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めぐり逢うため仕組まれた時間(とき)

あるクリニックでMRI検査の予約を朝9時に入れていたのだが、電車が遅れていた。予約時間の15分前に受付をするようにと言われていたので、かなり早めに家を出たのに、クリニックに到着したのは9時ギリギリだった。

クリニックの最寄り駅を降りると、家を出たときパラパラと降りだしていた雨が本降りになっていた。乗り込んだタクシーの運転手がこのあたりに土地勘がないのか、カーナビに住所を入力してもたどり着かない。近くまで来ていることはわかっていたので、途中でタクシーをおりた。

本降りの雨ですぐに足元はずぶぬれになった。傘を差しながらgoogleマップをたよりに、電柱やビルの入り口に記載された番地をたどった。大通りから細い道をいくつか分け入ったところの小さなビルにようやくたどり着いて、エレベーターでクリニックの受付階まで上がった。

到着の遅れを詫びながら、受付をしようとしたところ、衝撃の事実を告げられる。

「患者さまの予約は本日の17時からですが、今、受付されますか」

「え?」

「患者さまの予約は本日の17時からですが・・・」

「私は朝9時ときいて来たのですが・・・」

別の病院で渡された予約票を渡した。たしかに9時と書いてある。本来はある大きな総合病院で受ける検査だったのだが、そこの検査室では予約がずっと先になってしまうため、検査を専門に行う提携のクリニックで受けるようにと言われた。予約は総合病院とそのクリニックとの間で行われたもので、総合病院側から予約票を渡されていた。何をどうしたら9時と17時を間違えるのだろう。その日は土曜日で総合病院は休みだったため、確認のしようもない。

どうにかなりませんかとねばっても、17時ですの一点張り。隣町は東京一の繁華街なので、天気がよければ買い物したり映画を見たりして時間を潰すこともできるのだが、この雨ではそれも難しい。仕事が忙しかった時期でもあり、別の日に再度来るというのも避けたい。

そんなことを伝えたところ、事務の少し上らしき人が出てきて、12時なら予約の人が来ない可能性があるので、その人が来なければ受け付けるといわれた。ほかの選択肢はない。それを受け入れた。

8時間待つことに比べたら3時間ですんだことは幸運だったのかもしれない。でも朝から電車の遅れと本降り雨、乗ったタクシーが着かないだけでもグッタリなのに、きわめつけは予約時間の手違いと、不毛な仕事の徹夜明けのような疲労感に襲われた。

人間ドックで、脳の視床下部から出ているあるホルモンが正常値上限の3倍以上の数値に達し、一度、大きな病院で検査をしましょうと言われた。ただ、例年の検査でも数値は高く、特にそれによる自覚症状や生活に支障があるわけでもなかったので、こんな時間と手間をかけて検査をする必要があるのかという疑問がわいた。

12時半くらいになってやっと診察室に呼ばれると、ボサボサ頭の医師が看護師に手伝われて白衣を着ようとしているところだった。非常勤の医師が土曜日で寝坊して、今、到着しましたといった絵柄だった。今日はどこもかしこも、時間がおかしい。

MRIの撮影が終わり会計を済ませると、14時を回ろうかという時間になっていた。

外に出るとなんとか雨は止んでいて、歩いて隣町の繁華街に移動した。お腹が空きすぎてふらふらしたので、近くの何度か夜に訪れたことがある和食の店に立ち寄ってみることにした。ビルの地下一階の入り口には玉砂利が敷き詰められて、ちょっとした遣水と植物がうえられている。手入れの行き届いた店の様子に、それまでの徒労感がなぐさめられた。

しかし無情にも、14時のオーダーでランチは終了したと告げられる。ああ、今日は本当についていない。いつまでも迷路から抜け出せないネズミになったような気がした。

力なく地上に出ると、そのビルの一階に中古時計店があることに気がついた。店名をみると、知り合いが雑誌でこの店のビジネスモデルについて記事を書いていたのを思い出した。質流れ品などの高級腕時計を自社工場で職人たちが一からオーバーホールして中古品として販売している、高級腕時計の愛好者たちには知られた店なのだ。夜に訪れたときは、店が閉まっている時間で気がつかなかったのだが、昼の時間に来て初めてそこにあることを知った。

そういえば、腕時計を探していたんだ。

バブル経済のおり、父が会社の海外旅行でお土産に買ってきてくれた時計を、20年以上使っていたのだが、数年前のイタリア旅行で現地時間に合わせようと針を動かしたら、まったく動かなくなってしまった。30代の終わりあたりから、その時計では何かもの足らないような気もしていたので、新たなものをずっと探していたのだが、これというものが見つからなかった。

ここなら中古とはいってもきちんと手入れされた高級時計が、お手ごろな価格で見つかるかもしれない。

冷やかし半分で店の中に入ってみることにした。

入ってすぐの一階のショーケースには海外ブランドの高級時計が並んでいた。中古品で新品を買うほどではないが、相応の値段はするので、店員に声をかけられても、最初は「今日は見せていただくだけです」と身持ちを固くしていた。ところがスイスのあるブランドの時計に惹かれてショーケースから取り出してもらうと、二階なら新品でもっと色々な品があるのでご案内しますと言われて、うっかりついて行ってしまった。

