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山の記憶

私は自然の中で過ごすことが好きだ。最近よく山に行くようになったので、自分の山の記憶について書いてみたくなった。とりとめもなく。

登山好きの両親のもとに生まれた私を、当然のように両親は山に連れて行った。だが、あまりにも小さな頃のことは覚えていない。「陣馬山も三頭山も行ったのよ」と言われ写真も見せられたが、首をかしげるばかりだった。

私が覚えている最初の山は、筑波山だ。小学校低学年の頃、父の会社の親睦会のようなものに連れられて行ったと記憶している。そういうイベントなので他にも家族連れがたくさんいて、私は同年代の男の子と仲良くなった。クラスの男子は私がメガネをかけていることをからかってくるような子ばかりだったので、「普通に楽しい」ことが新鮮だった。もちろん連絡先の交換などするはずもなく、それっきりだったが。帰りの常磐線に乗る時(当時はつくばエクスプレスは存在しない)、ホワイトチョコレートのクランキーを買ってもらった。あまり市販のお菓子を買うことがない家だったので、「世の中にこんなに美味しいものがあるのか」と思うほど美味しかった。無くなってしまうのが惜しくてちびちび食べながら、常磐線のボックスシートに乗って帰宅したことを覚えている。

小学生の頃の私は、本の影響を受けやすい子供だった。家に子供向けの百科事典のようなものがあり、その中に「沢登り」という項目があった。なにそれ楽しそう、と思った私は、父に「沢登りをやりたい」と訴えた。父はあまり気が進まない様子だった。沢登りは難しい、というのが父の言だった。だが、丹沢で川遊びをするくらいならいいだろう、と。末の弟も大きくなっていたので、こうして家族で丹沢に行くことになった。
丹沢丹沢、と言っていたので当時の私は「丹沢」という山があるのだと思っていたが、厳密には「エリア」と認識するのが正しいらしい。丹沢山という山もあるにはあるのだが、あの周辺一帯を丹沢山地と呼ぶ、ということを最近知った。だから、あの時行った「丹沢」が丹沢山地のどのあたりなのか、正確にはわからない。両親に聞けばわかるかもしれないが、なにせ30年以上前のことだ。覚えていない可能性の方が高いだろう。
その山行はテント泊だった。川のそばでテントを張ったので、どこかの沢沿いを歩いたのだろうか。缶詰に入った炊き込みご飯のようなものを温めて食べたことを覚えている。登山道にマムシがいて、先頭を歩いていた父がそれに気づき全員を止まらせ、大回りしてマムシを避けたこともよく覚えている。

子供の頃の山登りはとにかく楽しかった。だが、そもそも家族旅行というものを避けたくなる年齢が、多くの人に訪れるのではないだろうか。私も例に漏れず、受験だなんだと家族で出かけることを嫌がるようになった。妹と弟は私ほど自然が好きだったり外に出かけることを親にせがむ子供ではなかったので、なんとなく我が家から「山に行く」ということは失われていった。

次に私が山に行ったのは、大学に入ってからだ。高校時代にモンゴル、飛騨高山、大分と旅行した経験から「旅行楽しい」「だから大学は旅行サークル面白そう」と安直に考え、たまたま見つけた旅行サークルに入った。山に限定して行きたかったわけではないので、ワンゲルは考えなかった。そのサークルで羊蹄山に登ったことは覚えているが、集団でワイワイ行く山というのはあまり記憶に残らない。みんなで行ったな、頂上まで行ったな、というくらいになってしまう。

強く覚えているのは、屋久島だ。当時付き合っていた人と2人で行った。飛行機に自転車を積み、鹿児島へ飛んだ。宿泊費をとにかく浮かせたかったので、鹿児島での一泊はいわゆるラブホテルに泊まった。部屋のテレビではアンディ・フグの訃報が大きく報道されていた。翌朝、フェリーで屋久島に渡った。島の北側から南側まで自転車で移動しながら、国民宿舎とテント泊を組み合わせ、海も山も楽しむという旅だった。もちろんほぼ自炊で、スーパーで買った醤油が甘くてびっくりした記憶がある。

この旅ではいろいろなトラブルが起きた。林道だと思っていたら登山道で自転車を担いで山を登る羽目になったり、避難小屋に泊まったら翌朝の食糧をネズミに齧られたり、朝作ったおにぎりが昼には悪くなっていて食べるものに困ったり、過労で私が血尿を出して現地の病院にかかったり。
しかしそれはそれとして、屋久島は素晴らしかった。縄文杉やウィルソン株も圧倒されたが、記憶に深く刻まれているのはそういった有名なスポットではない。山を歩いている途中に出会った、木漏れ日に照らされる白砂の涸れ沢や、しとしとと降りやまない雨中でふと見つけたコケの先で光る雫、そういった突然現れる美しさと、それにはっと心を奪われた経験が今でも残っている。

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大学を卒業して就職すると、山に行くということは無くなった。サービス業に就いたので人と休みを合わせにくくなったことと、そもそも周りに山に行くような人がいなくなったからだ。私の中でも「旅行」は変わらず好きだったが「山」が最優先というわけではなかったので、1人で山に行くということもなかった。結婚して子供が生まれ、キャンプはするが山といえば高尾山くらいだった。

それが突然、昨年の晩秋のことだ。「山に行きたい」「そうだ、山に行かなくちゃ」という啓示のようなものが突然降ってきた。何がきっかけだということもなく、本当に突然。
そして、なぜそこにしたのか覚えていないが神奈川の金時山に1人で行った。とりあえず普段使いの中では大きめのリュックと、多少しっかりしたミドルカットのスニーカー、Tシャツはほとんど着ない生活だったのでそれだけはアウトドアメーカーのセール品を買い足した。高速道路の事故渋滞で到着が3時間ほど遅れてルートを大幅に変更する羽目になり、残念ながら登頂は叶わなかったが、途中の乙女峠からは富士山を文句ない美しさで見ることができた。久しぶりの山はとても楽しく、事前の準備から山を歩くという行為、見える景色、山の中にいる時の気分、全てが私にとって「これはいい」と感じさせてくれた。

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そこから月に1〜2回、都内や近郊の山に行っている。高尾〜陣馬周辺、高水三山、御岳山、棒ノ折山など初心者向けと言われる山、さらに丹沢にも挑戦した。まだ鍋割山と表尾根〜塔ノ岳縦走だけだが、いつかは丹沢山や蛭ヶ岳にも行ってみたい。奥多摩も大岳山や御前山に挑戦してみたいし、最終的には雲取山を一つの目標にしている。鴨沢から上がるのか、三峰から行くのか、山は行くまでの時間も楽しめる。脚さえ動けばずっと続けられる趣味だ。焦ることはない。

家族からも「なんで突然、山?」と言われることがあるのだが、思い起こしてみれば彼らの中では突然でも私の中では突然ではなかった、ということになる。むしろ、元いた所に帰ってきた感覚さえ覚えるほどだ。山の中に身を置いている時に感じること、考えること、それについてはまたいつか書きたいと考えている。

次の山が楽しみだ。


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