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立山ソロテント泊記録~信仰の山を歩くということ

8月下旬に、念願叶って初めてのソロテント泊をしてきた。自分にとって大きなインパクトのある体験だったので、記録しておこうと思う。


そもそも、なぜテント泊?という話から。これまで「山の記憶」の記事は書いたが、それ以外は特に山行の話もなく基本的には美術展や読書の記事ばかりだ。アカウントを分けるべき?とも思ったが、「考えたことの記録」に該当するだろうということでこのまま続ける。
実は、私の名前は穂高連峰に由来がある。両親が山好きだったからだ。昔はそう聞かされても「ふーん」という感じだったが、山に行くようになってみると一度はこの目で見てみたいな、という気になった。ちなみに穂高連峰の山々というのは、とてもじゃないが初心者が「行ってみたいな」で行けるようなところではない。だが、上高地から歩いて行ける涸沢という野営場や、谷を挟んで向かいにある蝶ヶ岳なら私でも行けそうだと思った。穂高連峰には登らなくても、そこから見ればいい。そのためにはテントで山に泊まる経験を積んでおく必要がある。ということが全てのスタートだった。

そして、なぜ立山にしたのか?という点。
ひとつ目は単純に、初めてのソロテント泊として難易度が低いからだ。「テント泊 初心者」で検索すると、大菩薩嶺や富士見平小屋、八ヶ岳近辺(白駒池や赤岳鉱泉など)、立山などがヒットする。その中で盛夏でも標高が高いぶん多少は涼しそうだ、ということで立山の雷鳥沢野営場か八ヶ岳近辺が候補になった。
ふたつ目は、日本三霊山の一座だからだ。昨年家族で富士山に登り、山頂で御来光を見た。そのついでと言ってはなんだが、山頂にある富士山本宮浅間大社奥宮で記念にと御朱印をいただいた。もう多分二度と来ないだろうし、せっかくだから、というわりと軽い、かつミーハーな気持ちで。だがその時に「日本三霊山」を知ったことをきっかけに、信仰の対象としての山、信仰の地としての山に興味が湧いた。10代の終わり頃だっただろうか、「山を御神体とする神社がある」と聞いたことがある。その時の新鮮な驚きと妙な納得感の記憶が蘇り、一度山岳信仰の地を歩いてみたいな、と思うようになった。
(なお日本三霊山は、立山ではなく木曽御嶽山を挙げる場合もある)

立山というのは上高地(行ったことはないが)に近い、と行ってみて感じた。アクセス容易な山岳リゾート地で、本格的な登山をしなくても風光明媚な山の景色や地獄谷といった独特の景観に触れることができる。だが、やはり山に登り、稜線を歩き山頂に立ちたいと思った。立山三山と言われる浄土山・雄山・別山は、それぞれ過去・現在・未来を表すとされる。その山々をぐるりと巡り、昔の人の真似事ではあるが信仰の道を歩いてみたい。その場に実際にいることで得られるもの、全身でその場で体験したことの情報量の多さ、そういったことを実感してきている身としては、下から見るだけでは全く物足りない。もちろん単純に「登山が好きだから、山を歩きたい」という気持ちも大きい。そして実際に登ってみて、いろいろと感じたことがある。

私がこれまで1年ちょっとの登山経験で親しんできた標高の低い山は、ほとんどが森の中を歩く。例外は谷川岳の天神尾根と、丹沢の表尾根・塔ノ岳くらいだ。それはそれで、森に包まれて歩く感覚がとても癒される。心が回復していく感じがする。
一方森林限界を超えた山は、ずっと視界が開けていて、いつも周りが空だ。急傾斜の岩場を一歩一歩、手も使って登っていくうちにどんどん自分が空に近づいていく。空というより、天に近づくといった方が近い感じがする。

雄山への道

これまで私は、海は自分が溶けるように解放され拡散していく感覚、山は自分が内に内に収斂していく感覚だとずっと思っていた。しかし、高山に来てまた違う感覚を覚えた。自分がふわふわと削ぎ落とされていくような、軽やかな感覚がある。もちろん空気は薄い(立山山頂の標高3000mで、酸素濃度は平地の約70%)し、大小の石や岩が転がる登山道は樹林帯とは全く違う疲れ方をするから、身体は重い。だが、心は違う。晴天かどうか、はあまり関係がない。雲に包まれて、いわゆる「ガスって」視界が良くない時でも、天と地の間に自分しかいない、という伸びやかな感覚は消えない。
稜線で風に吹かれていると、自分がどんどん清められていくような気になる。自分にまとわりついている余計なものが剥ぎ取られ、透明に澄んでいくような感覚だ。なぜか涙が滲みそうになる。

