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お金って大事?なにが一番なの?


金曜日に飲み会があった。




目の前に座っていた上司は
自己啓発本やビジネス書が好きな意識高い系のタイプで、哲学的な内容、
例えば「きみたちは何のために仕事をしていますか?」というようなことを毎朝メールで発信するような人だ。



そんなちょっとひと癖ある上司が飲み会で目の前の席に座り、案の定いろいろと自分の考えを述べたり、こちらに質問してくる。
そのときに
「お金って大事なの?」と聞かれた。

こたえを試されてるような気もしたけど
いいこたえが浮かばず
「大事ですけど、一番ではないです」
とこたえた。

「じゃあなにが一番なの?」
と聞かれたけど、
これにも上手くこたえられなかった。
「お金は一番ではない」
と自分から言っておきながら
じゃあなにが一番なのか、自分でもよくわからなかった。


他にもなにかと質問されたけど、すべてにおいて我ながらつまらない回答だった。


上司との会話は案の定、
なんか疲れたな…という疲労感が残った。
上司もきっとつまらなかったと思う。



忘れて別のことでも考えたらいいのに
一人になった帰り道でも、上司の問いが頭のなかをぐるぐるまわっていた。


わたしにとってお金ってなんだろう。
わたしにとって一番大事なことってなんだろう。




上司の評価を気にしてるとか、上司と仲良くなりたいとかではなく(失礼)
自分のために、自分がいまなにを大事にしていて、なにを考えているのか知りたいなと思った。



わたしは今後の人生や、仕事について悩んでる。
編集者というこの仕事は好きだけど、
あまりにも激務なこの仕事を続けていくべきなのか、辞めた方がいいのか。
でも辞めてどうするんだろう。
なにがしたいんだろう。
毎日のように考えてるけどこたえはでない。


だからこそ、この質問のこたえを出すことは
今後の自分にとっての道しるべやヒントになる気がした。
めんどくさいで終わらせてしまうのではなく
この質問に向き合わないといけない気がしたし、自分のこたえが知りたかった。


まずお金のこと。
わたしにとってお金ってなんだろう。

これはわりとすぐにこたえがでた。
わたしにとってのお金とは
「選択肢が広がるもの。」



あったら選択肢が広がるから、あった方がもちろんいい。
だけどお金があるからといってしあわせだとも思わない。
もちろん、お金がないよりはある方がしあわせになれる可能性は高いだろうけど
それは使い方や人にもよる気がする。


わたしはというと、お金がなくても案外しあわせに生きられるタイプだと思う。

全然自慢できることではないけど、
無職やフリーターのとき、お金がないという事態に何度も直面した。
電気代を払うために漫画を売ったこともある。
無職でお金に困ったアラサー女の暮らしなんて、想像するだけでみじめだと思う。
なのにその暮らしはなぜかとても楽しかった。



食べものは安い八百屋さんで一週間分の野菜をまとめて買って料理したり、
本は図書館や中古で済ませ、欲しいものは本当に欲しいのかじっくり考えて、ひとつひとつ選んで買った。
そうして買ったものは、やっぱり買ってよかったと思うものが多くて大事にしていた。


余計なものを買わない(買えない)ので部屋には必要なものしかなく、スッキリと整理整頓されていてとても居心地がよかった。
自分の部屋でゆっくりと淹れて飲む珈琲は
スーパーで買ったなんでもない珈琲豆なのに
とても美味しかった。

冷蔵庫に入った作り置きにうれしくなったり、
散歩してる風に春を感じたり、図書館の空気が心地よかったり。
お金はないけど、生きてるなあ、と感じることが多かった。

質素で地味なその生活も、余計なものがない部屋も、その部屋に流れる時間もすべて好きで、
お金も物もなにもない(おまけに仕事もない)のに、なぜか心は満たされていた。
わたしはそういう何気ないことにしあわせを感じるタイプなのだと思う。


いまは正社員としてちゃんと働いていて、
無職やフリーターだったあの頃よりお金がある。
それなのにいまのほうがつらくなったり苦しくなることが多い。

お金はもちろん大事だけど、
お金を得ることによって犠牲にしてるものが
あまりにも多い気がする。



働いてるいま、無職のときのように季節の移り変わりを美しいと感じる余裕はなくなった。
散歩することも図書館へ行くこともなくなって
休日はただ家にいて、体力回復で終わってしまうことが多い。
新刊の本を買えるくらいにはお金に余裕があるけど、買った本は読む気になれず、何ヶ月も机に置きっぱなし。
深夜1時頃に帰宅するので、食事はコンビニや外食がほとんど。
料理は週末しかしなくなった。




