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母子草の賦(連載第5回)

幼い姫がお家再興を目指す和風ファンタジーです。ヤングアダルト向けっぽい感じでしょうか。連載10回くらいで完結…の予定です。〈全文無料公開〉

   第三章  哀嘆の沼
      1
 魔物退治の旅を始めてから十日が過ぎた。その間につぶれていた楓の足の豆も治り、歩くのにも大分慣れたように思われる。最近は、あまり勘吾の肩に乗らずともすむようになってきていた。
 道端に花でも見つけたのか、急に駆け出した楓を目で追いながら、しかし勘吾はなんとなく寂しかった。思わずため息をつきそうになる。
「久兵衛は神様に何を願うのじゃ」
「もちろん、殿様でも食うたことがないような山海の珍味と酒をくだされとお願いする。そう言うお前は金だな、十蔵」
「決まっておろう。右京は女か」
「ああ。たくさんの美女が住まう大きな屋敷を所望するつもりだ」
「俺に聞くなよ」
「なぜだ」
「まだ決めておらぬ。もしかすると、その時になっても決まらぬやもしれぬな」
「欲がないのう、勘吾は。それならば金を欲しいと願え。絶対に金にしろよ。金にしておけば間違いはない」
 丸い目を大きく見開き、口から唾を飛ばして十蔵が力説する。勘吾は苦笑しながら真海に尋ねた。
「お前はどうするのだ?」
「目を元に戻してくだされと」
 いつもに似合わず少し口ごもって答えた真海の頭を、勘吾は優しい微笑を浮かべ軽くぽんぽんとたたいた。
「それはよい願い事じゃ。よしっ、皆で力を合わせてがんばるぞ!」
 叫びながら勘吾が右手の槍を高々と振り上げる。十蔵たちも拳を突き上げ、雄たけびを上げた。
 絵図面に示された次の場所は湿地帯であった。つる性の植物が地面をはい、一足歩くごとにじわりと水が染み出してくる。
 さらに進むと植物は水草のようなものに変わり、足の指の間から少しあたたかくて柔らかい泥がうにゅうにゅとはみ出るのだった。
「姫はここでお待ちくだされ」
 楓はたちまち表情を険しくさせ、勘吾をにらみつけた。
「なぜじゃ」
「木の葉の魔物のときのように、姫を危ない目にあわせとうはない」
 ぐったりとした楓の血の気の無い青ざめた顔を思い出し、勘吾の胃ノ腑がきゅっと縮んだ。あのような思いをするのはもう二度とごめんだ。
 だが勘吾の気持ちとはうらはらに、たちまち例のごとく楓はまなじりをきっとつり上げた。
「馬鹿を申すな。私は皆と共に行くぞ。これは空知の家のための闘いじゃ。己だけ身の安全をはかろうとは思わぬ」
「いや、しかし……」
「家来の分際で、私に指図をするとは無礼千万」
 何とか楓を説得しようとする勘吾に、惣右衛門がゆっくりとかぶりを振る。楓が胸のところで腕を組み、勘吾を睨んだまま傲然と胸をそらせた。
 こうなってしまったらもう為す術はないのだ。
『やはり姫は、俺の手には負えぬ』
 勘吾は深いため息をついた。
      2
 ぼこん、と大きな泡がはじけた。みるみる地面が盛り上がる。
 それは身長が勘吾の三倍、横幅は久兵衛の五倍以上もある、目も口もない泥の巨人だった。蜘蛛の子を散らすように全員が逃げる。
「しまった!」
 勘吾は歯ぎしりをした。巨人に追われて逃げ込んだ湿地帯の中央部は、非常に柔らかい泥で覆われていて、たちまちのうちにふくらはぎまで沈んでしまったのだ。
 足を抜くのにかなりの力を要する。踏ん張ると太ももまで泥に沈んだ。ゆるやかな底なし沼になっているのかもしれなかった。
 とっさに勘吾は小柄な十蔵を持ち上げ放り投げた。身が軽い十蔵が空中でくるりと一回転し、すとんと着地する。
 勘吾の意図を察した惣右衛門は楓を、久兵衛は真海を、それぞれ安全地帯へと放り投げた。十蔵が地面に転がりながらうまく受け止める。
 しかし、勘吾たちは反動で腰まで泥に埋まるはめになってしまった。
「くそっ!」
 右京が泥の巨人に向かって火縄銃を放った。だが、弾はいたずらにぷすりとめりこむだけで、当の巨人はびくともしない。
