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粋生き

5月の初旬、ファシリテーターの友人と自然の中で駄弁ろうよの会をしたとき、「ハッとさせられることがいっぱい。いろんなひとにケンゴの問いかけを知ってもらいたいなぁ。」という感想を彼からもらった私はとっさに、言い訳をした。

私は何かを達成した人間ではなく、まだ何か奥に向かって歩いていってる道中だから、後進を育てるだとか啓蒙だとかはテーゼに掲げるべきではないと考えてる、だとか。

ウェブやマスのメディアは伝達が一対多になる構造上、文脈や意図の共有が不十分になり、大事なところが伝わらない、都合良く切り取られてしまう、といったことが起きる、だとか。

ふと思いを巡らせると私淑する人たちは、書籍を出版するなど自らの考えを世に問うことに取り組み、すべてが願ったように社会には受け入れられなかったとしても、少ないかもしれないが共鳴した何人かに良い影響を与えていっている。
その知性が、知性ある人たちに認められている。

せめて、狂気に飲まれず正気を保つような生き方を、私自身がしようとしていることぐらいは、発信したらいいのではないか。

目に映る人たちに幸せでいてほしい。自分自身がみごとに生ききった、と言えるような人生を送りたいというのが今の偽らざる、私の想いだ。
世界を変えようとか、多くの人を動かす影響力を持ちたいだとか、は無い。
ただ何人かには、私がどういう人間なのかを、愚かさも含めて知っておいてほしい。

日々の慌ただしさに忘れてしまいそうになる大事なこと。
記憶にとどめておきたいこと。
忘れていたけれども、思い出したこと。

よく見せようとか抜きに、読みづらくないぐらいのほどほどの体裁で、書きとめていこうと思う。

「覚えておく」「思い出す」といった趣旨でマガジンを名付けようと探し見つけた recollect(一生懸命思い出す。それに伴う感情もともに思い出す。といった意味合いがある)という言葉がぴったりだと思い、そう名付けることにしました。 
https://kimini.online/blog/archives/24072

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