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体の内側で感じるんですよ

今朝の記事で紹介した、ネドじゅんさんのエレベーター呼吸とともに、私が今行なっているのが「KASAMURAメソッド」という体感ワーク。
それは、こちらで紹介しました。

自分がセラピーとか、ヒーリングとかやっていたのにアレなんですが。正直言うと、私って上手く体感を感じることが出来ていなかった。

その理由も、今朝書いたのと同じ「思考」が優位になっていたため「感じているつもり」だったという。

ここまで思考過剰で、思考がよく働くのなら、肝心なときにもっと働けよって思う。

そんなことはさておき。

最近になって、ようやく私も感じられるようになってきたっぽいのだが、それは、ネドじゅんさんの動画にあった説明を聞いてから。

どの動画だったのか思い出せないのでリンクを貼れません。
説明もうろ覚えだけど、こんな感じ。

・体感を感じるときにも、自分の内側で感じること
・イメージにとらわれてしまわないこと

やってみると分かると思うけれど、イメージの中での体感を感じると、確かに思考にひっぱられる。→これが、感じているようで感じられていなかった、という私のパターン。

とは言っても「正解・不正解」を求めすぎると、これまた体感は感じられなくなるとのことなので、これはもう「数稽古」でやるっきゃないのだな。

(やるっきゃない!って・・・古すぎるにもほどがある・・)


さて、書き留めておきたいのはここから。

私には、なかなか抜け出せない金銭問題がある。体感を感じるKASAMURAメソッドを使って、それについて何度も何度もワークを続けていた。(他の手法ももちろん使ってきた)

が、なかなか現実は好転せず。
どころか、去年よりも現実は厳しくなり。

けれど、エレベーター呼吸との相乗効果があってか、ちょっとした変化があったのでここに記しておくことにした。


さて、私には「お金」にまつわる幼少期のエピソードで、強烈に記憶に残る場面がある。それは、幼稚園の年長くらいの頃のこと。


うちは自営業で、家にはいつも従業員さんが何人もいた。
従業員さんには、当然ながら給料日があって、子どものくせに私は給料がもらえる従業員さんのことが羨ましくて仕方がなかった。

「なんで、私は何ももらえないの?」

(いやいや、あなた働いてないし、子どもやし。幼稚園児働かせたらあかんし、そして何より給料とかなくても欲しいもの買ってもらえるやん?)

親も、従業員さんたちも困っていたと思う。
困り果てた母親は、私にお金をくれた。

だけど、だからといって「やったね!ありがとー!!」とは、ならなかったんだ。なぜなら、本当に欲しかったものは「お金」ではなかったから。

「お金」は、あくまで心の欲求の象徴であり、お金そのものを欲していたわけではなかった。当たり前だ。子どもだし、使い方もわからないお金をもらっても、心から嬉しいはずがない。

多分、この出来事があってから50年くらいは経っていると思う。

あの時、小さい体の真ん中にギューーっと押し込めた。全身全霊を使って、ギューっと押し込んだ。イライラする気持ちを。

子どもながらに「このまま出しちゃダメ。出したらお母さんは困る。お母さんを困らせてはいけない。我慢しなさい。」と。

この時の、なんだか分からないイライラする感じって、すごく不快。不快だから、感じないようにしながら生きてきた。それが生きづらさの一因でもあった。

そんな私は、気づけは50も半ばのおばさんで、現実はといえば経済的な問題から抜け出せずにいて。

で、数日前、ふと「あの時」の体感が蘇った。

ギューっと胸の辺りを掴まれる感じ。2歳くらい、自我の芽生えた子どもが叫ぶ「イヤーーーーっ!んぎゃーーーっ!」と爆発させる感じを、無理やり畳み込んで小さい箱に入れて胸の中心に入れた感じ。

その感じを、じっと感じ続けた。
感じるけど、特に変わらず。

また感じる。
でも、また特に何も変わらない。

「ああ、そうだ。ネドじゅんさんが ”体の内側で感じるんですよ" と説明していた」と思い出し、じっくり味わいながら感じ続けた。

そうしたら、母親に対する「私を分かって欲しい!」という気持ちが和らいでいくのが感じられた。と、同時に「私って、こんなにも恵まれていたんだな」という温かい気持ちが湧いてきて、泣けた。

その温もりを味わったところで、今回はワーク終了。

まだまだ感じ続ける旅路は続く。

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