 舌打ちをしながら、右京が今度は爆弾を投げた。耳をつんざく轟音がして、巨人の胸に大きな穴があく。
「やったぞ!」
 男たちは顔を見合わせ歓声をあげた。しかし、巨人は身をかがめると地面の泥をすくって胸に塗りつけた。またたく間に穴がふさがる。
 近付く巨人に勘吾は槍を突き刺し、それを手がかりに巨人の身体によじ登った。肩に上がり、めちゃくちゃに槍を突き刺したが何の効果もない。
 やがて巨人がうるさそうに腕を振った。はじき飛ばされて勘吾は泥の中に落下し、胸まで埋まってしまった。
 勘吾たちの苦戦を見ながら、楓は歯噛みをした。ただ傍観することしかできぬ己が非常に腹立たしい。
 このままでは埒が開かぬ。どうすれば泥の巨人を倒すことができるだろうか。必死になって楓は考えを巡らせた。
「あやつにも、何か弱点があるはず……あっ!」
 突然叫んだ楓に、何事かという表情で真海が振り向く。
「真海! 水を出せ!」
「水?」
 十蔵がいぶかしげにこちらを見た。
「泥は水に溶ける」
 隻眼を見張った真海は大きくうなずくと、目を閉じ、深呼吸をした。唇を舌先でちろりとなめる。
 森での戦いのときはぱりぱりに乾燥していたが、今日は大丈夫のようだ。
『よいか、落ち着け。二度と失敗は許されぬぞ。これ以上姫に大きな顔をされるのは癪であろう』
 心の内で己に言い聞かせながら、両腕を広げ高く差し上げる。
「水よ、出でよ!」
 叫ぶと同時に、真海の両手の先から勢い良く水がほとばしり出た。
『やったぞ! 水が出た!』
 思わず歓声をあげそうになるのを抑える。急いで真海は手を組み水流をひとつにすると、まずは巨人の右腕をねらった。
 肩の辺りがみるみるうちに溶けて腕が地面に落ちた。泥しぶきがはね上がる。あわててそれを拾おうとする巨人の左腕を再び水流が襲った。
 両腕を失った巨人が泥の中にもぐって逃げようとした。そうはさせじと、真海が足を攻撃する。
 ほどなく巨人が腰から上の姿となり、地面に倒れ伏す。なおもその身体は容赦なく水に溶かされていく。
 盛大に泥の飛沫が上がり、皆泥まみれになった。だが誰も文句一つ言わず固唾を飲んで成り行きを見守っている。
 やがて巨人は完全に消失してしまった。一同がどよめき、顔を見合わせ安堵の表情になる。
「やれやれ、助かった。よくやったぞ、真海」
 やっとの思いで泥から抜け出した勘吾はふと眉をひそめた。泥の上に何かが転がっているのだ。
 近づいてみるとそれは土を焼いて作った人形だった。手渡された真海が軽く目をつむる。
      *
「あんちゃん、腹減ったよう。家に帰ろうよ」
 べそをかいている三つ違いの妹と手をつないで歩きながら、兄は唇をかみしめた。村では飢饉が続いていた。食べるものはとうに底を尽き、木の根や草の根まで掘り起こしてかじり、人々はやっとのことで飢えを満たしていた。
 そんなある日、父親が言ったのだ。きょうだいのうちの末のふたりを、海辺の村に住む親類に預けると。
「海には魚がたくさんおる。食うには困らねえ」
 海というものをまだ見たことがなかった。川のうんと大きいのだと聞かされたけれど、まったく想像がつかない。
 そこにはたくさんの魚が泳いでいるのだ。口の中に唾液があふれた。妹のためにも魚取りを覚えなければ。
 ところが、村を出てから二日目の朝。目覚めると父親の姿は消えていた。
 どこかへ用事を済ませに行ったのだと思い、動かずにじっと待つ。口減らしのために捨てられたと気が付いたのは、もう日が高くなってからだった。
 家に帰ろうと思っても道がわからない。父親が自分が迎えに来てやるから、覚えなくてもよいと言ったのだ。
 それから三日間、食べ物をさがして歩き回ったが、ひとかけらも見つからなかった。物乞いをしようにも盗みをしようにも、人家も畑もなかったのだ。
 冬のはじめでは、自然の恩恵も期待できない。水しか飲んでいないふたりの空腹は極限に達していた。
 妹は後生大事に粗末な土人形を抱いている。父親がずっと前に、町で土産に買ってきたものだ。
 餓死することを承知で父親は俺たちを捨てた。兄は人形を地面にたたきつけて、粉々にしてやりたい衝動に駆られた。
