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ここにいていいんだ、と思えた場所

先日、用事があって卒業した通信制高校の近くを訪れていました。

通信の他にも全日・定時の課程がある学校なのですが、平日の昼間にも関わらず生徒の姿が見当たらなかったので、どうしたのだろう・・・と思いつつも、当時と変わらない校舎を見ると、いろんなことを思い出しました。


時を遡って、わたしが高校生の頃のこと。


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中学校を卒業して、初めは全日制の高校に進学しました。同じクラスで仲が良くなった4人組で放課後、駅の近くでお茶をしたり遊んだりして、何の変哲もない学校生活を送っていました。

ですが、1学期の終わりが近づくにつれ、登校できない日が増えていきました。



というのも、中学3年のときに父が亡くなり、日も浅いうちに家を引っ越して住まいも変わりました。

そして同級生のほとんどが幼稚園からの顔なじみだった中学を卒業し、進学した高校のクラスに知り合いは誰一人といない。

そんな立て続けに起きた環境の変化に耐えられず、うつを発症していたからです。

薬の副作用で体が重く朝起きられない、そのうちに生活が昼夜逆転して夜は眠れない、だから朝起きられない・・・の繰り返し。

「また今日も学校へ行けなかった・・・」

「日常生活すらまともに送れない」

「何で、どうして、頑張れないのだろう?」


精神的に限界を感じ、復学を前提に年度末まで休学することになりました。つまり、この時点で留年が確定。



翌年の4月、まだ本調子ではありませんでしたが復学しました。当然のことながらクラスメイトは全員1つ年下で、自分だけ年上です。

クラスの子に出身中学を聞かれたとき、たまたま相手の子が同窓の後輩で、気まずい雰囲気になったことがあります。無理もないです、みんな歳が同じで当たり前という認識ですよね・・・。


社会に出てからは年が違う人と一緒に働くのは当たり前のことですが、当時はものすごい、狭い世界で生きていたのだなぁといま思います。視野が狭いと、やっぱり苦しい。
苦しいから視野が狭くなるのか、
視野が狭いから苦しくなるのか。




復学は自分自身で選んだこと。でもやっぱり、心のどこかで居心地の悪さを感じていました。

こころの中の葛藤や苦痛を当時の自分はうまくキャッチできず、それは時に、希死念慮という形へ変わりました。なんとか学校生活を送っていた4月の終わり頃、ある事故を起こしてケガを負い、1か月半ほど入院することになってしまいました。


退院後も必死で通学していましたが、すぐにまた登校できない日が続き、このままでは退学になってしまう。そんな瀬戸際にいました。


でも体が痛い。

心が苦しい。

もう、がんばれない・・・。


生きているだけで辛かったです。
眠ることで意識を絶とうとしても、寝付けないし、寝たら寝たで悪夢にうなされる。

何も感じないでいることが、こころを休められる方法でした。



そんなときに、通信制の高校があったことを思い出しました。毎日通学しなくても、家で自分のペースで勉強していけるのなら自分でも通えるのではないか?

なんとか高校は卒業したいという藁にもすがるような思いの元、その高校を受検した結果、無事に転入学が決まりました。その年の10月に入学です。

しかし、ここでも体調が不安定で思うように学習が進まなくて、またしても進級できず・・。このことは

「自分はダメな人間だ」
「生きていても意味がない」

・・と自分の不甲斐なさや羞恥心、劣等感に拍車をかけていきました。




翌年の4月。もう後がないと心の中で相当思い詰め、焦燥感にかられつつも再々度1年生からスタートです。

このとき中学の同級生はもう3年生で、進路を考え出している時期。自分が人よりも遅れていることに激しく劣等感を抱いていましたが、「人は人、自分は自分」とはっきり線引きして、劣等感を直視しないようにしていました。

線引きというよりも「ふたをしていた」という言い方のほうが近いかもしれません。そうでもしなきゃこころが持ちませんでした。



通信制の学習は主に自宅などでのレポート作成ですが、月に数回行われるスクーリングへの出席も必須になります。


スクーリングで登校したときのこと。
今でも覚えています。

クラス制だったのでHRの時間に指定の教室へ行くと、色んな方がいました。

現役の子やわたしのようにいくつか年上の子、お子さんを連れた男性、きっちりとスーツで身を固めた30代くらいの方、外国の方などなど。

また、自分のクラスではありませんでしたが、一番年上だと60代の方がこの高校を卒業されたという話を後で聞きました。


自分がその場にいても違和感がない
それぞれの事情はわからないけれど
みんな違う、それでいい
ここにいてもいいんだ

居場所を見つけられた気がしました。


そのことにより地に足が着いたようで、勉強にも身が入るようになり、心身の痛みは変わらず付いて回りましたが、一進一退を繰り返しながらも前へ進んでゆくことができました。



そして最初に高校入学してから5年、やっと卒業までたどり着きました。そのときわたしは20歳。長かった。

今思えば、無理に復学しようと躍起にならなくとも、もっと人に相談して、早い段階で違う道を選んでいればよかったのかなぁ・・とも考えてしまいますが、今さら否定してもどうしようもありません。結果オーライということにしておきます。


ただ、心残りがあるとすれば、クラスの人ともっと交流しておけばよかったなということ。当時はこころを固く閉ざし過ぎていて、スクーリングに行っても誰かと話したことはほとんどありませんでした…(苦笑)


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今こうして過去の出来事として眺めてみると、やっぱり、「自分はここにいてもいいんだ」という気持ちを持てることの大切さを実感します。


高校卒業したあとの色んな人との関りの中で「わたしはここにいていいのだろうか?」「わたしはここにいてはいけない存在だ」という自動思考がつきまとっていた時期がありますが、そんな自分でも受け入れてもらえる環境や人と出会ったことで、少しずつ和らいでいる気がしています。



noteの世界もその場所のひとつです。

ここには考え方も、年齢も、住んでいる場所も違う色んな方がいる。ひとりひとり、違う人生がある。それに、どこかこころの深いところで繋がっている感じがする。

みんな違う。それでいい。

他者との違いを認めることは、自分自身のことを受け入れるということに繋がりました。


noteを始めてよかった。

あたたかく包み込むような世界を作りだしてくださる、ここで繋がることのできた多くの皆様に感謝しています。


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