上高地〜涸沢〜奥穂高岳へのソロ山行と、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』
8月頭に奥穂高岳を登ってきた。上高地から涸沢を経由するルートで、2泊3日。夜行バスを入れると3泊3日。
登山アプリを遡ると、私が山へ行き始めたのは2021年11月末。ほぼ2021年12月からとして数えると、2年8ヶ月かかって実現したことになる。実現、と言うからには以前からの夢や目標かのようなニュアンスがあるが、実際そうなのだ。
「立山ソロテント泊記録〜信仰の山を歩くということ」から抜粋する。
「山の記憶」に書いたように、山そのものは未経験ではなかった。だがそういった山は家族や当時の恋人と行ったもので、何より「山に行く」ことが目的ではなかった。「家族でテントに泊まる」「縄文杉を見に行く」ことが目的であり、「○○山に登る」は目的ではなく手段だったのだ。
しかしひとりで山に行くようになると、「山に登る」「山を歩く」ことが目的になった。昨年の夏の段階では「穂高連峰には登らなくても、そこから見ればいい」などとのんびり構えていた場所にも次第に「登る」と目標を定めるようになった。といってもまだまだ初心者の域を出ないため、「信州 山のグレーディング」を参考に唯一難易度が1ランクだけ低い奧穂高岳を選び、岩場入門として十二ヶ岳、テント泊・岩場歩きの練習として金峰山・瑞牆山、八ヶ岳(赤岳)を登って本番に備えた。そして、なんとか登頂を果たしたというわけだ。
さて、この上高地〜涸沢〜奥穂高岳2泊3日、実は行程の半分以上でほぼ平地を歩く。もちろん舗装路ではないので街中を歩くこととは違うが、「登る」要素と「歩く」要素が半々なのだ。「登る」ことは皆がすることではないが、「歩く」ことは全員ではないにせよ多くの人が日常的にすることではないだろうか。そして、それほど日常的であるが故に、「歩く」ことについて改めて考えることはあまりなかった。
そんな「歩く」ことを取り上げた本が、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』だ。下山途中、上高地の森の中の小径を歩きながら私はこの本を思い出していた。
「歩く」という行為には、「どこを」「誰と」「どこへ」等という5W1Hがある、とソルニットは言う。そして、歴史、人類の起源、信仰と巡礼、内面への探究と哲学、文学、社会、土地の権利などといった様々な視点から「歩く」ことに切り込んでいく。
例えば、性別による役割の違いから見た「歩き」。有名な文学者の作品には逍遥から生まれたものがある。当時そのように外を自由にぶらぶらと出歩くことができたのは、圧倒的に男性だった。歩く男と歩かない女、いや、歩けない女。さらに、歩いていたのに埋もれた女もいる。私は特段先鋭的なフェミニストではないが、それでも社会的に男女間に非対称性が存在することは知っている。
また別の観点では、「歩くしかない人の歩き」と「歩かなくてもいい人の『娯楽』としての歩き」が挙げられていた。なるほど確かに、通勤時の移動としての「歩き」と、旅行の時に街並みを楽しみながらそぞろ歩く「歩き」との意味や質の違いは感じる。著者が言及しているのはもう少し違う話なのだが、このように自分に引きつけて考えられる部分も多く、ずっしりと厚い本だが面白く読み通せた。
私が最も膝を打ったのは、「人間だけが不安定に歩く」という箇所だ。歩くのは人間だけではない。猫も犬も、とかげや蜘蛛だって歩く。しかしそれらの生き物と人間との決定的な違いは、接地する脚の本数だ。彼らは基本的に転ばない。とても安定して歩く。一方人間は、歩くために一本の脚を地面から離す時、地面についている脚は残り一本しかない。どうしたって不安定にならざるを得ない。
私見だがこの不安定さは、不自由さにもつながるように思う。例えば歩くという機能を持たない魚は、水中を自由に動き回る。鳥は種類によっては歩くが、その翼によって魚と同じく空間を自由に動き回ることもできる(ペンギンなどは除いて)。また、人間以外の四つ足の生き物たちも、人間よりはるかに自由に動き回ることができる。不整地や傾斜のある道であっても、彼らはそれをものともせず上り下りしていく。彼らが山を移動するスピードで、人間が同じように歩くことは難しいだろう。
しかしその不安定な歩きが、移動だけではない「歩き」を人間にもたらしたのだと思う。著者の言葉を借りるなら「娯楽としての歩き」だ。
移動だけではない歩きの極致とも言えるのが登山だろう。峠を越えねば隣の村へ行けなかった時代のそれは、登山ではなく「移動としての歩き」だ。しかし「山へ向かう」ことが理由となった登山は、移動を目的としない歩きだ。日常の安全な平地を離れ、斜度により手を使うことはあったとしても足にずっしりと体重と荷物の重さをかけて一歩一歩前へ進んでいく「歩き」。それを短くても2〜3時間、熟達者であれば8〜10時間行う。なぜわざわざ疲れに行くのか、なぜ大変な思いをすると分かっていて行くのか。“Because it‘s there“ そこに山があるから、だ。