「あんちゃん! あそこ! 団子が、ほら! あんなにたくさん!」
 突然妹がうれしそうに笑って指をさす。しかしそこはただの湿地帯で、もちろん団子などありはしなかった。
『くそっ、腹が減りすぎて幻を見てるんだ』
 兄はくちびるを噛み、妹の手をとった。
「あれは幻だ。団子なら後であんちゃんが買ってやる。さあ、いくぞ」
 だが妹は、いきなり兄の手を振り払って駆け出した。
「おい! 待て! 待てったら!」
 兄は舌打ちをし、妹を追いかけた。空腹のため足が思うように前に出ず、やっとの思いで妹をつかまえた。
「こら。あんちゃんの言うこと、ちゃんときかなきゃだめだろ」
 妹がこくりとうなずく。
「くたびれたよう。あんちゃん、抱っこ」
 半べそをかきながら妹が手を伸ばす。泣きたいのはこっちだと思いながら、兄は妹を抱き上げた。
 たちまち腰まで泥の中に埋まる。
「なんだこれ」
 泥から抜け出ようと、兄がもがいた。するとなぜかさらに身体が沈んで、胸まで漬かってしまった。兄の顔から血の気が引く。
「しまった! 底なし沼だ!」
 ずっと以前、爺様に聞いたことがあったのだ。妹がしがみついてくる。
「あんちゃん、こわいよう」
 だが、もう遅かった。幼いふたりはひしと抱き合ったまま、泥の中へずぶずぶと沈んでいったのである……。
      *
 真海は人形を乾いた草原にそっと置き、ぬかずいて長い間祈った。久兵衛がぽつんとつぶやく。
「ふたりとも、腹をすかせたまま死んでしもうたのだな」
 久兵衛は懐から油紙の包みを取り出した。中に入っていた握り飯をふたつ、人形の側に供える。
 飢餓の恐ろしさを久兵衛は知っていた。そして、妹を飢えさせてしまった兄の辛さと無念も……。
 人形を土に埋めようとした真海は、あっと声をあげた。人形がふたつに割れて玉が出てきたのだ。
      3
「勘吾たち四人は、どのようにして知り合うたのだ。幼友だちか」
 ふたつ目の玉を得た日の夜、木の枝に刺して焼いたウグイをかじりながら、楓が興味深そうに尋ねた。
「いいや。たまたま同じところで戦働きをしておったのが縁で。たしか、宮部とか言うておったのう」
「そうそう、俺は食い物と酒がうまいというのにひかれて」
「俺は給金が良いところ」
「気の利いた女子がようけおった。勘吾は?」
「何とのう」
「また勘吾の得意技よ。『何とのう』」
 久兵衛が笑って、豪快に魚と飯を口へ放り込んだ。
「俺たちのような下っ端は、最前線で戦うゆえ死ぬやつも多い。数が減るからどんどん雇い入れる。そんな中で、怪我ひとつせずいつも元気でうるさいのがおるなあと、気にはなっておった」
「俺もじゃ」
「そのうち戦場でも見かけるようになって」
「そうそう。おぬしらの周りに幾人も敵が倒れておって、ほう、けっこう腕が立つのじゃなと思うた」
「部屋を互いに行き来するようになったのは、ちょうどその頃からかのう」
「そうじゃな。一緒に酒を飲んだり、飯を食ろうたりする仲になった」
「仲良うなってから、共に戦うことにしたのよな」
「おう。背中を向けて戦える仲間がおるのは、ほんにありがたいことよ」
「背中を向けて戦えるとは、どういうことじゃ」
 楓の問いかけに答えるため、惣右衛門は地べたに小さな丸を書き、それに沿って小石を四つ並べた。
「戦場では、敵は四方八方から攻めてまいります。背中に目はありませぬゆえ、一番こわいのは、背後からの敵ということになるのです」
「わかった。四人が背中合わせになれば、どこから攻められても防ぐことができる。そうであろう? 爺」
 目をきらきらさせている楓に向かって、惣右衛門が微笑む。
「それは兵法上のこと。もっと大切な意味がござる」
「大切な意味?」
 いずまいを正し、厳かな声で惣右衛門が言った。
「背中合わせで戦うということは、相手に背中を預けるということ。背後の敵は友が必ず防いでくれる。そう信じることのできる仲間でなければ預けられぬ」
「信頼できる大事な仲間ということか」
「そのとおり」
 膝を抱えてしばらく考え込んだ後、楓が真海に尋ねた。
「そなたにも仲間はおるのか」
 相変わらず真海の応えはそっけない。
