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母子草の賦(連載第8回)

幼い姫がお家再興を目指す和風ファンタジーです。ヤングアダルト向けっぽい感じでしょうか。連載10回くらいで完結…の予定です。〈全文無料公開〉

  第六章  覚醒の湖
       1
 一同は、山に囲まれた湖のほとりに立っていた。絵図面には、最後の魔物がここにいると記されている。
 木々の柔らかそうな若葉の、つややかな緑がまぶしかった。出立の日からほぼふた月が経過している。
 湖を渡る風は、もう初夏のものだった。
『勝てるのだろうか』
 唇をかみしめ楓が湖面を見つめる。思いを察したかのように、勘吾はそっと楓の肩を抱いた。
「案ずるな」
 その手はがっしりと大きくて頼もしい。着物を通して肩に伝わるほのかなぬくもりが、楓を安心させた。
「一発撃ってみてくれ」
 勘吾の言葉に右京はうなずくと、水面に向かって火縄銃の引き金を引いた。ぴゅんという音と共に波紋が広がる。
 最初の波紋が岸に届かぬうちに水面が波立った。と、見る間に巨大な何かが水中から躍り出る。
 ざあっという音と共に盛大な水しぶきが上がった。顔に水がかかるのを避けようと、反射的に上げた楓の腕が止まる。
 楓は、呆然と声も出ぬままその姿に目を奪われた。身をくねらせ、悠然と宙を泳ぐ巨大な龍……。
 長さは三丈以上あるだろう。銀色のうろこが陽光を反射して、びいどろの首飾りのようにきらきらと輝いている。
 美しい龍はこちらを向いて咆哮した。途方もなく大きな口から吐き出された炎が、容赦なく襲ってくる。
 とっさに勘吾は楓を横抱きにし、転がって逃れた。ほんの一瞬だが熱風にほおをなめられ、楓は身体を硬くした。
「姫、下がっていろ」
 言いながら勘吾が槍を構える。右京が投げた手製の爆弾が、龍の腹に命中。真海は炎を繰ってその尾を焼いた。
 今度の魔物が、今までと比べ物にならないほどの強敵だということはすぐにわかった。圧倒的な力を待つ、五匹目の魔物……。
 気まぐれで横暴な龍は、せっかくの昼寝を邪魔されたのが気に食わなかったのやもしれぬ。このこしゃくな小さい蛆虫どもを、一匹残らずたたきつぶしてやるのだと、その目は怒りにらんらんと燃えていた。
 十蔵は手裏剣を投げ、右京も爆弾を何発も投げた。だが、それらは龍の怒りを高めるだけで、何の損傷も与えてはいなかった。
 さらに近づいてきた龍に、男たちは取り付き、それぞれの得物をふるった。しかし、龍のうろこは鋼のように硬く、それらをすべて跳ね返してしまうのだ。
 いくら攻めてもらちがあかぬと悟った勘吾は、すべるうろこを踏みしめて足場を確かめると、上体を思い切りそらし槍を投げた。風をきってまっすぐに飛んだ槍は、あやまたず龍の右目に深々と刺さった。
 龍は咆哮し、身をくねらせながら槍を抜こうとしたが容易ではない。炎を吐き、めちゃくちゃに暴れ始めた。
 惣右衛門に言われて、楓は湖から離れた岩陰に隠れ、固唾を呑んで勘吾たちの戦いを見守っていた。だが、槍が目に刺さった龍が暴れ出すと、跳ね飛ばされた岩がこちらにまで飛んで来始めた。
 もっと安全なところへ逃げよう。立ち上がって、何気なく空を見上げた楓はこおりついてしまった。
