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言葉と言語が好きって、つまり。

幼い頃から、ずっと大好きなものがある。

言葉と言語。

私の人生の軸を構成する大事な大事なもの。

言葉と言語が好きってどういうこと?とよく聞かれていた。物語が好きとか、外国が好きだから言語も好きっていうなら分かるけど、言葉も言語も手段に過ぎない。その手段が好きってどういうこと、って。

この説明は難しい。

でもnoteを書いたり読んだりしてる人の中には同様の感覚を持っている人もいると思うので、今日は頑張って書いてみようと思う。


私が言葉と言語に本当の意味で目覚めたのは、中学生のころ。幼いころから外国語や、百人一首などの古文に触れる機会は多かったけれど、中学に入って、英語や古文漢文の勉強が本格化してから、私は一気にそれらの虜になった。

私たちが日常で使っている「現代日本語」と違う言葉・言語なのに、不思議とすぐに内容を理解できた。文法も単語も全然知らないのに、音を聞くと、文字の羅列を見ると、文章の固まりを読んでみると、そこに書かれていることや英語の先生が喋る内容が、なぜか理解できた。

言葉に色や匂い、温度、硬さや柔らかさがあるように感じていて、それらが感覚的に言葉の意味を、違う言語の伝えたがっていることを教えてくれた。

それでもやっぱり、例えば「寂しい」と「悲しい」の差や、「笑う」「微笑む」みたいな細かなニュアンスの違いまでは分からなくて、分からなくてもどかしいから辞書で調べて、先生に聞いて、分かるともっと言葉が面白くて、私はどんどんその世界に引き込まれていった。

そうか、この感情にはこの言葉なのね。

この言葉とこの言葉は、親戚のような関係なのね。

「寂しい」ではなく「恋しい」という言葉を使った彼女の気持ちは、きっとこう。

そんな風に言葉をひとつひとつ紐解くことは、人間の感情や感覚を紐解くことだった。外国語も同じで、言語を紐解くと、その言語圏の文化や時代背景、ネイティブスピーカーの心が見えてくる。


つまり、言葉や言語はただの手段ではなくて、人間の心そのものなんだ。


目に見えない感情や心に姿形を与えるもの。私はそれが言葉(言語)だと思っている。

だからすごく複雑で、奥深くて、面白くて、大好き。

時代や文化背景で言葉の意味は変わりゆくし、新しい言葉も生まれる。それはそのまま、人間の心や感性、感情が変化している事を表す。

そして自分の中に知っている言葉が増えると、自分の感情や感覚も研ぎ澄まされていく。漠然としていた感覚が、ひとつひとつはっきりとした形を帯びる。


言葉や言語が好きっていうのは、つまり、人間の心が好きってこと。

たぶん。

少なくとも、私にとっては。。(なぜか自信がない)


ちなみに言語=外国語の面白さは他にもあって、日本語にはない音が存在することも大好きポイントのひとつ。

例えば英語の「th」という音だったり、「v」「r」の音。

中国語の「reng」「hao」「xing」などの音。

他の言語もたくさん。

日本語を話す時には使わない口の部位を使ったり、鼻に抜けるような音が心地よくて大好き。知らない音。私の持っていない音。新しい感覚を与えてくれて、心の感度を上げてくれる感じがする。これは音楽を好き、という感覚と似ているかも。


…なんだかまだ語り足りない気もするし、核心的なところを言語化しきれていないようなもどかしさを感じるけれど、長くなってしまったのでここで終わろうと思う。色々言おうとして文章が冗長になってしまうのは、私の悪い癖。

コピーライターの先輩にいつも「無駄を削ぎ落とせ」と言われていたのに。笑

「締めの言葉に気をつけろ」とも。笑

…やっぱり言葉は奥深くて、とっても難しくて、大好き。

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