見出し画像

ここにいる意味


自分は何を望んで生まれてきたのか


人間は、生まれてくる前に自ら親を選び、前世でやり残したことを叶えるために新たな生を受けて生まれ変わるなどと耳にすることがある。

それでは、自分は何を目的にどんなことを成し遂げるためにこの世にこの場所で生きているのだろうか。

幼い頃から度々疑問を持ち、その時々の頭で考えたことがあるが、25そこそこではやはり答えは出ない。

学生時代は、家族にはお荷物だと言われ、サンドバックのように扱われ、常に母親の機嫌を取ることでなんとか人権を得ていた。

当時は、どの家庭も同じようで自分だけではないと思い込み、思い込ませるようにしてきた。
(事実、母親からは事あるごとに「あんたなんかより辛い思いをしている人は他にもいる。私だってこれまでの人生で辛いことしかなかった」 etc……)

というように洗脳も受けてきたから仕方がないのかもしれない。

しかし、学生時代から徐々に他の家庭を知るようになり、自身の家庭がいかに異常であったかという事実を突きつけられる経験を幾度となくした。その度に心が砕かれた。

もちろん、わたしの目からは恵まれていると見える家庭にもそれぞれの苦悩や葛藤が存在することは、理解しているつもりではある。

それでもわたしは、今後死ぬまで家族を恨むし、幸せな家庭で育った人たちを羨ましく思うだろう。

一時は、親も自分と同じく様々な過去や都合があり、失敗した過去を抱えた他人だと割り切って考えるようにしていた。

この世に完璧な人間など存在しない。同様に、完璧な親や子どもも存在しない。

だから、全てがしょうがなかったんだ、誰が悪いなどなく、その当時はそうすることしかできず、仕方がないことだったのだ。と。

赦したつもりでいた。


だけど、あのような家庭環境で育った身としては、予期せぬ場面でトラウマや今まで露呈していなかった傷が突如現れ、わたしを滅多刺しにする。
その都度、自身で自身を癒し、また日常を送れるように、人々の指す正常になれるように自分を取り繕って生きてきた。

その結果、明るく社交的で人望が厚いキャラクターが誕生した。
他人の病んでいるところなんて誰が見ても気を悪くするし、いつまでも被害者マインドで生きていたくなかったのだ。

だけど、本当のわたしには、極力人との関わりにはエネルギーを割かずに、静かにひっそりと暮らしたいという願望があった。
そんなわたしでも、心を開き、笑いながら楽しい時間を一緒に過ごすことができる友人は少なくともいたのでそれが救いだった。


社会人になり本当の自立を経験し、独りの時間が増え、考えることも増えた。
周囲が着々と次のライフステージを駆け上がり始めるのを横目に自身の生きる意味や自身の価値について思いを巡らせる機会が増えた。

まず、他の人たちのように生きることや将来について何のこだわりもないことに気がついた。
女性なら、生涯を寄り添いたいと思える人との結婚、出産、育児、家族円満な時間を楽しむこと、孫の世話etc…
上記のような人生を歩むのが望ましく、憧れに思う人は多いのではないだろうか。

それらがわたしには一切考えられない。想像ができない。叶えたいという気持ちも湧かない。

自分が成し遂げられるとも思わない上にその資格がないとまでさえ思う。

自暴自棄などからではないが、自分自身の人生もままならない状態で他人の人生の責任を負うことはわたしにはできない。

いくら愛する相手であれ、今後何が起こるか予測などできないからだ。

父が母やわたしたち兄弟を捨てたように相手にも捨てられるかもしれない不安(人の心はどうにも変えることはできないため)、
相手が先に逝ってしまう不安、
子どもができたとしてもわたしも母親のような毒親になってしまうのではないかという不安(毒親は連鎖するという研究結果が出ている)

そもそも愛着障害を克服できていないわたしが、なにをしても結局のところお荷物であることにはかわりはないのではないかという不安に苛まれる。

外では、気丈に振る舞い、気配りを徹底し、“いい人”でいることを常に心がけている。
そうでもしないと、わたしの価値は皆無だからだ。
なにかしらどこかしらで人の役に立ち、それを実感していないと生きている心地がしない。
自分の存在意義を感じることができない。


ここにこんなにつらつらと書き綴っているけれど、読んだ人に同情をさせたいわけでも、哀れに思われたいわけでもなく、
今の自分の心境を書き留めておかなきゃという思いが一番なのです。
でなければ、自分を保てないという思いまであるのです。


もし、同じような心境になったことがある方、現在進行形で同じような気持ちを抱えている方がいたら、
決して無理はしないで自分を労ることを忘れないでください。

逃げたい時は、逃げてもいいのです。

全てが壊れてしまってからでは手遅れです。

心身共に定期的に労り、時に慰め、よくやっているよと自分自身を褒めてあげてください。

「誰にでも生まれてきた意味はある」
そんなことは信じなくていいです。

わたしは、自分が生まれてきた意味の答え合わせは、きっと息を引き取る直前に分かるのだろうなと思います。

この人生において、出来るだけ自死という形を選ぶつもりはありません。

だけど、人生いつ何が起こるかわからないからね。

与えられたからには、この命を自分なりに目一杯使うつもりです。

もしかしたら、この先、生きていてよかった!もう少し生きてみようかな!と思える何かに出会う時が来るかもしれません。


その時のためにもう少し、あともう少しだけがんばってみようと思います。


ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら嬉しいです。本当にありがとうございます。


次回のNOTEはもう少し成長したわたしについて綴ることができますように…


—— mimi

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?