そういう生活が続くと、自分は何のために働いて、生きてるんだろうと考えてしまう。
お金を得ていても自分や生活を大事にできていないから、あんまりしあわせだと感じられない。
無職のあの頃よりお金はあるのに、お金のないあの頃の方が楽しく、しあわせに生きていた。



少なくともわたしの人生では、という話だけど
お金と時間というのはなかなか比例しないなと感じる。
お金を得たら時間は少なくなるし、
時間を得たらお金は少なくなることが多く、
どちらも手にしたことは、いまのところない。


そしてお金と時間を天秤にかけたとき、
わたしの場合はお金よりも時間がある生活の方が楽しく生きられる気がするので
あんまりお金を持ってなくてもいいのかもしれない。
もちろん電気代が払えないほどの貧乏生活に戻るのはごめんだけど、
料理を作って、散歩して、本を読んで、珈琲を淹れて、たまに外食やお出かけができたらしあわせに暮らせると思う。


お金は大事だし、あったら選択肢が増えるものだとは思うけど、
わたしにとってはそれ以上でもそれ以下でもない気がした。


ではつぎの質問。
「なにが一番大事?」


この質問は難しい。
頭のなかでいつまでもぐるぐるしている。


パッと浮かんだのは婚約者だった。
だけど婚約者がいなかったら生きていけないのかというと、きっとそんなこともない。

もちろん婚約者がいることで人生はより豊かになったし、一番大切な人ではあるけど
わたしにとっては一人暮らしや独身も楽しくて豊かなものだったし、
婚約者がいたら自分の時間もお金も仕事も、
何もいらないかというと全然そんなことはない。


それなら時間?
これもたしかにそうかもしれない。
お金の話に続けるなら、わたしにとってお金よりは大事かもしれない。
だけど一番かというと…とまた悩む。


他にもいくつかのことが頭に浮かんでは消え、浮かんては消えを繰り返した。


そして最終的にこれかなあ…と思ったのは
「健康でいること」だった。


「健康」というワードが頭に浮かんだとき、
なんだかパッとしないなあと思った。
「健康第一」なんて。
サプリメントや生命保険の謳い文句みたいだ。


もっとかっこいいこたえがあるはずだと考えたけど、考えれば考えるほど、健康でいる以上に大事なことなんてない気がした。



忘れかけていたけど年末年始に体調を崩して身も心もボロボロになったとき、何事も健康の上に成り立っていることを痛感した。
仕事ができることも、大事な人と楽しい時間を過ごせることも、食事を美味しく食べられることも、心身ともに健康であってこそ。

身体でも心でも、壊れてしまったら働けないし、大事な人を大事にできなくなるし、ごはんだって食べられない。


身も心もボロボロになった年末年始、
婚約者や友達から何度も「健康が一番だよ!」と言われ、自分でもそうだなあと思ったことをすっかり忘れていた。


そして健康でいるには、ある程度の時間が必要だとも思う。
料理を作る時間、食べる時間、
ゆっくりと入浴する時間、
スキンケアしたりマッサージする時間、
充分に疲れをとる睡眠時間。

こういう時間は、つまり自分を大事にする時間なんじゃないかなあと思う。
自分を労って、癒やす時間。
自分に時間を使って自分を大事にすることが
健康につながる気がする。



無職のあの頃しあわせだったのは、
健康で時間があったから
なんだと思う。

だからわたしにとって一番大切なのは、
まず健康でいること。
そして二番目に時間と、生活できるくらいのお金と、仕事と婚約者。



本当は婚約者が一番大切だと言えたらかっこいいけど、健康じゃなかったらその婚約者を大切にできないし、
婚約者に負担をかけないためと、自分が自分でいるためにも、自分の仕事とお金は持っていたい。
人生をしあわせだと思える時間や自分のための時間を持つことも、
婚約者と同じくらい大切。

お金は選択肢が増えるもので、
一番大切なのは健康。
(そして健康でいるためには時間も必要。)


もし婚約者がいなくて一人暮らしだとしても、
この順番は変わらないと思う。


こたえがでたいま、少しめんどうだと思っていたあの上司とゆっくり話してみたい。
改めてわたしのこたえも伝えてみたいし、
そういえば上司のこたえも聞いてみたい。
そもそもどうしてあんな質問をしたんだろう?



それにしても一番大切なものが「健康」だとわかったいま、不規則で健康を害するこの仕事を続ける気でいるのはどう考えたって矛盾してる。

自分が今後どう生きていくか、
そのこたえを出すのには、まだまだ時間がかかりそう。



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