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介護戦士【父の最期で母は・・・】
夜明け前、枕元に置いていた携帯の着信音が鳴り飛び起きた。
父が危篤になって3日目だ。
私は急いで母を起こし、身支度を早々に済ませ何とか間に合いたい一心で車を走らせ病院へ向かった。
病院に到着後、ゆっくりしか歩けない母を車いすに乗せ、少し後に到着した兄と一緒に父がいる病室に走った。
病室に入り、母を父の顔の近くに連れていき、向かいにいた兄が父の体に触れ「お父さん!」と呼んだが、隣にいた看護師から
「もう…お亡くなりになっています。」と告げられた。
「間に合わなかった・・・。」
私と兄は肩を落とし、今まで経験したことのない悲しみで、堪えても堪えても止まらない涙を拭っていた。
ふと落胆しすぎてないかと隣の母を見ると、涙すら流さずじーーーっと父の顔を覗き込んでいる。
そんな母を見て私は「きっと悲しみが深すぎて、涙すら出ないのだろう。」と思い、更に涙が止まらなくなった。
どれくらい時間が経ったのか。
私の隣にいたはずの母がいないことに気付き後ろを振り向いた。
するとそこには椅子に座ってこっくりこっくりしている母が!!
「こ、こ、こんな時に寝るんかーーーーいっ!!!」
ハリセンがあったらパコーーーンと叩いてつっこみたかった。
父は喫煙愛好家だった為、COPD(慢性閉塞性肺疾患)を患い元々気管支が弱く、その上骨髄腫ステージ4だった。
自宅療養中にコロナウイルスに感染し闘う免疫力もなく間質性肺炎を起こしてしまったのだ。
緊急入院した2日後に少し楽になったと父からLINEが送られてきたが、それが父からの最後の言葉になった。
父が危篤になって1日目も2日目も隔離病棟だったが医師の計らいで15分間だけ面会が許された。
母は父が危篤だという状況は分かっているはずなのに、1日目も2日目も面会に行く途中「アイスクリーム食べたいから途中で買って。」と言い、行きも帰りもアイスモナカのクズで私の車内を大いに汚しまくってくれた。
「この2日間で4つもアイスを食べてるやんかーーーいっ!!!」
この時点で何故ハリセンを用意しておかなかったのかと悔やまれる。。。
*
医師の死亡確認が終わり、私たちは病院の家族控え室に案内され、葬儀屋に連絡をとったりと慌ただしい中、医師が来るのを待っていた。
すると母が今度は
「便がしたい。」と言い出した。
「今かーーーいっ!!!」
普段下剤を飲まないと出ないくらい便秘なのに、まったくこんな時にしたくなるなんて何ミラクル起こしてんのよ!!
そんな事を思っても漏らされては困るし、病院のトイレを汚してはいけないので、あとは兄夫婦に任せて急いで実家へ連れて帰ることにした。
車に乗ると便意が少し落ち着いたのか、母が話し出した。
母「今日の面会は15分より少し長かったね〜。」
私「もう面会じゃなかったからね。」
母「お父さん死んだ人みたいな顔になってたね。」
・・・
「分かってなかったんかーーーいっ!!!」
電車がどこまでも続くなら、キミコ伝説もどこまでも続くであろう。。。
つづく。
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