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日々の余裕があること


無職になって、余裕があるって大切だなあ。
とつくづく感じるこの頃。


心の余裕。時間の余裕。お金の余裕。

余裕といってもいろいろあるけれど
わたしの場合は、時間の余裕が心の余裕に直結することが多いような。


たとえば常に時間に追われていた編集者時代、
道端の花をきれいだなあ。と思う余裕なんてなかったけど
急がずにのんびり歩けるいまは
少し立ち止まって眺めたり、花だけでなく空も眺めたり、虫の声を聴いたり、木の葉が色づいてきたことや、少し肌寒くなってきた秋の風を感じて
それだけで生きてるなあ。幸せだなあ。と感じられる。


時間に余裕があって心に余裕ができると
こんなにも見える景色がちがうんだなあ。
そんなことを思ってはうれしくなる。


お金の余裕については
お金はあったら選択肢が広がるから、あった方がもちろんいいけれど
お金があるから幸せになれるとは思わない。
わたしの場合はだけど、お金の余裕と心の余裕はそこまで直結してないことが多い。



現に無職のいまより編集者時代の方がお金があったけど、思い返してみてもあの日々が幸せだったとは到底思えないからだ。

日記を書く時間がなくて携帯のメモに日々を綴っていたけれど、
当時のメモを読み返すと
いまでも胸が苦しくなる。

こんなメモばかり残っている




毎日泣きながら通勤していたあの頃。
そんなわたしを一番近くで見ていた夫にも、
きっとたくさんたくさん、つらい思いをさせてしまった。
本当にごめんね。
もうあんな思いをしたくないし、させたくない。





編集者のあのときの方がお金はあったけど
お金のないいまの方が毎日幸せを感じて生きている。


夫におかえりなさいって言えること
時間をかけて作る料理
それを夫と一緒に食べること
散歩すること
季節の移り変わりを感じるとき
のんびりお茶を飲んでいるとき
花を飾ること
日記を書くこと
畳に寝転がってお昼寝すること
どんな風に生きていきたいか考えるとき
やってみたいことを考えるとき
本を読めること
ゆっくり湯船に浸かること
夫と同じ時間に眠れること

どれも小さくて些細なこと。
だけどいまはそんな日常の些細なこと、
すべてがうれしくて愛おしい。



わたしが会社を辞めたってだけで周りはなにも変わっていないのに、見える景色や過ごす時間はこんなにも違うんだなあ。と気づかされる日々。
自分の心に余裕があるってだけで、こんなにも。



これからも毎日ご機嫌でいたい。
自分も周りの人のことも大切にしたい。
やさしくいたい。


夫にそう話すと、こう言ってくれた。

「そのためにはまずmimiちゃんが幸せでないといけないよ。自分が傷ついてるのに人にやさしくなんてできないよ。
だからまずは自分を大切にしてね。」



本当にそうだね。その通り。
まず自分が元気で幸せに過ごすこと。
そのために日々、少しの余裕は持っていたい。



まだ心も身体も不安定で、
良くなった!と思いきや
外に出ただけで吐き気や過呼吸が止まらなくなって、突然外出ができなくなることがある。

買い出しに行けなくなって、料理が作れなくて
当たり前にできていたことができなくなることが不安でつらくて、夫に申し訳なくて
どうしてこうなったんだろうと自分を責めて涙が止まらなくなったり
仕事を辞めた自分を受け入れられなくて
早く働かなきゃと焦って余計苦しくなったり
そんな自分が嫌になることも多かったこの頃だけど
もうとにかく、本当の意味で元通りになるまで休むことが必要なんだと気づいてからは
何も考えずに休めるようになった。
仕事のことも、何がしたいのかも、未来のことも、いったんお預け。

すぐに転職転職!となれなくてもどかしい日々だけど
休むことで、これまで見落としていた些細なことにも気づけるようになって
わたしには必要な時間だったんだと思うことで
いまをゆっくり受け入れている。


激務のあの日々を経験してからは
お金を稼ぐために働こう。というよりは
お金を稼ぐために心の余裕がなくなる働き方をするのはやめよう。と思うようになった。


休んでる自分も受け入れて、また元気になったらのんびり歩きはじめようと思う。




のんびりゆっくり焦らずに。
日々の余裕を大切にしながら。




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