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母子草の賦(連載第1回)

幼い姫がお家再興を目指す和風ファンタジーです。ヤングアダルト向けっぽい感じでしょうか。連載10回くらいで完結…の予定です。〈全文無料公開〉

 第1章  母子草
   1
 昨日までの冷え込みが嘘のようにあたたかい日だった。春の日差しがやわらかく降りそそぐ。
 あたり一面に母子草が群生していた。黄色の花に埋もれて、男が昼寝をしている。仁王を思わせる六尺越えの大きな身体に似合わず、子どものように無邪気な寝顔だった。
 年配の武士と少女が近づく。ふたりとも旅装であった。
 少女は、気品のある非常に美しい顔立ちをしていた。だが、青味がかった大きな瞳は、利かぬ気そうに輝いている。
「これ! 姫!」
 年配の武士が止めるのも聞かず、少女は可憐な黄色い花を容赦なく踏みつけながら男に近づき、今摘み取ったばかりの花を鼻の穴に思い切り突っ込んだ。
「へっくしょい……うわっ!」
 花を引き抜きながら、男が勢いよく跳ね起きた。槍をつかんだ右手の筋肉が膨れ上がっているのが着物越しにもわかった。すでに臨戦態勢である。  
 だが、少女は臆することなく胸をそらせた。
「銭は払う。家来になれ」
「はあ? 誰だ、お前」
 相手が子どもだとわかって、安心したらしい男はあぐらをかき、目やにでもついているものか、ごしごしと乱暴に目をこすった。色は浅黒く、切れ長の目が涼やかで精悍な顔つきだ。
 さらに、あごの辺りの骨格がしっかりしていた。大仰に顔をしかめてはいるものの、目は笑っている。
「私は空知(そらち)の姫、楓(かえで)」
『空知』という言葉が小さなとげのように、男の記憶に引っかかる。どこかで聞いた名だ。しかも最近のことである。
 思い出そうとして、男は眉根を寄せた。
『確か……そう、三日前のことであった。戦勝祝いの酒宴で、誰かが言っていたのを耳にしたのだ』
「空知は、風間輔正の軍勢に滅ぼされたと聞いたぞ。三日ほど前だ」
 双方の力は互角ゆえ、勝負は五分と五分、おそらく持久戦になるであろうという予測は覆された。裏切り者がいたのだという。
 そやつらが内応して城に火を放ったと……。
 城は落ちた。そして城主以下、見事な最期を遂げたことも聞いたのだ。
楓は頬を朱に染め、猛然と男に詰め寄った。
「滅んではおらぬ! 私が生きておる。これから空知の家を再興するのじゃ。だから家来になれ。銭は払う」
 やれやれという表情で、男がさとすように言う。
「銭を払えばよいというものではない。頼み事をするには、それなりの作法があるのではないか?」
 楓が小馬鹿にしたように、「ふん」と鼻でせせら笑った。
「身分が対等の場合にはな」
 男は思わず絶句した。なんと無礼な言い草であろう。
 相手が男なら、問答無用で叩きのめしているところだ。しかし、幼い女童ではそうもいかぬ。
「むうう」とうなりながら、男は行き場のなくなった拳を、いまいましそうにぐりぐりと地面に押し付けた。
「いや、すまぬ」
 年配の武士が穏やかに割って入った。鷲鼻で、白髪の混じったまゆ毛の長い、やせて長身の男である。
「姫は口が悪うて」
「のようだな」
「悪気はないのじゃと言いたいところだが、性(しょう)はもっと悪い」
「ほほう」
 年配の武士はすっと背筋を伸ばし、いずまいを正した。
「こちらは空知良親(そらちよしちか)様の五女、楓様じゃ。十になられる。わしは傅役(もりやく)の立花惣右衛門(たちばなそうえもん)」
「五十七の爺じゃ。お迎えが近い」
 間髪を入れずに憎まれ口を叩いた楓に苦笑しながら、男も名乗る。
「織部勘吾。歳は二十五」
「まずは話を聞いてくれ」
