低次元存在をチャネリング

オカルト&スピリチュアル界隈に未成年の頃からずっといたから、チャネリングという現象?というかスキル??に、わたしはすっかり慣れていて。




チャネリングとは、
ものすごく単純化して言えば、
この世以外の『異界の存在』が
なにかを語りかけてきたのを
『聞き取ることができ』
それを文字にするとか、
あるいは聴こえてないけど
『自分の口から』勝手に喋るとか。
そんな現象。




そーゆーのを幾度となく目にしているとね、
すくなくとも
『この世以外の』別の世界が実在することは、疑う余地のない事実になってくる。





だからまぁ、
チャネリングに慣れ親しむことで
『この世以外に世界は存在しない』とする
唯物論の世界からはたしかに脱却できる。





宗教団体とかが扱っているチャネリングでは、呼び出され語り出す存在が、ウチの教団だけが唯一の真実、みたいなことを主張してきたりするので、語られた内容をそのまま信じるのは極めて危険、とはいえ、チャネリングなるものの全体像についてある程度理解の理解が及べば、
『この世以外の場所から語りかけている』
ことだけは明白になる。






それでね、
『この世以外に世界は存在しない』と
言い続けるだけの人々
(いわゆる唯物論者)は、
振り払うしかないとして。





『この世ではない場所』が
ほんとうに存在すると知ってしまうと、
それと
同時に分かるのは
この世よりも
『この世ではない場所』のほうが
はるかに広い、
ということ。





悪徳カルト宗教の
教団チャネラーが
『ウチだけが真理を語っている』
と述べたとしても、
そんな教団はこの世にゴマンとあって、
しかもそれぞれ語り主は別の場所にいる別の存在だったりするのだ。





そんなわけで、
『この世以外の場所は実在する』
と分かったら、
その後は
それぞれのチャネリングシーンにおいて
『どんな立場から語られているのかを識別する』ことと
『この世での実人生に有益な情報を得られるか』が重要な課題になる。




チャネリングができます、
という人はじつはこの世にゴマンといるから、この原稿を読んでいるあなた自身がチャネリングなどできなくても問題はない。
他人がチャネルしてくれた情報を受け取れば事足りる。




それよりも大事なのは
受け取った情報の真贋を見抜く力のほうだ。






♡♡





でね、
ふつうチャネリングというのは
『この世の人間よりも』上位の存在が
語りかけてくるわけです。





彼らのなかには
『わたしたちは対等です』
と述べる者もあるが、
対等な関係性を築けるかとは別に、
それぞれの存在が置かれている『次元』というものがあり。





わたしたち人間がいる世界は
いわゆる『3次元』と呼ばれていて
通常はチャネリングとは
4次元とか5次元とか、
『3次元よりも上の世界』の存在から
情報を受け取ることを指す。





言い換えれば
『この情報は有益です』と言いたいのなら
人間界よりも上の次元から情報をもらってこないと意味がない。




とまぁ、
これがオカルト&スピリチュアル界隈におけるチャネリングなるものの基本事項なのですが。





じつはわたくし、
『自分よりも次元の低い存在から』
情報を得ることに成功しまして💖




しかも、
得られた情報は
びっくりするほど高精度でした✨✨✨




え?
べつに高次元じゃなくてよかったんだね!!?



それよりも
自分自身に近しい存在であることのほうが
大事でしたー!!!







♡♡






わたしとこの子は別の存在、
という表現をよく使っている。





いまこの文章を書いている
『理性・思考としての』わたしと、





『生きた哺乳動物としての』わたしの身体は別の存在。





そうして、感情が両者を繋いでいる。






最初のうちは
『おもしろい見方だね!』
くらいで済んだのだが、






どう見てもほんとうに両者は分離しているようなので、





『この子(=身体)とわたし(=理性/思考)は別の存在』
という事実を基本前提に据えたうえで、
(他人を参照せずに)
自分自身だけに当てはまる生き方を
構築しなくてはならない。
という事実に突き当たった。





そんなわけで
現在試行錯誤中なのだが。





いくら
『別の存在である』
とは言っても、
同じひとりの人間として機能できるくらいには、両者は連動しているし、協調している。




つまりは、
理性としてのわたしは
起きてこの世で活動しているあいだは
『この子から目を離す』ことはできないし、
わたしが『手網を握っている』かぎりは、この子は可能な範囲で“人間らしく”振る舞う。
まぁだからこそ、
どうにか『ひとりの人間として』生きて、生活できているのだが。





そんな両者の連結が解けたとき、
何が起こるか??






