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社会変革とNVC

CNVCトレーナー ロキシー・マニングの8回講座の終わり
自分の体験記

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7月から8回で行われた CNVCトレーナー ロキシー・マニングが行う、社会変革のクラスがクローズした。

私は、ロキシーの講座を毎年受講している。
数多くのトレーナーがいる中、私がロキシーのファンである理由。

NVCを実践し、私の生き方の一部としてNVCを採用しようとした時に、自分がとっても大事にできる感覚を持てること。自分が自分にエンパワーできること。

いのちが引き込まれ、活性し生き生きする感覚がある。

そして、ロキシーのクラスやMikiのクラスで顔馴染みになる仲間と会話できることで、そこにもエンパワーされている自分を感じていた。
自分にとって必要なことがやってきて、起きる。クラスが展開されること。

私のいのちがどんなニーズを持っているのか、そしてそのニーズを体現する自分でありたいと思った時、自分には持ち備えていなかった視点に出会っていくことに引き込まれる。

知識としてだけではなく、クラスの中で仲間同士が体験する。
自分のアイディンティティが持っている 変えることができない自分のベースライン。
それが何か、それが故に持っている信念にも触れていく。
そこから立ち上がるエッジ(抵抗や壁)。

それらを、一人一人が少人数でスピークアウトしていくことで、気づきや発見が自分の中に新たな視点となる。
響きあわせるのだ。

そして、ただそうであると一緒に観察し、承認することで固く閉ざしたものを紐解いていく。
社会にどのように自分を存在させ、つながりや思いやりを持ち込み、その質を相互に感じていくことができるのかをいつも考える。

私の特性的に、考えるよりは身体の感覚として 私に教えてくれていることを受け止め、そこに言語をつけていく感覚だ。
自分が触れてきた「言葉」や「表現」は、偏っていること。
でもそれが今まで全部を持ち込んだ精一杯の表現方法であり、必死なニーズの現れであること。

いろんな視点に触れることで、いい悪いの罪悪感ではない、新しいステップに進んでいくその質感と場のあり方に引き込まれる。

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毎回問いがあり、ブレイクアウトで語り、受け止めあい、感じ、響かせる。
その問いからいくつもの気づきがある。
公民権運動の活動家についてや、自分達が活動家のその人になって言葉を発して、得る体感覚。
今ここで必要なものは何か。その体験こそが自分の肥やしになる。

この仕事をすることで、どのようなニーズに応えたいと考えていますか?
どのようなシステム的なニーズに応えていますか?
あなたはどのような個人的なニーズに応えていますか?

ニーズ
存在の承認、あたたかさや温もりのある関係性、安心、貢献、聞かれること、ただそうであることを大事に子供たちの世代に引き継がれる確かなものにつながる。ただ「善」に向かうニーズがあります。

日本の中に埋まっている、無意識な不平等について。
女性の子育てや家事、受け身であることに女性自身が加担していることに気づいていないことに、何かしずくが落とせたらとも思う。そこに意識が向きます。

東日本大震災の影響を受けている地域に、何があり、何にスタック(固まって)いるのか その必要なスペースと、そうであることを大事にしできるだろうか。
もしくは 生きるエネルギーをどのように感じていて、進もうとしているのか。
そレをしようとする時、どんなエッジ(抵抗や反応)が呼び覚まされ、苦しいのか。

私は(私たちは)どうなりたいのか。どうしたいのか。
声にすることができない、声にならない、怖さやニーズが存在すること。
敵ではなく、思いやりを持って触れていくことにダイビングしてみると、幾つもの開いた感覚に出会う。

未来につながる、希望の下に決断や選択ができることに開いていくために必要なものはなんだろう。
私なりの支援活動ができたらいいなと。

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自分のベースラインにある「深い嘆き」に支配されるときへの畏れ。
自分の周りの全てが怖いものに変化する体験をしました。
コロナになり、体力やエネルギーが消耗した時に、そうなった。
自分のエネルギーを感じるワークを今までも沢山してきたけれど、エネルギーがない状態にはまってしまうと、エネルギーを感じたり、養うことすらできなくなってしまって、怖さや無力感だけが立ってしまう体験をしました。

そして、家族が体調が悪くなっていく時に「この子たちを守れるのは、自分しかいないかも」と思った時は必死だったけど、本当に孤独で辛かったし、このまま生きていくのが怖くなるくらい無力感を感じたのだと、承認し、認めてあげて自分をケアしました。

たくさん知識として学習してきても、実際に理想のようにはならず、スムーズにはいかないんだなって体験をしたこと。

もしかして、この状態で苦しい思いをしている人は沢山いるかもしれないと気づけたこと、

生きるエネルギーが今、感じられているかいないかでは同じ出来事一つでも感じ方に大きな差があること。

「支援」されるになると、パワーを失っていくこと。

(保健所から届いたダンボールの日用品や備蓄食料はとってもありがたかったけど、物の支援だけでは孤独を感じたし孤立する気持ちになったこと)
どのように関わることで、お互いにエンパワーしていくことに開いていけるのかの視点。

自分の真実につながって声に出させる状態って、エネルギーが必要。
そこできっと私の声があるんだよねって気づいていた。

友達に、IFSのワークを行ってもらい 自分の声に触れていくことができた。
そして、十分に今ここの私の状態を受け止めてあげることができました。
今は回復し、身体とっても軽くなりました。

どれほどエネルギーが大切で、自分のエネルギーと共に生きているかを体験した。

この体験はいろんな立場や視点を大事にしたい時に、片方の視点ではなく相手を理解したいと思った時に、重要な体験と視点になると思っています。
貴重な体験と、そして共に存在を感じさせてくれた仲間がいたこと。
自分は一人じゃないって思えています。
どうもありがとう。

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