 惣右衛門の言葉に、勘吾はうなずいた。
    2
 十日前のこと――。
 石垣をよじ登り、風間の軍勢が城内になだれ込んで来た。味方は精一杯応戦しているが、城が落ちるのは、もはや時間の問題であると推察された。
 内応者一派があちこちに放った火は消し止めることがかなわず、天守にもきな臭いにおいが漂い始めている。雄たけび、怒号、悲鳴、そして甲冑や刀が触れ合う音が、だんだん近付いて来ていた。
 城主・空知良親は、窓から下を眺めた。風間の旗印に埋め尽くされている。城はすっかり敵に囲まれてしまっていた。
 祖父が築いたこの城が落ちるのは、歯噛みをするほど悔しい。しかし、もはやどうあがいても仕方のないことなのだ。
 かくなる上は見事に果てる。自分にはもうそれしか道は残されていないことを、良親は知っていた。
 戦乱の世のならいとして、良親も常に死と隣り合わせで生きてきた。とうに覚悟はできている。心は鏡のように平らかだった。
 ただ、空知の家が断絶するのだけはどうしても避けたい。冥土で御先祖様に顔向けができぬ。
 唇をかみしめた良親の前に、階を上がってきた小姓が膝を突き、頭を垂れた。
「殿、楓姫様が参られました」
「父上!」
 楓が走り寄る。ほおが紅潮していた。後ろには、惣右衛門がひかえている。
 良親は楓の肩に手を置き、目を見つめた。楓もまっすぐに見返してくる。
『大きな目は、母ゆずりじゃな』
 ふっとなごみかけた良親の目の光が、再び鋭くなった。
「楓、わしが今から申すことをよう聞け」
「はい」と応える楓の表情に緊張が走る。
「城はもうすぐ落ちる」
 無言で楓はうなずいた。
「父と兄たちは城と運命を共にするが、そなたは逃げよ」
 楓が目を見開き絶句する。しかし一瞬の後、良親にとりすがらんばかりになって、必死の形相で叫んだ。
「嫌でございます! 私も父上や兄上のお供をいたしまする!」
「ならぬ! そなたには、果たさねばならぬことがあるのだ」
 娘の懇願を、厳しい声音でぴしりとはねつけた良親は、懐から藍色の古ぼけた小さな巻物を取り出した。
「わが家に伝わる絵図面じゃ。ここに描かれているそれぞれの場所で五匹の魔物を退治し、その証となる五つの玉を持って、神のおわす山に登れ」
「神様?」
 差し出された巻物を小さな両の手で受け取りながら、独り言のように楓がつぶやく。良親は噛んで含めるように言った。
「玉を持っていけば、ひとりひとつずつ願いをかなえてくださる。楓、そなたは空知家の再興を願うのだ」
 惣右衛門が、はっと息を飲む気配が伝わってきた。楓がはじかれたように勢いよく顔を上げる。
 その双眸には、十歳の女童とは思われぬ強い光が宿っていた。良親が、楓の目をじっと見つめながら無言でうなずく。
『そう、それでこそ我が娘。年端もゆかぬ女子のそなたに、苦難の道を行かせる父を許せ……』
 あたりがますますきなくさくなってきた。うっすらと、煙も漂い始めたようだ。
 急がねば、楓を落ちのびさせるのが難しくなる。
 良親の合図を受けて、小姓が、捧げ持っていた大きな皮袋を、惣右衛門に差し出す。
「惣右衛門、この銭で供の侍を雇え。楓をしかと頼んだぞ」
「はっ!」
「楓、家の命運はそなたにかかっておる」
「はい! 必ずお言いつけを果たしまする!」
 楓が唇をかみしめ、うつむく。
『泣いてはいけない。私は強いのだから』
「楓」
 目を上げると、膝をついた父の顔がすぐ側にあった。
「……父上」
 良親が楓を固く抱きしめた。無骨で大きな手から父のぬくもりが、着物を通して背中に伝わる。ほおにひげが当たった。
『こうやって父上に抱き締めていただくのも、これが最後……』
 懐かしい父のにおいを、楓は胸いっぱいに吸い込んだ。