稜線から室堂平を望む
テントを張った野営場が見える

登りがきつい時は、高尾山で山伏修行体験の子どもたちとすれ違った時に知った「懺悔懺悔 六根清浄 お山は晴天」に頼る。ろっこんしょうじょう、と転がすように呟きながら足を進めると、不思議と辛くなくなる。これは確かに修行だ、この修行の場を昔の人も歩いたのだ、と思うと、心が前を向く。

ゴツゴツとした岩や石が転がる稜線の登山道は、天空にある異界のようだった。ここを歩く意味、そこに込められたものに思いを馳せた。日本には古くから、死者の霊は山に還るという考え方があったらしい。非科学的だと現代人が言うのは簡単だが、喪失の心をどう扱うかということだろう。ふもとにある血の池地獄や地獄谷も、科学的知識のある今だからこそ「酸化鉄で赤くなっている」「火山性ガスの噴気」と説明できるが、そうでなければ確かに地獄にしか見えないはずだ。立山曼荼羅に地獄と極楽が表され、立山に登拝することで地獄に落ちることを免れ極楽往生が可能になるという信仰が広まったのも、現世の辛さをやり過ごす一つのすべだったのではないか。信仰は人の心を救うためのものだ。過去・現在・未来を思い、心に行き交うさまざまな声と現実に折り合いをつけることで今日この日を生き抜いていく支えとなるのが信仰であり、この立山でなされてきたことなのだと思う。それは何も当時の人に限らず、現代に生きる私にも無縁ではない。

現代の知識があるから理解できるけど、という話がもうひとつある。
今はいろいろなYouTube動画があるから、立山の風景や登山道の様子を前もってある程度知ることができる。しかし、どのYouTube動画を見ても分からなかった、現地で初めて知ったことがひとつある。それは、立山はどこにいても硫黄の匂いがするということだ。山の上でさえ、風に乗って硫黄の匂いが漂ってくる。
私たちは現代人としての知識があるから、これは硫黄だと、あの地獄谷から来ているのだなと理解して先に進むことができる。しかし、硫黄を知らない人にとっては、これは死の匂いでしかないだろう。近づけば命が危うい地獄谷から濃く漂うこれは、死を招く匂いだ。実際、バスターミナルから野営場へ向かう間に1箇所、風向きのせいか硫黄の匂いが強く咳き込むほどになっていた道を通った時は、危険な時は警報が出る=これは危険な濃度ではない、と知っていても多少の恐怖を感じた。これはどれだけ写真や動画を見ていても分からなかったことで、五感でその地を体験することの重要性を再実感した。

雷鳥沢野営場には2泊した。連日、朝は晴れ、昼前から曇り、夕方は雨のち晴れ、という天気だったため、日の出と日の入りはしっかり楽しむことができた。朝、日の出の時刻にはもうあたりはすっかり明るくなっている。目の前の立山(雄山・大汝山・富士ノ折立)、真砂岳、別山の向こうから日が差して、雲の下の方が黄金色になっている。早く出発しなければいけないのに、いつまでも眺めてしまう。

雷鳥沢の夜明け

夕焼けの時間には、それらの山が大日連峰に沈む夕日に照らされて一刻一刻濃い赤に色づいていく。絵画のような空だった。

雷鳥沢の夕暮れ

夜は満点の星空で、数年ぶりに天の川を見ることができた。寝ても起きても自然の中、自分で自分の面倒を見て過ごす生活はとても心地よかった。山に行く前後、周りから怖くないのか寂しくないのかと聞かれたが、実際に行ってみたら怖かったのは2日目の夕方の雷だけだった。寂しさなんて感じる暇はなかった。五感でその場を味わっていたので。

ライチョウ、オコジョ、リンドウ

最終日はもう山には登らずバスで帰るだけだったから、野営場からのんびりと散策しながら室堂ターミナルへ向かった。太陽に照らされる室堂平の草原とお花畑を見ていると、天国のようだと思う。天国に行ったことはないのでイメージだが。さらに厳密に言うならここでは「天国」ではなく「極楽浄土」が適切なのだろう。地獄も極楽も、死の先にあるものだ。不思議なことに「生き地獄」とは言っても「生き極楽」とは言わない。現世に何を見出し、何をたのみにして生きるか。信仰の山を歩くということは、自分の生き方を考えさせられることに繋がった体験だった。

照らされるテントたち。明日には皆、それぞれの道へゆく

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