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“畑耕す移住者”SDGsファシリテーターが、椎葉村の未来に伴走。原動力は「自分も村を構成する一人」という感覚

2021年度、椎葉村は第6次長期総合計画づくりを行っています。
この記事では、計画づくりの中で行った住民インタビューをもとに、一人ひとりの椎葉村への思いをまとめ、皆さんにお届けします。

今回お話を伺ったのは、2021年3月に椎葉村地域おこし協力隊を卒業し、合同会社ミミスマスにて椎葉村第6次長期総合計画の策定支援を行っている内村光希(こうき)さんです。

2018年に椎葉村に越してきた、移住者の内村さん。
栂尾(つがお)という地区に家族3人で暮らしています。

現在、栂尾地区の戸数は18軒で、人口は30人ほど。
その平均年齢は65.4歳と、いわゆる“限界集落”と呼ばれる地区です。

そんな地区に仲間入りして早4年。
週末は奥さんや小さなお子さんと一緒に、畑を耕したり、田んぼをしたり、お茶を摘んだり。
季節を通して、椎葉の自然とともにある暮らし方を楽しんでいます。

また、内村さんはSDGs公認ファシリテーターでもあります。

そんな彼が、村の総合計画の策定支援に取り組んでいるのは、他にはない、ちょっとスペシャルなことだと思いませんか?

いろいろな土地を経てここ椎葉にたどり着いた内村さんの目には、今とこれからの椎葉村がどのように映っているのでしょうか。

全国を巡って感じた「移住者が地域となじむ難しさ」

宮崎県都城市出身で、大学では環境工学などを学び、環境問題や自然に寄り添う農業に興味のあった内村さん。

しかし大学院で研究を進める中で、自分の研究が実際の農業にどう生かされるのか、現場から遠いところにいる感覚に違和感を覚えました。

「実地を見たい、実際の農業を体験したい」

そんな思いで大学院をドロップアウトし、日本各地の有機農家さんを尋ね歩き、住み込みで働くという生活を始めます。

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農業体験を目的に、各地で経験を積んでいった内村さん。

しかし、意外にもその暮らしの中で一番関心を持ったことは、「移住者としてその地にやってきた有機農家さんが、現地の住民から快く受け入れられていない」という現状でした。

「有機農家さんはすでにその地に何十年も住み続けているのに、地域の人との関わりがほとんどなくて、地域に馴染んでいなくて。そこから強く感じたことは、周りとの関係づくりも生活の中での大切な要素だということです」

そんな体験から、大学時代に講座を受けたことのあった「ファシリテーター」の役割に着目するようになったそうです。

秘境の村でファシリテーター!

全国の農家放浪4年間の末、岩手県の研修先で奥さんとなる正子さんと出会い、二人で椎葉村へ移住することを決めた内村さん。

ちなみに、椎葉村を選んだポイントは以下の4つだったそう。
✔ 実家のある宮崎県内
✔ 地域おこし協力隊の募集ミッションが、他と違ってユニークで面白そう
✔ 椎葉のことを本で読んだことがあった
✔ 農地や農機具付きのきれいな古民家と出会い、大家さんと意気投合


内村さんも読んだことのあった、椎葉についての本はこちら⬇︎


2020年度で任期を終えた地域おこし協力隊としての3年間を、こう振り返ります。

「これまでは、人々がお互いを生かし合いながらより良い社会をつくっていくための技術である『ファシリテーション(英語で「促進する」という意味)』に取り組んできました。具体的には、会議などの話し合いの場をどうやってより良くするかというものです」

「ぼく自身が積極的に人前に出るタイプではないんですが、そういう人ほど物事をよく観察したり、熟考したりしていて、実は言いたいことがあったりします。前に出るのが得意な人も、そうでない人も、それぞれが得意な能力を発揮することで社会はもっと良くなっていくと信じています。そのために役立つのが、ファシリテーションのスキルです」

内村さん自身、以前はコミュニケーションが苦手だという意識があったそうですが、ファシリテーションを学んだ今は、人の話を聞いたり、問いかけることが、さすが、とても上手です。

実際にも、ミーティングで各々の意見が迷走して場がまとまらなくなってしまった時などは、物腰柔らかに内村さんが活躍することが多々あります。

さらにSDGs公認ファシリテーターの資格も取得し、椎葉村内外でSDGsカードゲームのワークショップを開催するなど、普及活動に貢献しています。

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限界集落で女児誕生、おばあちゃんたち大喜び!

