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『さざなみのよる』 written by 木皿 泉

「さざなみのよる」という言葉を聴いて、あなたは一体どんな夜を想像するだろうか?その夜にどんな感情を抱くだろうか?


こんなことを聴いたことはないだろうか。

"命は巡り巡る"

例えば大好きだったおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなった時。
同じ年に、赤ちゃんが生まれた時。新たな命が宿った時。

もしかしたらおじいちゃんやおばあちゃんが、新しく生まれてきた子供の目を通して、私たちのことを見守っていてくれるんじゃないだろうか。
おじいちゃんおばあちゃんのかわりに、新しい命が家に来てくれたんじゃないだろうか。

そんなふうに思ったことはないだろうか。


この物語はまず最初に、主人公の"ナスミさん"が、若くしてガンで亡くなってしまうところから始まる。

誰かが亡くなった時、残された家族はどうしても"大切な人の死"に向き合っていかなければならない。悲しみはなかなか消えないし、涙はなかなか止まってくれない。

それなのに、

それなのに、

この話は、ほんとうにほんとうに あたたかい。
あたたかくて、涙が出る。言葉の選び方が、ほんとうにあたたかい。


ナスミさんは残された人たちの中で生き続けている、と確かに感じることができる。
心に灯ったあたたかい1つの光を、確かに感じることができる。


ナスミさんの残してくれた言葉は、"さざなみ"のように誰かの心に広がっていく。誰かの心に届いていく。

この本の言葉が、これを読む誰かの心にも
さざなみのように、でもあたたかく、広がりますように。



この本は、ナスミさんと関わった人の視点で進んでいく。
全部で14話。話の視点は全て異なってくる。

たくさんの人それぞれに染み渡るような言葉を残したナスミ自身の言葉がある。

5ページより

(略)嫌いなヤツは嫌いなヤツのまま、自分の中では変わることなく死んでゆくのだと思っていた。それなのに不思議な話なのだが、そんな人たちにも今はありがとうというコトバしか浮かばない。

10ページより

みんな、泣きたいぐらい優しかった。意地悪が懐かしく、しかたがないので自分が意地悪になってもみたが、それでもみんなは優しく笑うだけで、そうか、自分はこの世界から降りてしまったのだと気付いたのだった。

人はいつか死ぬ。急に「死」というものが身近になることがある。
急に目の前が真っ暗になって、自分の進む道が見えなくなったりして。もう人生の行き先はどこにもなくなったりして。大切な人の声が聴こえなくなったりして。

「死」には独特の暗さがつきまとう。出口のない闇みたいなものが思い浮かぶ。


それなのに、

ナスミが亡くなる瞬間に考えた、「死」というものについて。
ナスミの声を、そして言葉を聴いて、本当に泣きたくなった。

自分の命が尽きる瞬間に、自分もナスミと同じことを思って大切な人たちにサヨナラを言いたい。
ほんとうに心からそう思った。

13ページより

もうすでに、目は開かない。(中略)
でも大丈夫ということだけはわかる。もう何の役をしなくてもいいのだ。若いころ、あんなに探して、でも見つからなかった本当の自分にもうすぐ会えるのだ。この世でやってきた全てを取っ払った、生まれたてのときと同じ、すべすべの私。柔らかく、何にでもなれた私。あの桜の小さな緑。そうか、あれが本当の私だったのか。

何でもないから、何も持っていないから、何にでもなれた本当の自分。
まだ何もしてないから、何も考えてないから、何も過去と呼べるものがない、本当の自分。

ナスミが亡くなる瞬間に抱えていたのは、「幸せ」と「後悔」のどっちだったのだろうか。あるいは、どちらも抱えていたのだろうか。


この答えを見つけながら本を読んでいきたいと私は思うのだ。

この本をもう1度読み終えた時、答えが見つかると良いなぁと、私は思うのだ。




この本をこれから手に取る誰かにも知ってほしい。

"生きとし生けるものの幸せ"を。

生きることも死ぬことも、"生きとし生けるものの幸せ"であることを。