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2021年ブックレビュー『セールスマンの死』(アーサー・ミラー著)

ピューリッツァー賞を受賞した米国現代演劇の名作、アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」は、胸をいく度もつかまれるような気持ちにさせられる。人生の負け犬となって自死するセールスマンのウィリー・ローマンが自分自身のような気がして、ゾッとするのは私だけではないだろう。また、この演劇作品が発表された70年も前に、アーサー・ミラーは資本主義社会の限界を予見していたと知り、目を見張った。

<あらすじ>

敏腕セールスマンだったウィリー・ローマンは老いて60歳を過ぎ、セールスの成績はさっぱりだ。妻のリンダからは家のローンや車や冷蔵庫の修理代が必要だと聞かされ、お金の悩みは尽きない。さらに、高校時代はフットボールの花形選手だった長男のビフが定職についていないことも大きな悩みだ。女好きで見栄っ張りの次男ハッピーも、成功者とは程遠い。

ウィリーは長距離の運転が困難になり、雇用主のハワードに内勤を願い出るが、解雇されてしまい、誇りだった仕事を奪われる。ビフは人生の一発逆転を狙って知人に借金を申し出ようとするものの、相手はビフの顔も覚えていない。全てに行き詰まるウィリー。ビフは、自分たちが成功者になる夢は実現不可能な幻想だとウィリーに告げるが、彼は決して認めない…。

<最近の上演>

最近では、KAAT神奈川芸術劇場で2018年と2021年1月に長塚圭史演出、風間杜夫主演で上演された。風間杜夫さんは、怒りっぽくて、混乱した感情をコントロールできなくなるウィリーを巧みに演じていた。若く働き盛りの頃の回想シーンは一変して明るく自信に満ち、かえって痛々しい。

<作品の魅力>

何と言っても、アーサー・ミラーが設定した主人公ウィリーの「価値観」だ。ウィリーにとってセールスマンとしての成功の秘訣は「愛嬌をふりまいて人に好かれる」こと。そして、昔からの「人脈」。かつては敏腕でも、老いて繰り言が多くなったウィリーは、取引先から相手にされなくなる。

戯曲の中では、ウィリーが何を売っているのかは明かされていない。彼が売っているのは、切り刻んだ自分自身であってモノではないのだ。また、父親の価値観を押し付けられた長男ビフもうまく生きられず、勝ち組にはなれない。それが、父と息子の不和の原因になっている。

一方で、ウィリーの友人として登場するチャーリーは堅実に商売を続けており、裕福な身分として設定されている。彼の息子バーナードも、弁護士として社会的に成功している。花形フットボール選手として人気者だった高校時代のビフや当時のウィリーが馬鹿にしていたにもかかわらず、だ。ウィリーの家族はチャーリーのファミリーと比べれると、社会の完全なる「負け組」として鮮やかに描かれる。

ウィリーのもう一つの価値観は、回想シーンに登場する兄ベンの生き方だ。ベンは若い頃、アラスカで金鉱を掘りあてて成功者となる。ウィリーはベンにアラスカ行きを誘われたが、同行しなかったことを後悔している。博打のようなベンの生き方、アメリカンドリーム的な生き方に老いてなお、憧れを抱いているのだ。

ウィリーの追いかけていた実体のない夢や成功、地位。彼の人生は社会の中で、虚しいだけなのか。競争社会で敗れた人間は、独り立ちできない息子のために、保険金を目当てにして命を断つしかないのか。貧困と格差が広がった現代社会にも、無数のウィリーが存在するのだろう。

ウィリーが死んだ後、ローンを払い終わった家が残る。家族のために身を粉にして働き、完済したのに、自宅には住む人がいないのだ。それこそが、資本主義社会を象徴しているようであまりにも哀しい。






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