 良親がすっくと立ち上がった。楓に向かってにこりと笑う。
「さらばじゃ」
「父上!」
 すがろうとする楓にくるりと背を向け、良親が甲冑を鳴らしながら大またで歩き去った。近習たちがあとに続く。
「姫、参りましょう」
 立ち尽くしている楓の肩に、惣右衛門がそっと手を置いた……。
   3
「俺に魔物退治をしろ。と、そういうことなのだな」
 勘吾の言葉に、惣右衛門が静かにうなずく。
「どうじゃ、引き受けてくれぬか」
 勘吾はあぐらをかいたまま空を見上げ、ぽりぽりとあごの下をかいた。
「首尾良くいけば、そなたも神様に望みをかなえていただけるのだぞ」
「……ふうむ」
 勘吾が無造作に花をちぎる。親指と人差し指でくるくると回しながら顔を上げると、楓と目が合った。
 両の拳を握りしめ、少し上目遣いで勘吾をにらみつけている。
『大きな目だな』
 十になるとと聞いたが、ずいぶん小柄だ。身体つきも華奢で細い。
 その上色が抜けるように白かった。まあおそらく、お姫様というのは、皆そういうものなのだろう。
 勘吾は主を持っていない。六尺を越える体躯と腕を売りに、銭で雇われてはあちらこちらの戦に加わっていた。
 稼いだ金でうまい物をたらふく食い、酒を飲み、気が向けば女を買う。銭が無くなると、また槍働きに出る。
 先のことを考えることのない、今が楽しければよいという若い独り者ゆえの気楽な生活であった。
 四日前まで戦場にいたのだ。当然銭はまだたっぷり残っている。三月(みつき)は充分遊んで暮らせるだろう。
 訳のわからぬ、しかも危険と苦難が伴う魔物退治などする必要はさらさらない。好き勝手な暮らしを送ることができるのも、命があってこその話なのだ。
 空知家の滅亡に関しては、武士の端くれとして、気の毒だと思う。だが、だからといって家の再興に力を貸さねばならない義理はないのだ。
 ここはさっさと断ってしまうに限ると口を開きかけたとき、ふと、楓の足が目に入った。慣れない草鞋で豆でもできたものか、何本かの指に巻かれた布切れには、あちこち血がにじんでいる。
 その瞬間、にわかに勘吾の心は変わった。なぜそうなったのか、己でも言葉ではうまく説明できぬ。
 とにかく、この気が強く可愛いげのないお姫様の力になってやろう。唐突にそう思ったのだ。
 勘吾は勢いよく立ち上がった。
「まあ、今はさしあたってせねばならぬことも無いゆえ。お受けいたそう」
「かたじけない!」
 惣右衛門の顔がぱっと輝く。一方楓はふくれ面で、地面を思い切り蹴とばした。
 土くれと一緒に、ちぎれた母子草が跳ね飛ぶ。
「雇われる気があるのなら、もったいぶらずにさっさと返事をいたせ」
 たしなめようというのだろう。惣右衛門が「姫」と言いながら楓の袖を軽く引く。しかし、楓はうるさそうに振り払った。
「ご無礼を仕りました」
 丁寧に頭を下げた後、勘吾は大口を開け、天を向いてからからと笑った。たちまち楓が眉をつり上げ食ってかかる。
「何がおかしい」
「いや、なかなかに頼もしい姫御じゃ」
 楓はぷいとそっぽを向き、吐き捨てるように言った。
「行くぞ。勘吾のお陰で時を無駄にした」
 威勢のよい口調とはうらはらに、痛そうに足を引きずっている。勘吾はひょいと楓を左肩に担ぎ上げた。
「おろせ!」
 楓が身をよじる。
「このほうが楽でござろう」
「己の足で歩く!」
 楓に胸を蹴られながら、勘吾は涼しい顔である。
「姫、これも俺のお役目のひとつなれば、どうぞこのまま」
「そこまで申すならば仕方がない」
 楓が肩の上で傲然と胸を反らせる。勘吾と惣右衛門は顔を見合わせ、楓に気取られぬようにやりと笑った。〈次回へ続く〉

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