つに分けられて考えられているが、季節はグラデーション。四つに綺麗に分割できるほど簡単なものではない。それなのにどうして四つに分けようとするのだ。日本だけじゃない、異国でもwinter、autumn、summer、springとまだ交流をしていないはるか昔から、私たちの知らないどこかで口裏を合わせていたかのように。
 ファッションにおいても、四つに分けられる。ウィンターコレクションだのサマーコレクションだの。この4種類の分け方はファッション業界では、盛り上がりを年に四回も作れるから、一年中暇がなく経済を回せるのだろう。しかし、私たち自身、服を着る者をしてはこれは規制になる。冬のコレクションにはTシャツは出ない。夏のコレクションにはダウンは並ばない。別に着てはいけないわけではないのに、着るとどうも息苦しさを感じる。
 私たちはアウターを脱ぐのはいつかいつかと周りに目を張り巡らせている。もう数ヶ月すれば、Tシャツを着るのはいつかいつかと首を一周回すことになる。

 ただでさえ私は今ニットを見に纏うことを制限されている。私は季節の前に花粉と格闘しなければならない。

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