社会に適応する気はもうない

みんなどのくらい気づいているのか知らんけど。今までとは比較にならないほど切迫した事実として『世の中終わって』ます。





この世というのはね、
生まれてきたら、小学校に通って中学校に通って高校に通って(人によっては大学に通って)卒業したら就職するものなの。
それが人生なの。




────という世の中は、
もうすぐ消えて無くなります。






そうしたことを唱える人もだいぶ増えてきた半面、多くの人はまだ、いままでの世の中が続いてゆく前提で行動しているのではないかな??







理論で他人を説得するのとは
別の次元で。
わたし自身はもう、
社会に適応するための行動をすることが、
できなくなりました。
なぜなら、
この社会は消えて無くなるからです。








他人を説得することに時間を割く気はないのだが。ほかならぬわたし自身にとって、この世はもう終わってしまっているので、終わってしまった世の中『に自分自身を適応させる』ための行動など、いまさら取れるはずもなく。





今年:2022年は
誰にとっても、
じつに大きな変化・変容が
起こった年だったと思うけど。







具体的に言うとね、
あたしはYouTubeで歌を歌っているんだけどね。
2022年1月1日時点では、
『歌で成功したい』とか
『歌い手として有名になりたい』とかの
よくある願望が、
あたしにもたしかにあったと思うの。






いまは無い。






2022年の1年間で、
こうした願望は
消し飛んだ。










ここでひとつ、
すごく大事なことを付け加えると。








これはね、
『歌うことに飽きた』とか
『どうせ売れるわけがない』とかとは、別の話。
まったく別の事象なのですよ。






いまでも、
毎日欠かさず自分の歌声聴いてます。
何なら、いまこの瞬間だって、自分の歌声を聴きながら、この原稿を書いています。






あたしはあたしの歌声が
世界一好き💖💖💖





あたしが世界でいちばん好きなアーティストは、迷うことなく板谷ミミィちゃん一択です💕💕💕






そこの部分は揺るがないんだよ。
そこじゃなくて、
そんな素晴らしい板谷ミミィちゃんを
『世の中のみんなに知らせたい!!』
という部分が消失したのです。







なぜ?
いまの世の中は
まもなく消えて無くなるから。






別の角度から説明すると、
YouTubeのアカウントを取得する権利や
YouTubeを使って自分自身の放送局を持つ権利は、
有名無名を問わず
(金持ち貧乏人を問わず)
誰にでも保証されていて、
現に、わたしもその恩恵に預かっている。
『それでじゅうぶんでは??』





いわゆる陰謀論方面の放送に関して、
YouTubeは検閲が激しいことで有名。
いわゆる言論の自由なんて、
もはや存在しないに等しいとかなんとか。




それに比べたら、
単にカラオケ動画を上げてるだけなら
規制なんてほとんど無いに等しく、
単に自分の歌声をアップしているだけなら
作詞作曲に関する著作権を理由にBANされることはありません。
つまりわたしがアップロードした動画は、
YouTube(Google社)が
無償でずっと管理してくれる。




それだけでじゅうぶんなのでは??





動画(というか事実上音声だけだけど)を
自由にアップロードする権利と、
アップロードされた動画(というか音声)を
自由に視聴できる権利が確保されているのなら、
それ以上、
YouTubeに求めることなんて、
何も無いのでは??








noteだって同じことです。





わたしのnote(このアカウント)は
まもなく連続投稿900日になりますけど
noteで有名になりたいとは
わたしはまったく思いません。




単純に、
noteに原稿を投稿する権利と、
投稿された原稿は誰でも自由に読むことができる権利が保証されていれば、
その時点で、
note社は使命を果たしていると言えます。
『それだけでじゅうぶんではないか!!』







つまりね、
わたしの世界観から
『有名』という概念が抜け落ちたのです。
『認知度を高める』とか
『有名人になる』とかは
社会が実在していてはじめて意味を持つ概念ですから。






そんなわけで。
いまの社会がこれからも継続する前提で、
新しいなにかを始めることは、
もうわたしにはできません。





かといって、
いますぐ社会が消滅するわけでもないので
工事現場のお仕事はこれからも続けますが




しかし、
それ以上の発展性は、
もうまったく必要ではないのです。





むしろ、
いまから考えておくべきことは、
『いまの社会が消滅したあと』
どんな世界になるのか、
ということでしょうよ。






総理大臣イコール偉い人、
という時代は、
とっくに終わってると思いますが。




この現象がさらに進むと、
岸田首相(=そのときの現役の首相)の支持率低下、などという範囲内では済まなくなり、ようするに首相の動向を知っても何の価値もなくなります。岸田が増税を叫んだところで増税は起こらないのが当然になり、そもそも岸田が実在の人物かどうかも関係なくなります。
議院内閣制とか内閣総理大臣とか
社会制度そのものが実効力を失えば
肩書きなどには何の意味も無くなるわけですよ。






実際にそんなふうになったとき。




つまり、
政治が無力化し行政が無力化し
経済情勢など誰の手にも負えない事態になってきたとき。

じゃあ、

そんなときに大事なものって、

なんだろう─────??






いま、考える価値があるのは、
むしろそっちです。
既存の社会が継続する前提で
社会内での上昇を目指すのは
もはや全く無意味ですから!





そんなわけなので、
わたし自身でいえば、
歌で有名になるのも
占星術で有名になるのも
もう無意味。







『有名』という概念が意味を為さない時代における生き筋とは何??






🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤...♪*゚
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