♡♡





歌を歌っているとき、
歌うのはもっぱらこの子(=身体)の仕事で、
わたし(=理性/思考)は、
歌うことに没入しているこの子を、
ただ見ているだけの状態になる。




つまり、
『別の存在とは言っても』
たいていは強く結びついている両者なのだが、

この子が歌を歌っているときだけは、

お互いに独立した状態になり、

そのことをわたしははっきりと感じ取れる。




(※具体的に言うなら、わたしはわたしの歌声をYouTubeに100曲以上アップロードしてきましたが、わたし自身が『いま歌を歌っている!』という実感を持てたことは一度もありません)






そして、
今回、偶然発見したのは
逆にわたし(=理性/思考)が何かに没入することで、この子(=哺乳動物)が完全にひとりきりになるパターン。






(理性/思考としての)わたしは
誰かとおしゃべりしていて楽しいことって、基本的に無くてですね。
他人の肉声を聞いてるのがそもそも苦手だしキライです。お笑い芸人が叫んでるのとかはもぅ、耳にするのも耐えられないレベル。




そんなわけで、
たいていの情報は文字原稿を読むことで得ていて、YouTubeの教養番組とかは基本的に見ません。他人の肉声聴いてるのが耐えられないので。
(※テレビはそもそも持ってません)




例外は、
藤原直哉先生と松村潔先生ですね。
このふたりだけ残ったのは
『肉声を聴いていても耐えられる』
からです。
画面は見ずにイヤホンで話だけ聴いて、
藤原直哉先生からは現実世界の現在について、
松村潔先生からはオカルト&スピリチュアル方面の第一線の教養を学んでいます。





わたしはこの世が大嫌いなので。
藤原直哉先生から毎週有り難く情報を頂戴していても、それは文字どおり情報収集が目的。




それに対して、
松村潔先生の最近の講座の内容は
わたしが今まさに知りたかったことがそのまま説明されていたりして、
これを共時性というんでしょうか??
松村先生のYouTube動画は
『ほんとうにこれが無料でいいの??』
って思えてきますね。




そうして、
松村先生の話を聞いているときは、
わたし(=理性/思考)は
ほんとうに『話に没入している』らしく、
そのあいだ、
この子(=哺乳動物としての身体)は
ひとりきりで置いてけぼりになります。





♡♡





この子(=哺乳動物としての身体)が
歌を歌っているときは、
わたしは『見ているだけ』だったんですけどね。





家でベッドに横たわって灯りも消して。
必要ならアイマスクも付けて。
視界に映るものを無くして。





その状態で、
わたし(=理性/思考)が
松村先生の講義に没入していると
わたしの“手網”から離れたこの子(=身体)は
なんと、
勝手に『別の世界に旅立つ』のです。







もちろん、
物質としての身体は
たしかにそこにあるままなんですが。
(※なので問題は何も無いのですが)
『この世の外』のビジョンを
じつに明晰に見ていて、
勝手に歓んだり泣いたりしている。




この子が見ているビジョンは
わたしにも観ることができて、
え?なんだこれ!?すごいな💦💦💦





そのあいだも松村先生の講義は進んでいて
そこにわたしは没入しながら
しかし同時にこの子の見ているビジョンも
いっしょに観えている。





その内容はあまりにも鮮明で、
わたし自身の物の見方を変えるほど。





『蛇使いの男性と結婚してしあわせになった蛇女』
これは内容が鮮明すぎたので、サビアンシンボルみたいなタイトル付けてみた。
内容はきょうのところは非公開。





ほかにはね、
わたしは12人(くらい??)の多人数で、
同じこの世に同時に存在していて、
(しかもこれは過去生のことではなく)
同時代に生まれて同じこの世に生きている『もうひとりのわたし』が軽く11人(くらい??)いる。らしい。
しかし『わたし同士が出会う』ことは絶対にない。
という話。




しかも、
ここまでは前振りで、
じつは『絶対に会えるはずのない』
もうひとりのわたし(のうちのひとり)の
姿がくっきり浮かんできていて、
この子は/この子を通してわたしは、
まじまじと彼女の顔を見ているのだ。





いまのわたしと似ているといえば似てる。
それにしても、
人の姿がここまで鮮明に目の前に映し出されることなんて、現実世界でだって、ほとんど無い。
わたしに絵心があれば、すぐにでもイラストに描き起こせたのに。そのくらい鮮やかに。眼の前に。