(なお余談であるが、この有名なジョージ・マロリーの言葉は誤訳であるというnoteを見つけた。私はこの説を取りたい)
もちろん、「あの山の山頂へ行きたい」「あの山とこの山をつなげて歩きたい」といった場合、それは「移動としての歩き」になり得る。歩きでなければ辿り着けない場所へ行くための「歩き」だ。この要素も無視することはできない。
登山は現代においては観光、スポーツ、余暇の一部となっているが、古くは信仰と非常に近い、ないしは一体化したものだった。奧穂高岳の山頂にも、いったいどうやってこれを建てたのかと疑問が浮かぶほど立派な石造りの祠がある。
日本では山岳信仰が根付いているが、ヨーロッパでは山は悪魔が住む場所だと考えられていたそうだ。アルピニズムの本場ヨーロッパで?と意外に思ったが、ソルニットによると宗教とは無関係に登山文化が産み出されたのは、18世紀のロマン主義以降とのことだ。神秘と畏敬の対象として山をモチーフにした絵画が描かれ、登山がロマンチックな活動とみなされるまでは山は醜く忌避すべき存在だったらしい。
一方日本では、富士山・白山・立山(または木曽御嶽山)を三霊山とする例を挙げるまでもなく、山は信仰の対象であったり、そうでなくても豊かな恵みをもたらすものだった。これまで歩いた関東近郊の山でも、登山道がかつての表参道だという場所は非常に多い。また、麓に大きな社、山頂に奥宮があるという構造を持つところも多い。奥穂高岳の場合は安曇野に穂高神社、上高地に奥宮、さらに頂上に嶺宮が祀られている。
天と地の間に自分しかいない「歩き」は、高峰ならではのものだ。すっと自分の芯が立ち、どんどん清められていくような気持ちになる。余計なものが、服を脱ぎ捨てるように空へ飛び去って行く。自分の本質が表に出てくるような感覚だ。これはひとつの宗教的体験なのかもしれない。ある種の修行に近いようにも思った。ただその場にいるだけでは、こういった感覚はない。一歩一歩足を前に進め、歩き続けることで訪れるものだ。
山という場所へ出向いて「移動」ではない歩きを行うこと、そしてその歩きと自分の周りの空間や景色に没入する中で新鮮な感覚がもたらされること。今回の奥穂高岳への山行で、達成感とともに私の心に残ったのはそれだった。「歩く」ことの持つ力といってもいいだろう。
最後にもう一つ、「歩くことと人は結び付けられる」という部分に触れたい。「地歩」「ゴールへ向かう」「歩く百科事典」といった表現がその良い例だ。「歩行と旅は、考えること、発話することのメタファーの中心を占めるようになった」とソルニットは言う。歩くこと、そして歩き続ける、つまり旅をすること、その中で考え、言葉を紡ぐこと。これが人として生きていくことの根幹に存在するのだろう。
この書籍の邦題は『ウォークス』。「歩行」の複数形、または「歩く」という動詞の三人称単数現在形だろうか。ただ原題は『Wanderlust』なのだ。聞き慣れない単語かもしれないが、「放浪・旅行・探検に対する渇望」「旅行熱」「放浪癖」を意味する。この『Wanderlust』という原題こそが、「歩き」の本質だと感じる。なぜ邦題を変えてしまったのだろうか。「ワンダーラスト」では意味がすぐ通らないからだろうか。
WANDERLUST EQUIPMENTという日本の山道具のガレージブランドがあるが、このブランドからwanderlustという単語の意味を最初に知った時、これは間違いなく自分を構成する一部分だと感じた。どこかへ行きたい、知らないところを歩き回りたい、旅をしたい、という小さい頃から持っていた志向に、これほどフィットする言葉があるだろうかとさえ思った。この原始的な衝動の延長に、今回の上高地〜涸沢〜奥穂高岳へのソロ山行があったともいえる。
「人間は考える葦である」とパスカルは言った。「人間は歩く生き物である」と私は思う。自らの意思で歩き、どこかへ動いていくこと。もしどこへも行かなかったとしても、思考を巡らせることも「歩き」だろう。生きているだけで、その人の後ろには過ごしてきた時間が「歩き」として積み重なる。歩け、歩け、自分の目指すものへ、新しい体験へ、明日という時間へ。
涸沢の野営場ではテントに2泊した。テント泊は荷物が多い。正直なところ、帰路は疲れ果てて「テント泊、大変だな…続くかな…」と思っていた。しかし家に帰りついて一晩明けてみるともう、すぐに次の山へテントで登りたくなっていた。wanderlustが私の中に存在する限り、歩くことの魅力が私を動かしていくだろう。
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