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内村さんの住まいは、栂尾(つがお)地区にある古民家です。

農ある暮らしをしたかった内村さんと正子さんの希望を叶えるように、農地が近くて、道具も貸してもらえるという好条件。大家さんとも意気投合してすぐ決めたのだそう。

とても素敵な住まいです。

やがて、長女・色葉(いろは)ちゃんが誕生。

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今、栂尾地区で子どもがいるのは2軒のみ。
ほとんどが高齢者世帯です。

なので、地域の人たちは色葉ちゃんの誕生をとても喜んでくれたそう。
地域のみんなに見守られて、こんがり焼けた肌ですくすくと育っています。

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奥さんの正子さんは、昨年から集落支援員として地域住民の皆さんをサポートをする仕事を始めました。

集落支援員とは、車の運転が難しくなった方のため、地区内の移動や、病院やスーパーがある村の中心部まで車で送迎したり、各家々で困りごとがあれば相談に乗ったりと、地域に密着した仕事です。

家族揃って地域に溶け込んでいる、そんな暮らしぶりのようです。

計画策定支援は「伴走している感覚」

合同会社ミミスマスでの椎葉村長期総合計画策定支援で、内村さんは主に「対話の場づくり」を担当しています。

具体的には、椎葉村役場で各課からメンバーを集結した「コーディネーター会議」や、椎葉村全10地区それぞれで地区の将来を考える「みらい会議」のプログラム作成と進行役を務めています。

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「この計画づくりにとどまることなく、ゆくゆくは地域が自走する仕組み作りをすることが大切です。そのための助けになるファシリテーションをしていきたいですね」

「企業や組織、さらには家族単位でも、関係性は硬直化します。やることが定例化していく。みんなが互いを知っているからこそ、対話不足になるんです

その関係性の硬直を防ぐためには、意識的に話す場を設けることがとても重要と、内村さんは話します。


この話を聞いて、ふと自分のことに置き換えてみると…どうでしょう?

例えば自分の家族のこと。職場のこと。
親や子ども、上司や部下と、普段からしっかりと対話して互いを理解し合えているかと聞かれると、皆さんはどうですか?

自信を持って頷ける人は、そう多くはないかもしれません。

関係性や立場を越えて、実りある話し合いをするには、両者の境界線をほぐしてくれる第三者の存在が大きい。

そのための「ファシリテーター」なのですね。

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「会議中にふと、『この場に僕は必要か?』と考えることがあるんです。でも、目標を定めて、そこに向かうための道筋を整理して、それに向けて舵取りする人の必要性は確かにある。だから、こうして僕のような第三者が入る意義はあると感じています」

内村さんがやっているのは村の計画をつくる上での支援。

それを一言で表すと「伴走している感覚」と言います。

「個人からパッと出る意見を大切にしつつ、全体として戦略性を考えることが大切だと感じています。その場の思いつきだけではない、本当に必要な、意義のあるプランニングができるかが今後の鍵ですね。そのために、役場のコーディネーターの皆さんとともに仲間意識を持って、それぞれの地区から、村としての全体感を生み出していきたいです」

「自分も村を構成する一人」という感覚こそが、力となる

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椎葉に住んで3年が経った今、内村さんが改めて考えること。

椎葉村は、他の田舎に比べて『圧倒的に不便』です。でも、この不便さ』を本当に問題として感じている村民の方は少ないんじゃないかな。それよりも、不便さが残っていることで保たれてきた地域コミュニティの方が、ずっと魅力的で未来的だと思います」

椎葉に来る前、全国のいろいろな「田舎」を巡って見てきた土地のほとんどは、田舎といえども車で15分以内にコンビニがあるような便利な場所。
地域の人と関わる機会はあまり多くなく、「田舎の都会化・個人化」を感じてきたと言います。

「個人的なテーマとして『持続可能な暮らしってどんなものだろう?』ということをずっと考えてきた僕からすると、こういう田舎らしいコミュニティの在り方は、持続可能性の観点からもとても重要です。そういう意味で、椎葉村で地域の人と共同で暮らす感覚、この村は村民一人ひとりから構成されていて、自分もその中の一員だという感覚を持てたことは、他の場所では得られないとても貴重な体験なのではと、今になって思います」


総合計画は、
椎葉村民が村により住みやすく、ずっと住み続けられるための計画。


今年1年間は「仕事」として総合計画の策定支援に関わる内村さんも、その後の10年間は「村民」として計画推進の中で生活をしていきます。

自分自身も一人の村民として関わりやすいような計画づくりを意識することが、一番の指針になるのかもしれません。

中川note_ライター


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