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【3日目】ASD診断結果と降って湧いたもう一つの診断「PTSD」

【3日目】

初回診察から約2ヶ月後の12月1日、1回目の担当医師からの診断結果を聞く日が来ました。

前回と同じ診察室から、予約時間ぴったりに入室を促すアナウンスが流れて入室。

一度目の問診と同じ先生と、1日目のあと、2日目の検査のあと、今日までに何かありましたか?どうですか?と聞かれ、約2ヶ月間にあった私の中の変化や検査の感想を話しました。

数分のやりとりの後、本題である発達障害についてに、話題が移ります。
先日の心理検査のデータらしきものが映し出されたPCディスプレイを見せて貰いながら、おもむろに告げられた言葉は「やはりASD、アスペルガー症候群ということでよろしいかと思われます」でした。

私は何故か、とっさに返事出来ませんでした。一度目にほぼ確定と言われたようなものだったので、特にショックでもないはず。そう思っていたのに、「はい」とも「えっ」とも反応出来ず、画面を見ていました。

一拍の間のあと、先生から「大丈夫ですか」と声がかかり、今度は「はい」と答えられました。頭の中ではようやく、「そっか」「あー・・・そうか・・・」「そうだったか」の順番で、脳に染み込んできて、やっと現実感が湧いた記憶があります。

つづいて、簡単に知能検査の結果を説明です。

「結果の数値が高いか低いかにはそれほど意味がなく、各項目の点数にどれだけばらつきがあるのかを見るのが目的なので、学校のテストのように得点自体は気にしないでください」「この検査は、ミナキさん(仮)の得意なこと不得意なことを知り、どう補っていけば生活しやすくなるかを考えるものだと思ってください」との前置きがありました。

私の検査結果は、以下の通りです。

  • 全検査IQ【94】

  • 言語理解(VCI)【110】

  • 知覚推理(PRI)【93】

  • ワーキングメモリー(WMI)【85】

  • 処理速度(PSI)【87】

知能的には平均の下のあたりですが、標準内。
言語理解が平均の上で、あとは平均下位で横ばい。

注視する部分は一番高い言語理解と、低いワーキングメモリー&処理速度との差がそれぞれ【VCI-WMI=25】【VCI-PSI=23】の点。

定型発達の人(発達障害のない人)は、この差が全部15以内に収まるそうです。各項目の下位検査結果を折れ線グラフにすると、顕著にカクカクしていました。

定型発達の人は、多少の高低差があっても、フラットに近いらしい。

この高低差、よく言われる凸凹が大きいと、発達障害が疑われるとのこと。

全体的に得手不得手がはっきりしており、特に数的処理や書き写し、視空間認知に苦手な傾向が強く出ていて、単純な作業速度も遅い特徴が見られ、苦手なことを他の能力で代替するのは難しいだろう、と書かれていました。(おそらく心理士さんの見解)

ワーキングメモリーが低いこともショックでしたが、割と自覚はあったので、「やっぱりな」程度でしたが、意外にも処理速度が低いことに注視されていたのがショックでした。
(のちに「そうだな、確かに不器用だわ、私」と納得しましたが)

もうひとつ受けたAQの結果は、【41】でした。

よく自閉スペクトラム症は、ASDとADHDが合併しているパターンが多いそうですが、私はほぼADHDの傾向が見られず、ASD傾向が強めとのこと。
担当の医師も心理士さんも、実際相対した印象は同見解で、ADHDの面は、あったとしても極弱いだろうと。

よって、初回の問診内容(生育歴、子供の頃の興味や行動、好きだった遊びや、学校生活、両親との関係、社会に出てからを含む困りごと等など)と心理検査結果を総合し、改めてはっきりと、私ミナキは「ASD、アスペルガー症候群である」と確定診断を受けました。

この瞬間、2023年12月初日。【ASDのミナキ】が爆誕したわけです。

ショックと安堵が、どっと押し寄せてきました。
自分で診断を望み、結果を得たのですから、受け入れる他ありません。

複雑な感情がぐるぐると渦巻いている中、ADHDであれば薬があると聞きかじった知識があったけど、ASDは治療出来ないっていうもんな・・・などと思考を巡らせていると、先生が「今後のことなのですが」と切り出されました。

今後?となっている私に、ちょっと神妙な表情で先生は「ASDには幼少期、成長期のPTSDが強く関係している可能性が高いです。カウンセリング治療を受けませんか」と言いました。

(なんて?)(へ?なにそれ)

ただでさえ飽和状態であった私の脳は、ここでオーバーフロー。停止状態。

「複雑性PTSDというのはご存知ですか」

ええ、ニュースでたまに聞きますので、単語としては知っていますが、それと私が繋がらない。
でも先生は確信を持った目でした。

実は冒頭、ASDの診断へ入る前のやり取りの際、少し(いやかなり)困ったことになっている、私の現状変化を報告していました。

何が起こっていたのか?

それは、ずっとほぼ記憶がなかった【主に小学三年生以前】のことを、問診で誘導されていくうちに思い出したことによる弊害です。

連日連夜、時間も場所ものべつ幕なし、所構わず、昨日あった、いや数分前にあったかのような鮮明さで過去が蘇り出したのです。

一度その状態になってしまうと、もはや自力でコントロール出来ず、頭も心も身体もすべて時間を越えて、当時に戻って、目の前に父や母がいる、大きな声が耳をつんざく、頬がじんじん熱く痛む、なんだこれ、夢なの、妄想なの、と大混乱に陥る。

天災めいた状態に襲われ、気がついたら数分から数十分経っていて、泣いた酷い有り様の中年女が茫然自失している。

これが大きな問題になってしまい、かなり消耗していること、何がどうなってこんなことになっているのかわからない、と、先生に伝えました。

この時、声が震え、涙が止まらなくなっていた私を見ても、先生は驚きもせず、話をずっと頷きながら聞き、「頭の中で鍵のかかる部屋を作ってみてください。その中は安全です。部屋に入って、内側から鍵を閉めるイメージ、できそうですか?怖くなったら、その部屋に入って、鍵をかけてみる、そうすれば、安全です、出来ますか?」と、穏やかに言ったのです。

「現実感がなくなって、どこにいるのか分からなくなったら、手近な机でも窓でも壁でも、しっかりと触れる冷たいものに触れてください。自分がどこにいるのか、思い出せるように」

促されながら、診察室の机に触れました。冷たかったし、硬かった。
診察室だな、ここは、と思い出し、そうだこんなところで泣いてるのはおかしい、私は発達障害の診断を聞きに来たんだと、じわじわ思い出して、なんとか落ち着くことが出来ました。

冒頭にこのやりとりが、あったのです。

先生は反応の薄い私に(脳内オーバーフローで)、もう一度言いました。

「カウンセリングをとりあえず一度受けませんか?」

私はキャパオーバーで、反射的に「はい、わかりました」と答えました。


つづく。

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