 龍の尾が、ものすごい勢いでこちらに向かってくるのだ。このままでは間違いなくやられる、逃げなければと頭ではわかっていても、身体がしびれたようになってしまい動くことがかなわぬ。
 見る見る近づいてくる銀色の光芒。数瞬後、確実に自分の命を奪うであろうそれは、しかし、とても美しかった。
 何の反撃もできぬまま自分は死ぬ。あまりにも悔しいので、せめて最後まで目を開けていようと楓は思った。
 しかし、 尾に打たれると思った瞬間、割り込んだ誰かに楓の身体は抱えられていた。勘吾である。
 ああ、少し汗のまじったひなたくさい、いつもの勘吾のにおい……と思った瞬間、ずしんと衝撃が襲った。
 楓は舌をかみそうになり、あわてて歯をくいしばった。勘吾の分厚い胸に抱きすくめられたまま、宙を飛びながらくるくると回る。
 一回、二回……五回。あとはもう数え切れなかった。
 突然回転が止まり、落下していく感触をいぶかしく思う間もなく、地面に勢いよくたたきつけられた。
 どんっ。痛みで息がつまる。
 小さいころ遊んでいて足を滑らせ、縁から落ちて胸を打ったことがあった。あれよりずっとずっとすごい。
「落ち着いて、大きゅう息をしてみなされ」
 当時の母の言葉を思い出し、楓はそろそろと胸をふくらませる。あばらは折れていないようだ。
 勘吾が下敷になって、しっかり抱きしめてくれていたおかげであろう。奇跡的にどこにも怪我はない。
 でも、己が盾になってかばってくれた勘吾は? 心配になった楓は急いで身を起こし、勘吾を揺さぶった。
 皆が心配そうな面持ちでこちらに駆けて来る。
「勘吾、しっかりせよ」
 目を開けた勘吾は、ゆっくりと優しい微笑を浮かべた。口の端からつうっと一筋、血がこぼれ出る。
「姫、怪我はないか」
「勘吾のおかげで無事じゃ。痛むか」
 心配のあまり泣き出しそうになっている楓を気遣って、勘吾はそ知らぬ顔でしらしらと嘘をついた。
「いいや」
 おかしいな、ふと勘吾は思った。昼なのにどうしてこんなに暗いのだ。さっきまであんなに日が差していたのに。
 それに寒い。このままでは凍えてしまいそうだ。
 あまりの激痛に声を挙げそうになるのをこらえながら、勘吾はやっとの思いで手を伸ばし、楓のほおにそっとふれた。
「姫……姫は笑顔が……一番かわいい……いつも笑っていてくれ……」
「勘吾?」
 楓が不安げに手を握りしめてくる。小さな手だ。姫はこんなに小さな手をしていたのかと思っていると、どうしたことかひとりでにまぶたが下がり始めた。
 いぶかしく思いながらも、勘吾は静かに目を閉じた。薄れゆく意識の中で楓がにこりと笑う。
『……ああ……その笑顔だ……姫……』
 楓がはっとする。握っていた勘吾の手からふっと力が抜けたのだ。まさかそのようなことが……。
「勘吾っ! 目を開けよ! 勘吾っ!」
 楓がいくら必死にゆさぶっても、勘吾はそのままだった。右京が勘吾の首に手をあて、かぶりをふる。
 その唇は、血がにじむのではないかと思うほどきつくかみしめられていた。勘吾に取りすがり、楓が声をあげて泣き出す。
 真海はその場に呆然と立ち尽くした。男たちが、がくりと膝をついて頭を垂れ、土くれを握りしめた。