半年くらい前だったかな?
知らない男の顔が鮮明に浮かんできて。
しかもそいつ、
わたし的には全く好みじゃなくて、
それにしてはそいつ、
やけに馴れ馴れしい感じで
あたしのほう見てるんだよね。






脳裏というか、瞼の裏というのか。
幻影であることは分かりきっているんだけど、それにしてはやけに鮮明なビジョンとして、知らない男の顔がずっと浮かんでいた時期があって。
顔、というか身長とか体格もだいたい分かる感じ。しかしまったく知らない人だし、まったく好みでも無くて。
一体なんなんだこの男??
ちょっとまぁ、妄想とはいえ、
迷惑だなと思ってたんだけど。




それがね、
いま鮮明に浮かんできた
『もうひとりのわたし(のうちのひとり)』
のね、
結婚相手だったのよ??!?





え?こんなのが好みなの??
ってまっさきに思ったんですけど💦
よく見たらふたり、雰囲気は似てるし、
たしかに夫婦なのかもね。





彼女(もうひとりのわたし)が、
彼に肩を寄せるシーン(の後ろ姿)を見ていて、たしかに本当に好きなんだろうなぁと思った。





この人はじつに平凡な人生を送っていて、
まぁ具体的なことは教えてもらえなかったんだけど。この人がわたし(ミミィ)に憧れることはあっても、わたし(ミミィ)がこのわたし(彼女)に憧れることは有り得ないらしいです。
いつだったか、
夢のなかでトラック運転手と結婚して、たくさん子ども産んだあと離婚する話をnoteにも書いたんだけど。それとは別の世界線の別の存在らしいです。







同じ魂、同じ存在であるはずのわたしが
『12人(くらい??)に分割して』
それぞれ独立して存在していて
『絶対に出会うことはない』。






この、
奇妙な『この世の裏設定』を
なぜかとつぜん知らされて。
しかも12人(前後)のうち、
こんなに波乱万丈なのは、
あたし(ミミィ)だけなのだそうだ。






破滅の危機に瀕したことも何度かあったけど、そのたび『ほかの11人』からエネルギーを借りているのだという。このあたしの人生が安定してきたら、今度は『ほかの11人』の支援にまわるらしい。




とすると、
いまのわたしが
自分は能力が高いと自負できるのも、
悲惨な生育環境と過酷な境涯のおかげ、ということになるね。同じわたしが別の世界ではきわめて平凡な存在として生きているわけだから。ここまで絶対的な差異が生じた理由は環境にしか無いことになる。




まぁ、こーゆー話はたいていは話半分に聞くものだろうが、それにしたって。
『ほかの11人』のうちのひとりの、
あまりにも鮮明な姿が目の前に映っているとなるとねぇ。なんなんだろう、これ。







♡♡





最高に印象深かったのは、
『蛇使いの男性と結婚してしあわせになった蛇女』
その次はこの、
『もうひとりのわたしはわたしの知らない男と結婚していた』





ほかにもいくつかあったはずなんですが。
あまりにも鮮明な映像を見ていて、
『これなら絶対に忘れることはない』
とか思い込んでメモるのを怠ったら
いつのまにかすっかり忘れてましたー😅💦




いや、
片方では松村先生の講座を聴きながら、
もう片方でそれとはぜんぜん関係ない鮮明なビジョンを観てるわけですよ?!




まったく関連性のない両者を
双方同時に憶えておくなんて、
はたしてできるものなのか??
って意外と平気でした。感覚魂/悟性魂/意識魂の話、いまのわたしにはすごく重要だから、聴いてないようで聴いていて、憶えてないようで憶えていた。それに、どっちにしろ一回でぜんぶ理解できるとは思ってないから何度か聴くし。






この現象が起こるには、
わたし(=理性/思考)が何かに没入するだけでは半分。
もう半分、
この子(=身体/哺乳動物)の物理的視覚をふさぐことが重要らしく、野外の工事現場に勤務しながら片耳イヤホンで松村先生の講義を聴いていたときは、わたしのコントロールを離れたこの子は、目の前にある工事で掘られた穴を鮮明に記憶してました。いまも工事の穴が鮮明に浮かびますね。何に使うんだこの記憶?!笑




わたしが何かに没入することで
『ひとりきりになった』この子が観る
鮮明なビジョン。




素晴らしくおもしろいので、
しばらくはこの現象を追求してみようと思う。





🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤🐥🐤...♪*゚
#ミミィたんの打ち明け話






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