その時計はブランドが独自にデザインした「ビザンチン数字」というフォントの文字盤で有名なもの。12個の数字は、縦長の丸い盤か四角い盤に配置されているのだが、角、長辺、短辺の場所によって、のびたりちぢんだりしている。そのシルエットがどうにもこうにも間伸びしているように見えた。ヒゲのような装飾が施されて数字はうらぶれた洋館に絡まる蔦のよう。

こう言ってはなんだが、そんな数字を見るたびに、時が歪んだ空間に迷い込んだかような気分の悪さを覚え、あまり好きにはなれず、検討対象に入ってこなかった。

しかし、気になった時計を実際に身につけてみると、縦長の四角い盤は大きく、そこに配置されたフォントも大きくて見やすかった。これをつけてみて気がついたのだが、それまでどの時計もピンとこなかったのは、文字盤の数字が見えにくかったからではないか。

女性用の腕時計は当然のことながら文字盤が小さい。フォントも細く小さく、色を淡くしていることが多い。小さくてうすい文字が見えにくくなり始めていた年代に入っていた私には、女性用ながらも文字盤が大きく数字そのものが見やすいこの時計が、初めて検討に値するものとなった。

文字の色はシルバーで、本来なら見えにくいのかもしれないが、文字が大きいため、それは気にならなかった。むしろ、シルバーであったために、気分が悪くなる時空間の歪みのような印象が弱まり、まっとうな数字に見えた。

ほかにもいろいろと見せてもらったが、やはり数字が見えにくかったり、気分が悪くなるような歪んだ文字に見えたりして、生理的に受けつけなかった。何より、惹かれてつけた時計は手首にフィットしただけでなく、身体の底の方から、これだ、これだと言っているのが聞こえた。

ここまでくると、あとは買うか買わないかの決断だけ。これは中古品ではない。並行輸入品だったが片手ほどもする高価なもの(とはいっても、そのブランドのなかでは一番格下の安価なシリーズだったのではないか)で、到底即決することはできない。今日はそんなつもりで来たわけでもないし・・・。帰るつもりで時計をはずそうと、バンドに手をかけたところ、ふと、ある光景がおでこのあたりでひろがった。

この時計をつけた女が、山を登ったり谷を下りたりしている。山や谷といっても、大自然のそれではなく、かなり抽象化された折れ線グラフのような山や谷だ。その次には白髪混じりのメガネをかけた女が、空港のラウンジらしきところでこの時計に目をやっている。そして立ち上がって、スーツケースを引いて旅立っていった。女は、見慣れたトレンチコートを着ていたから、たぶん何十年後かの私だろう。

ああ、私はこの先、この時計とともに生きていくんだ。だから今日、この時間、この場所に呼ばれたんだ。ホルモンが正常値上限の三倍以上に達したのも、総合病院で検査できなかったのも、今日のクリニックで予約時間に手違いがあったのも、下の店で食事ができなかったことも、みんなこの時計とめぐり逢うために仕組まれたものだったんだ。

「これ、いただいていきます」


「まさか本当に買うとはその瞬間まで思ってなくて。でも、出会ってしまったの・・・」

週明けて、職場の同僚とのランチで、興奮気味にこの顛末を語った。年齢に合ったいい買い物をしたねと褒めてくれたうえで、海外旅行でこういったものを買い慣れている同僚は冷静に言った。

「でも、それ、衝動買いっていうの、わかってる?」

「え?」

「ブランドものを買うときは、みんな、そう思うのよ。私が持っているこのバッグもこの靴もこの時計も、みんなそう思って買ったんだから。この出会いを逃したらもう二度と会うことはないかもしれないって」

「・・・」

「ブランドものを買うときだけじゃないわ。結婚とか、家を買うときとか、人は何か大きな決断をするとき、自分を納得させるために、それらしい理由というかストーリーが必要じゃない? 失敗やリスクのプレッシャーから自分を守るために、脳から出ているなんとかっていうホルモンがそういう幻想を見せているんじゃないないかって思うのよ。それに操られて本当に買っちゃうことを、衝動買いっていうの。まあ、そうでもしないと、なかなか人生、先へは進まないけどね。」

幻想って・・・。たしかにあの日、ホルモンが脳の視床下部から過剰に放出されている原因を突き止めるための検査に行ったけど、そのホルモンにやられちゃったのかしら?

別の日、ミーティングに同席した同僚が、新しい時計を見つけていった。

「思い切った買い物したわねー」

ここでも購入の顛末を、前回よりは控えめに語ったところ、マーケティングの専門家である彼女はこう答えた。

「やっぱりすごいわね、その会社のブランド戦略。今、マーケティングは消費者が商品を購入するための必然性、つまり、〝物語〟を用意することに躍起になっているけど、それを身につけた人が勝手に〝物語〟を思い描くなんて、ブランドの格が違うわ」

「・・・」

* * *

あれから数年の間、白髪頭というほどではないけれど、髪の分け目から白い短い毛がピコピコと顔をのぞかせるようになった私は、時計とともに飛行機に乗っていくつかの出張をこなし、いくつかの旅をした。

先年、家庭の事情で職を辞し、しばらく家のことにかかりきりになっているけれど、この時計をつけるたびに、背筋がシャンとして気持ちにスイッチが入る。

あのときは、脳内ホルモンによる幻想とか、ブランド戦略の〝物語〟に踊らされて、衝動買いしたと言われたけど、あの日から今日まで、ほかの時計を欲しいと思ったことは、一度もない。



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