 耳をつんざく咆哮に一同は我に返った。龍はすぐそこに迫っている。悲しんでいる暇はないのだ。
「ここはひとまず退こう」
 しゃがれた声で無念そうに惣右衛門は言い、まだ泣き続けている楓を抱きかかえるようにして立たせた。
「俺は残ります」
 真海の言葉に惣右衛門は目をむいた。
「何を申しておる。勝手は許さぬぞ」
 真海は己の不甲斐なさに、きりきりと歯ぎしりをしていた。自分が術さえ繰ることができれば、勘吾を死なせずにすんだのだ。
『俺が勘吾を殺したも同然だ。いや、俺が殺したんだ……』
 せめぎ合う絶望と悔恨の思いに胸が張り裂けそうだ。あまりの苦しさに、地面を叩き転がって泣きわめきたい衝動にかられる。
 だが、勘吾の死は厳然たる事実。真海の咎は消えぬ。
 かくなる上は、命を賭して闘うしか己に残された道は無いのだ。
「龍が姿を見せたときから、四つの玉が動き始めたのです。俺は玉を使ってあいつを倒します」
「やめろ」
 右京が兄が弟にするように、優しく真海の肩を抱いた。横から真海の顔をのぞき込む。
「お前の気持はよくわかる。勘吾が死んで俺だってつらい。でもだからこそ、無茶はさせたくないのだ」
 ひとことひとこと噛んで含めるように右京は真海に言い聞かせた。残りの者たちも、心配そうに見守っている。
 だが真海は、静かな声できっぱりと言った。
「これは、俺が修験者としてやらなきゃならないことなんだ。それで命を落としても俺は本望だ」
 なおも言いつのろうとしていた右京は、あわてて飛びのいた。真海が、自分の周りに炎の壁を作ったのだ。
「皆は逃げてくれ」
 真海の固い決意を知った一同にできることは、もはや見守ることしか残されていなかったのである。
「では、ひとまず退避しよう」
 無念そうな惣右衛門の言葉に、皆、沈痛な面持ちでうなずく。
楓は袖でぐいっと涙をぬぐうと、叫ぶように言った。
「私も残るぞ!」
「なりませぬ!」
 厳しい声音で叱り付けておいて、惣右衛門は久兵衛に目配せをした。久兵衛が、楓を素早く担ぎ上げる。
      *
 真海は勘吾の遺体の側にひざまずき、頭を垂れてしばし祈りをささげた。
『勘吾、俺の力が足らないばかりに……本当にすまぬ。許してくれとは言わない。姫のためにどうか力を貸してくれ』
 そしてあぐらをかくと懐から四つの玉を取り出して手のひらに載せ、両手で包み込むように握りしめた。
『さあ、始めるぞ』
 玉から拍動が伝わってくる。今はばらばらなこの拍動を、ひとつにすることができればあるいは……。
 呪文を授かっておらぬ半人前の自分にできるのは、『依り代』になることしかない。己を空にして――『無』となって――玉の力にすべてをゆだねる。
 いわば玉の力を一旦取り込み、放出するための器として真海がはたらくということである。だが力が解放されるとき、おそらく真海の身体は千切れ飛び四散するだろう。
 無論、命は惜しくはない。ただ、玉の拍動をひとつにして、力を取り込むことができるかということが問題であった。
 それが今の自分の手に余ることは充分承知している。だが、どうしてもやり遂げなければならないのだ。
 まずは落ち着くことだ。目を閉じ、気を集中する。
 呼吸はゆっくりと。丹田に力を込める。
 玉の拍動と、真海の胸の鼓動。五つの鼓動をひとつに……。
 龍の咆哮も、降ってくる石も気にならなかった。白い霧が立ちこめる、静かで閉じた世界に真海はいた。
『無の境地』と、我が師真衛様が申されていた。そこに至ることができれば、依り代となることがかなうはず。
 突如として、胸の鼓動が大きくなった。いや、違う。玉の拍動が微妙に変わり、胸のそれに合い始めたのだ。
 もう少しだ。真海は一心に気を集中させた。
 やがて、鼓動と拍動はぴったり一致した。と同時に玉が光を放ち始める。閉じたまぶたの裏で白い光が感じられた。
 胸が苦しい。身体が膨れ上がる。
 玉の力が真海の内に入り始めたのだ。
 やがて己の意識も力に取り込まれるだろう。そしてはじけ飛ぶ。
胸がますます苦しくなってきた。そろそろ限界だ。
 ちりちりとした感触と共に、身体中の毛穴が開いているのが感じられる。いよいよ力が解き放たれるときが来たらしい。
『……身体が……裏……返る……』
 意識が遠のく瞬間、ふっと身体が軽くなる。
 そしてそれは突然やってきた。先輩の修験者や真衛が言っていたように。
 ある言葉が頭の中に浮かび上がる。
 真海にはすぐにわかった。それが自分に授けられた呪文なのだと。待ちに待っていた降臨の瞬間がやってきたのだ。
 しかし喜びはなかった。それどころかその言葉に真海はうろたえた。そんな、でも、いや、まさか……。
 心の乱れを映して、玉の拍動がまた、ずれ始める。
『これはいかぬ』
 真海は慌てて呼吸を整えた。隻眼を見開き覚悟を決める。大きく息を吸い込んで、生まれて初めて口にするその言葉を絶叫する。

