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選択と決断

休職するに至ったのはなぜか。

はじめは、単純に「頭痛の悪化」だと思っていたのだが、段々とそれがただの片頭痛ではないのでは?と感じるようになっていった。

そう感じるようになったのは、片頭痛のスタンダードな治療では全く改善されなかったこと。さらに、頭痛以外の不調もはっきり身体に出ていたからだ。


7月下旬のこと。いつも通りの朝を迎え、仕事に行く支度をしようとベットから身体を起こしたのはいいものの、なぜか次の行動には移れない。
鉛のように身体が重く、やらなきゃいけないとわかっていても、身体は動こうとはしなかった。

「どうしよう」

仕事へ行くことは無理な状態なのは明らかなのに、すぐに休む連絡を上司にすることが出来ず、しばらくの間考えていたと思う。

ソファーに持たれかかりながら、上司に連絡した。

そして、その日はほとんど眠っていた。
最低限の食事をして。
起きている間もボーッとしていた記憶。

この日の夜に考えたことは、「明日は仕事に行かなくては」ではなく、「明日も同じ状態だったら病院に行こう」だった。

案の定、翌朝も前日と変わらぬ状態で朝を迎えるだけだった。
そしてこの日から、長い休みに入っていくことになる。

この時受診したのは、片頭痛の薬を処方してもらうために通い始めていた近所の脳神経内科(脳神経内科・内科を診療する個人クリニック)だった。

片頭痛の治療はもう長い間してきて、処方される薬も決まっていたが、新しく通い始めたここのDr.は、頭痛に苦しむわたしに対して、まだできることはないかと親身になってくれていた。
しかし、それでも改善が見られず不調を訴えるわたしに対して、「カウンセリングも受けられる病院で診てもらうこと」を提案してくれた。

わたしも気付いていた。
すでに心も限界なんだと。

ただ、心療内科や精神科を新たに探して受診するだけのエネルギーは残されていなかった。前述したDr.は、ご自身が現在も在籍する総合病院の脳神経内科に紹介状を書き、そこから精神科へ繋いでもらうことを考えてくださった。
「力になれず申し訳ない」といったことをそのDr.は口にしたが、わたしはそんなこと1ミリも思わなかったし、むしろ総合病院へのパイプをつくってくれたことに感謝しかなかった。

ここから、わたしが精神科の初診を受けるまでさらに1ヶ月近くを要した。
心療内科や精神科の初診予約がなかなか取れないとは情報として頭にあったが、やはり例外なくわたしもその通りになった。

8月に入り、本格的に休養をすることになったが、思うように休むことは出来なかった。

この時、わたしが抱えていた問題は仕事のことだけではなかったからだ。
妻であり、母親であったわたしは、すでに母親でいることがまともに出来てはいなかった。そして、妻でいることをやめる決断をしていた。

仕事を休むことも
病院に行くことも
精神科を受診することも
妻でいることをやめることも

全部自分で決めたこと。

『人生は選択の連続である』

まさにそれなんだと思う。


今年の夏も異常な暑さだったのは覚えている。
8月は、療養休暇になる前から決まっていた予定をこなし、あとはひたすら家にいた。一人で孤独と思うより、一人でいる方が落ち着けた。

体調はよくない。
睡眠はまとまってとれない。
食欲のコントロールが出来ない。
今までできたことが出来ない。
人には会いたくない。
そして、娘への罪悪感から涙が溢れる…

辛い日々だった。
それが今年のわたしの夏だった。

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