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【自己紹介】今までの経歴&noteで書くこと。

はじめまして!

MMC Lab.としてフリーランスをやり始めて3年目。

会社員とフリーランスの複業スタイルで働いている、MIMOです。

道産子ですが、2018年12月まで東京在住、現在は札幌にUターン移住して札幌に住んでいます。

この記事では、自己紹介を兼ねてこれまでの経歴(長め)と簡単なお仕事経歴、そして、これからnoteに書こうと思っていることを書きます。

MIMOの学生時代。

北海道札幌市出身。身長171cmのAB型。

小さい頃から好奇心旺盛、道を歩けば「いまね、おかいものいくの!」と知らない人にも話しかける活発な子ども。

なんでも知らないことは大人を質問攻めにしてうるさがられ、とりあえず辞書全般を買い与えられて読み漁っていたような変な子どもでした。

ピアノと歌とジグソーパズルとたんぽぽの花輪づくりに興味があった、そんな幼少期。

この頃から、何かを作ったり、表現したりすることが好きでした。

ただ、楽しかった記憶があるのは5歳くらいまでで、そのあとは義務教育の洗礼を受けてツラい日々を過ごしました…。

小学生から「なんでみんなとトイレに行かないといけないの…?」と女子特有の集団行動に嫌気がさし、先生に目をつけられたり同級生にも目をつけられたり。

自分の意見を言うと「なんだあいつ」と上履きに画びょうを入れられたりしながら、日本の小学校の生きづらさに息苦しい日々が続く。

学校に行きたくないので、いつも遅刻ギリギリに登校&終わったら即帰宅→習い事(クラシックピアノ・英会話・水泳・書道…)の毎日を過ごし、中学生からプラス塾通い。

ピアノは何度か国内コンクールに出るくらいまでは行ったものの、本選で脱落しょっちゅう→やる気がさらになくなるスパイラル。

同調圧力の強い学校生活に嫌気がさして、部屋でラジオから流れる洋楽を聴きながら寝るのが唯一の楽しみだった中学生時代。

それでも、勉強は比較的楽しいと思えたのが救いだった。

ただ、ストレスやプレッシャーに弱い自分は、第一志望校に落ちてさらに絶望→高校生活スタート。

制服だけはかわいい高校で、特に楽しくもなくモチベーションもない日々を過ごしたら、偏差値が38まで落ちた。

ここで、中学時代に同じ塾に通っていた女の子に「どうせ大学も入れないよ」と言われたのがプチ転機。

本気でムカついて勉強した結果、なんとか滑り込みでクラーク像のある北海道の国公立大学に進学しまして、法律や公共政策と呼ばれる内容を学びました。

低迷した小中学生や高校生時代の前半とは全くちがって、とくに大学院はとても楽しかったなぁ。

受験でお休みしていたピアノを再開して、ジャズピアノに転向したのもこの頃。

大学院では、地方創生、経済格差や福祉政策、教育格差や環境政策などなどのテーマを研究しておりました。


社会に出たあと~現在までの経歴

せっかくマイペースに平和に生きていた大学院から、ひっくり返るかのごとく低迷期の再来。

いわゆる社会人になったわたしが就職先に選んだのは、コンサルティング会社。

就職活動時は以下2つを重視してました。

・地元に戻って何かするとき、役立つスキルが短期で身につけられること

・市場価値が高くなること(=転職するときに有利)

あとは女性で大学院卒は一般的な日本企業は働きづらそうだと思っていたのもあり、コンサル・シンクタンク業界だけに絞って就活。

本当はシンクタンクに行きたかったのですが、途中で落ちて残ったのがたまたまコンサルティング会社でした。

IT系のコンサルティング会社だったことを知らずに「経営コンサルできますよ!」との採用広報活動を信じて入ったときにはすでに遅し。

よく考えずに内定を受諾し、ここから試練が始まりました…

新人研修から終電や休日出勤が当たり前、配属されたプロジェクトでも早くて22時終わり、朝は9時前必須というつらさ。

でもみんな周りの人たちは言っていた。

「え、これくらい別に当たり前でしょ」

「上司が言うんだから仕方ない」

「クライアントが求めるんだから仕方ない」

クライアント先で外注先の社員がどんどん倒れてタンカーで運ばれたり、クライアントの怒号が飛んだりが日常茶飯事で。


…入るところを間違えたみたいだと強く感じ、絶望が再び!

でも、なぜかすぐ辞めるのは違うんじゃないかと思いながら1年以上経過。

心も体もどんどん疲弊していた。

そんなとき、上京してから離れた家族は末期がんになり、あと余命8か月と電話で聞く。

「自分なんでここにいるんだろ」

「なにやってんだろ」

「マジ死にそうだわ」

…翌日ベッドから起き上がれなくなった。声も出ないまま泣いた。

生き方見直しを始めたのはこの頃からで、何かせめて他に熱中できることをやろうと思い、始めたのが…

楽曲制作。

まさか音楽の世界に戻るなんてびっくり。

それからの音楽的な経歴は別サイト(https://mimogy.net/aboutmimogy/)で公開しているので良かったら見てください。

東京でのコンサル時代はこんなプロジェクトに関わってきました。

<1社目:IT系コンサル会社>

・海外子会社グローバルERP導入(主に会計領域。タンカー出動多め)

・システム導入終了後プロジェクトコスト分析・振り返り(PJ責任者へのヒアリング中にPJ責任者が泡を吹いて倒れる事件発生)

・プロジェクトマネジメント支援全般

<2社目:BIG4系コンサル会社>

・物流・ロジスティクス領域市場動向調査・ヒアリング(上司パワハラ&失踪事件発生)

・国や地方向けのリサーチ受託案件

・その他市場動向・事例調査など

2社目に移ったときから、音楽活動以外の空いている時間でクラウドソーシングサイト経由で依頼されたWebライター、知り合いづてに観光サイトの記事の執筆、サービスの紹介・提案資料作成、経営改善施策を考えるようなスポットコンサルなども受けていました。

なぜか音楽活動で知り合った方々から受けることが多いのも不思議です。

そしてこの頃から、「会社員1本じゃなくてもいいな、自分の名前でも仕事できるようになりたいな」と思うようになりました。


そして2018年12月でコンサル業界は辞めて、地元札幌市にUターン移住。

移住後の感想はときどきブログに書いています。

コロナになるまでは、演奏やイベントを通した音楽活動も複業の一つでしたが、現在は作家事務所の作家としてメジャー向けの楽曲に関わりつつ、自分の楽曲もオンラインで届けています。

そんな感じで、会社員一辺倒になることがなく、いくつかの小さなチャレンジを経て、今は複数の仕事を並行して進めている形です。

国家資格キャリアコンサルタントを取得したこともあり、ときどき複業コンサルタントもやったりします。

noteで書くこと。

noteは、お仕事のことを中心に書きます。

具体的には、

・役に立ったビジネススキル

・リサーチ業とライター業

・複業のお話


一度きりの人生を、やりたいことをやって楽しく生きていきたい。

そして、そんな人が日本にもっと増えたら良いなと思っています!

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