「おっ母っ!」

 その瞬間、白い閃光が炸裂した。
 思わず目をつむったが、どうしたことか真海の身体ははじけ飛ばなかった。呪文を授かったお陰なのであろうか。
『……俺は、生きている……のか……』
 ぼんやりとした表情で真海が空を見上げた。まばゆい光は白い柱となって、宙を一直線に駆けてゆく。
 そして光の白い柱は、大きく開いた巨龍の口から尾までを、あやまたず見事串刺しにした。
 ぐぉぉぉわぁぁぁっ!
 雷鳴のようなすさまじい咆哮が、あたり一帯に響きわたる。我に返った真海は手で耳をふさいだ。
 龍の全身がぱっと銀色に輝いたかと思うと、一瞬の後、耳をつんざくような音と共に爆発した。真海が素早く身を伏せる。
 爆風は、空気の振動となって大地に伝わった。大きな地震のようにゆさゆさと地面が揺れる。
 あまりの揺れに、身体が風に翻弄される木の葉のごとく転がってしまう。頭を抱え身を丸くして、真海は必死に歯をくいしばりながら耐えた。
 やがて永遠に続くと思われた揺れもようやくおさまり、真海はそろそろと身を起こした。身体のあちらこちらが痛いが、幸いなことに大きな怪我は免れたようだ。
 まぶたをぎゅっと閉じていたので目がかすむ。真海は目をこすりながら、何気なく空を見上げた。
『あれは、何だ?』
 しゅるしゅると音を立てながら、小さな光の塊が流れ星のように飛んで来る。あれよあれよという間に地面に到達すると、まるで意志を持っているかのように、真海に向かって真っ直ぐ転がってきた。
 龍は目を閉じ口を開け、頭をこちらに向けて長く伸びている。今頃になって腰が抜けたものか、玉を握り締めながら真海はへなへなと座り込んだ。
『五つ目の玉だ。ついに手に入れることができた。俺は、俺は……とうとう……やったんだ……』
 五つの玉を胸に抱え、真海は呆然と座っていた。自分が成し遂げたことが信じられないのだ。
「真海っ!」
 楓が抱きついてきた。
「怪我はないか?」
「え? ああ……大丈夫だ」
 いきなり抱きつかれたのにも驚いたが、顔を上げたら近くに楓の顔があってものすごくびっくりした。自分と楓のほおとほおが、ほとんどくっつきそうな距離だ。
 真海は、玉を抱いたままあわてて立ち上がった。胸がどきどきするしほおが熱い。きっと真っ赤になっていることだろう。
『俺としたことがなんというざまだ』
 楓の長いまつげと日の光に金色に輝くほおの産毛が、まぶたにくっきりと焼きついていた。なぜ、俺はこんなにうろたえているのか。
 自分の反応に戸惑いを覚えながら真海がふと顔を上げると、右京がにやにやと意味ありげに笑っていた。
『違うぞ』
 思わず心の中で真海はつぶやく。
「やったな、真海」
 久兵衛が、どすんと勢いよく背中をたたいた。真海がたまらずよろけるのを、十蔵があわてて支える。
「加減しろ。そなたのように肥えてはおらぬのだぞ」
「や、これはすまぬ」
「ご苦労でござった、修験者どの」
 右京が唇の端で笑う。惣右衛門が顔をくしゃくしゃにして真海の肩を抱き、空いたほうの手で背中を何度もぽんぽんとたたいた。
      3
 龍が目を開いた……。
 真海は五つの玉を胸に抱き、皆を背中にかばう。龍はそろりと頭をもたげるとぶるぶる振った。
「わしはいったいどうしたのだ」
 地の底から響いてくるような、いんいんとした低い声。しかも理性が宿っていることがうかがわれる、静かな口調である。
「何も覚えておらぬ」
 龍は金色の目で真海を見つめた。右目に刺さっていた勘吾の槍はいつの間にか抜け落ち、傷も跡形もなく消えている。
「教えてくれ、人の子よ。何があったのだ」
 真海の話を聞いて龍は深いため息をついた。
「どうやらわしはその玉に操られていたらしい。散策のついでにここに寄って、湖の主らしい大きな鯉を食った。覚えておるのはそこまでだ……その男――勘吾と申したか――には、まことにすまぬことをしてしもうた」
 龍はそこで言葉をきり、悲しそうな目をして頭を下げた。
「せめてものわびの印に、真海、そちにわしの鱗をやろう」
 首をさしだす。
「あごの所に、逆さに生えている鱗があるだろう。それを取れ」
「しかしこれは、逆鱗……」
 ためらう真海に、龍はふふふと笑った。逆鱗とは、龍の喉元に一枚だけ逆さまに生えている鱗のことである。
 この鱗に触れると龍は激高し、触れた者はたちまち殺されてしまうという言い伝えがあるのだ。
「心配するな。怒ってそなたを食ったりはせぬ」
 真海が、おそるおそる鱗の端に両手の爪を引っ掛けて力をこめる。かちり、と音がして、意外とあっけなくはがれた。
 鱗はひんやりとしていて非常に硬かった。手のひらよりもふたまわりほど大きく、銀色に輝いている。
「火を出してみろ」
 いぶかしく思いながらも、龍に言われたとおり、真海が人差し指の先に火をともす。いつもならろうそくの炎くらいの大きさであるのに、いきなり巨大な火柱となって、天に向かって勢いよく噴き上がった。
 皆は飛びのき、真海はしりもちをつく。
「すごい」
 真海は、引っくり返したり逆さまにしたり、日の光にかざしたりして、改めて鱗をしげしげとながめた。
 龍が目を細め、優しい表情でふっと笑う。
「首からぶら下げておけ。術の力が高まる」

いよいよ次回で完結!!! どうぞお楽しみに!!!

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