「寺の修験者は、皆仲間じゃ」
「私にはおらぬ」
 相変わらず顔をしかめ吐き捨てるような口調だが、楓のその声音はどこか皆をうらやんでいるように感じられた。
「お姫様に仲間ってのはちょっと難しい気がするよな。身分が違うし」
 枯れ枝を折ってまめまめしく火にくべながら十蔵が言った。今夜は少し肌寒いので火をたいているのだ。
 十蔵の慰めも通じなかったと見え、楓はつまらなさそうに枝で火をつついている。勘吾が微笑んだ。
「まあ旅の間、姫の仲間は俺たちということで」
「わかった。そなたらで辛抱する」
 ぶすっとした表情のままで枝を火に投げ入れる。ぱっと炎が上がって楓の頬を赤く染め上げた。
「辛抱とは、まことにありがたきお言葉」
 右京が皮肉っぽくつぶやいた。
      4
 子どもたちと惣右衛門が寝てしまったあと、男たちは火の回りでごろごろしていた。勘吾が感慨深そうにあごをなでる。
「しかし、お前たちとの付き合いも長いのう。もう五年になるのか」
「そのくらいよな」
「年も近いし」
「背格好は違うな」
「うるさい」
 さっそくかみついた十蔵に、右京がからかうようにくちびるの端を持ち上げにやりと笑った。。
「なぜ怒る。俺は何もお前がちびだとか久兵衛がでぶだとか言うておるわけではない」
「言うたではないか、今」
「まあまあ、ふたりとも」
「勘吾はいつも仲裁役じゃな」
 くしゃりと久兵衛が笑った。十蔵は口をとがらせたままである。
 右京が真顔で勘吾を見つめた。
「勘吾よ、もったいないとは思わぬのか」
「なんのことだ」
「なぜ仕官せぬ。誘われておるのに」
「その言葉は、そっくりお前たちに返す」
 おどけた調子の勘吾の物言いに、右京は静かにかぶりを振る。
「俺たちは主持ちは向かぬ。一匹狼の集まりじゃ。だがおぬしには、人の上に立つ器量がある」
 右京はいったん言葉を切ると、噛んでいた草をぺっと吐き出した。
「俺は勘吾の家来にならなってもよい」
 十蔵と久兵衛もうなずいた。勘吾が人の好い笑顔を浮かべる。
「おだてても何もでぬぞ。俺は今の暮らしが一番性に合っておる」
「欲がないのう。感心するわ」
「お前がありすぎるのだ、十蔵」
「なんだと」
「おいおい、いい加減にしろ」
 勘吾が十蔵と右京に軽く小石を投げる。久兵衛が太鼓のように膨らんだ己の腹をなでながら言った。
「しかしよう考えると、欲がのうてその日一日が無事に暮らせればよい勘吾が、魔物退治をしようなどと思うたのは妙じゃな」
「俺もそう思う」
「なぜだ?」
 三人に見つめられて勘吾が首をかしげる。
「なぜと言われてもなあ。なんとのうとしか答えようがない」
「また勘吾の得意技が出たぞ『なんとのう』」
「つまらぬ。もう寝よう」
 たちまち眠りに落ちた仲間たちの寝息やいびきを聞きながら、勘吾は目を開けていた。苦笑がおのずとくちびるにのぼる。
『魔物退治をしようと思うたは姫の力になってやりたかったからだ、などと答えたら、はてさてこいつらに何と言われるやら』
 しかし不思議だった。なぜ自分は楓のことを、こんなにいつも気にかけてしまうのだろうかと。
 顔立ちは整っているが、楓はいつもつんけんしていて攻撃的だ。久兵衛と十蔵は苦笑しているし、右京は小生意気な餓鬼だとよくぶつぶつ言っている。
 だが勘吾にはそんな楓がなぜか痛々しく見えるのだ。そっと抱きしめてやりたくてたまらなくなるときがある。
『ひょっとして俺はおかしいのだろうか……』
 それとはまた別物だとは思うのだが、言い切る自信を残念なことに今は持ち合わせていない。
 ここまで考えたところで急に眠気が襲ってきた。大口を開け、ふわふわとあくびをする。
 もう寝よう。元来あれこれ考えるのはあまり得手ではない。
 いつも一瞬で判断し行動してきた。そうやって生き延びてきたのだ。
 だからあの時、楓の力になってやろうと思ったこともきっと間違いではないはずだった。勘吾は手でさぐって槍の感触を確かめると、静かに目を閉じた。

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