赦すということ
“赦す”という言葉を理解し、自分の中に落とし込むことができたのはここ最近のことだった。
側から見れば、複雑な家庭環境で生まれ育ち、
多感な時期に慣れ親しんだ環境から離れて生活をしてみたり、
自己のアイデンティティが形成されるまでの期間で様々な経験をしてきた。
当時の自分は、
その時々の状況や自分の置かれている環境を必死に理解しようとし、
慣れるということで精一杯なあまり
自身を俯瞰的に捉えることがまだ出来なかった。
その過程で何度も悩み苦しみ、
自分の存在価値が見出せなくなることさえあった。
だけど、いま思い返すとそれらの経験は決して無駄なものではなかった。
むしろ、それらの経験を経たからこそ得られたものは多いと感じる。
ここには、そんな自身の経験から培ったものたちの記憶と記録を残していきたい。
わたしにとって他者を”赦す”ということは、
決して簡単なことではなかった。
わたしを否定し、ぞんざいに扱う存在は少なからずいた。
だが、これまでの人生において本当に様々な経験を通し、
相手や自分の置かれている状況や背景、感情を
慮ることを体得することができた。
すると、ある時、
不思議と
まずは自分を”赦そう”という気持ちが芽生えてきた。
あの時、どんなにもがいても中々光が見えず、
過去や環境、トラウマのせいにして
苦しみ続けていたいたいけな自分を赦そうと。
そして、
「ひとりでよくここまで耐え抜いてこれたね」
と労いの言葉もかけてあげようと。
きっとあの時の自分を赦すことでいまの自分が救われる。
そんな気がした。
そう決めてからしばらく経つと、心がフッと軽くなりはじめ、
徐々に徐々に生き易さを感じられるまでとなった。
それからは、次第に身近な人々を”赦す”ことができるようになり、
今まで他者に対して感じていたモヤがすこ〜しずつ
晴れていく感覚を覚えた。
過去のしがらみや憎しみを持ち続けても
自分が負のエネルギーを帯びるだけで、
いいことなどなにひとつない。
過去に囚われず、相手や環境に対して
「きっとしょうがなかったんだ」
と割り切り、
“今”や”未来”に焦点を当て、
ひたすらに努力を続け、
自分の目指すレベルに達すること
それが実現できた時、
はじめて人としての成長を遂げ、自分自身に磨きをかけることができるのだと思う。
そして、それを継続できれば、
自ずと自分に自信がつき、自分を好きになれるのではないかという気づきに至った。
他者を赦すことが自己実現に繋がる
自尊心や自己愛が皆無に近いわたしにとってそれは革命的な発見であった。
また、人間は誰しも欠けているところがあり、
それをお互いが補い合って生きている。
一見、月並みな言葉ではあるが、これはまさに真理ではないだろうか。
わたし自身、生きている中で幾度となく感じることのひとつである。
近代社会において
“モノの時代”から”ココロの時代”へと変革を遂げ、
様々な側面での困窮が叫ばれる中、
少しでも人々が他者を”赦す” “赦そう”という心を持つことができれば、
社会、そして世界はもう少し暖かみのある場所になるのではないだろうか。
世の中に対し、過度な期待はしていないが、
そんな未来を少しでも夢見て
これから先も地道に
身近な存在や物事を”赦す”ことを続けていきたい。
—— mimi