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#45 8月9日は死者を悼む日

こんばんは、Mikuです!

昨日の長崎原爆投下の日を踏まえて、メディアはいかに報じるのかということが気になって、普段読んでいる朝日新聞に加えて、西日本新聞、毎日新聞、讀賣新聞を自分で買って、戦争関係の記事には一応目を一通り目を通しました。(普段からできるほどの財力はないですが)
私は基本的にテレビを見る習慣がないのと、新聞の方が好きなので新聞の方を選びました。
(本当は長崎新聞が一番読みたかった…)

新聞記事を書くのは人間なんだなって、読み終わった後に感じました。どういうことかというと、記者さんが実際に感じたことや、新聞社としての風潮のようなものが新聞社によって異なるし、特に原爆関係のややセンシティブな話になるとその傾向がさらに現れてくるように感じたからです。

ちょっと過激な言い方になるかもしれませんが、私はこの戦争や平和に関する話を都合よく拡大解釈した上で、政治や社会批判にすり替えたり、議論のある種のツールとして使ったりすることもあまり好きではありません。もちろん、考えることや「対話」することは必要ですが、解釈を歪めてまで議論する(自分の意見をぶつけ合う)のは違うと認識しています。

原爆で亡くなった方々やその遺族は何を望むのでしょうか。未来に目を向けることも大切ですが、8月6日と9日は単純に亡くなった方を悼む日、平和を祈る日であって欲しいなと思っています。(そのための日だと私は解釈しています。)未来の話なんて、正直いつでもできますし。むしろ、普段から核の平和利用とか国際情勢と核の問題とかには向き合ってくれればいいのにとまで思っています。

去年までは、ほぼ第三者、今年からは遺族(の端くれ)となったからこそ、このように思えるのかもしれません。

具体的にどこの新聞がよかったとは、なかなか甲乙つけがたいといった具合でした。また、人によってものの見方が変わるので、ぜひこの機会に、いかに心動かされるのかも含めて、記事を書いた人たちが発信せんとしてことは何かに触れて欲しいです。

Auf Wiedersehen!

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