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「明日の美術館をひらくために」

「美術館再開日記」、ひとくぎり。3月から9月までの半年、コロナ禍に揺れる世田谷美術館の日々だ。日記の抜粋に、解題エッセイをくっつけた。これまでの自分の仕事をまとめる本をつくるなら、「再開日記」は最終パートかな、いや意外と冒頭かな、と楽しく妄想する。今の仕事や職場を辞めるわけではないが(たぶん)、直感を頼りにとっちらかった頭で20年やらかしてきたことは、まとめどきだと感じている。そして「次」に行きたい。どこかはまだわからない。

※「美術館再開日記」はマガジンにしてある。マガジン、便利。


今日からアカウント名はフルネームにした。そして新しい連載(たぶん)。題名はまだない。日記なのかエッセイなのか。続ければ見えるのだろうか。noteはそういう曖昧なものにいずれかたちを与える仕組みがあるのが、いいと思う。まずは記録映像「明日の美術館をひらくために」のことから。


2020年10月17日、初冬の寒さ、冷たい雨。待望の記録映像「明日の美術館をひらくために」公開。

8月27日に非公開で本番を行なったパフォーマンス「明日の美術館をひらくために」。17,000人近くが来場した「作品のない展示室」のクロージング・プロジェクトだった。その記録映像を撮ってくださったのは、映画監督の杉田協士さん。だいぶ長いおつきあいである。今、目の前で起こっていることに出会う、それが映画をつくることであり見ることだ、と考えているような方。


プロジェクトの全体像についてはこちら↓


公開前日の夜、杉田さんのお誘いで、映像の重要な仕上げ作業のひとつである「グレーディング」に初めて立ち会った。写真で言えば、レタッチにあたる。と、ざっくりいえばいいのだろうか。これが面白すぎてびっくりした。とんでもなくクリエイティヴな作業。

残されている記録データのなかから、色、という観点でよりよい真実を探りあてる。技術と映像読解力とセンスが三位一体。仕事が完成した瞬間に、その人の存在感は消える。最初からそうでしかあり得なかったようにして、映像の姿が差し出される。クリエイティヴすぎる黒子が、そこにいる。

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↑インスタ(setabi.performance)にアップした写真。右にいるのが「クリエイティヴすぎる黒子」、田巻源太さん。左が杉田さん。
田巻さん、2年前のブログに、俳優の故・大杉蓮さんとの味わい深いエピソードを綴っている。高校生のとき、無謀なる自主映画に出演してもらってからのこと。




「塚田さんはこういう作業面白がるかも」と見抜いて誘ってくださった杉田さんには、感謝しかない。そのあと、いっしょに晩ごはんを食べながら、久々に話し込んだ。

今、目の前で起こっていることに、本当に誠実に向き合い、出会いながら何かを創っていくことは、とても難しい。私自身のことである。何度も失敗している。緻密なシナリオは書くがいつでも捨てられるように、ということ。

20年、美術館で仕事をしていて少しはマシになった(と思いたい)。と同時に、何かを生み出すたび、たくさんのひとに許してもらっているからできるのだ、とも、しみじみ感じる。至らなさ不甲斐なさ、不格好なエゴを許してもらっている。
ありがとう、ごめんなさい。創造にはそういう「謝」の痛みが隠されている。

それはともかく、映画監督の作品(杉田さんの「記録映像」は「作品」だと私は思っている)は、やはり大きなスクリーンで見たいものだ。全然違うのだ。杉田さんの作品といえば、「作品のない展示室」の最後でもひとつ上映した。「風が吹く限りずっとーーブルーノ・ムナーリのために」(2018年)。↓

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年明け、1月か2月に、上映会でも企画できればいいのだが。杉田さんとはもっといろいろ話したいし、いろんな人に聞いてもらいたい。テーマはやはり「目の前で起こっていることに出会うこと」だろうか。

彼には、今までさまざまな現場を撮ってもらってきた。展示室を使う身体表現のワークショップシリーズ「誰もいない美術館で」、建築空間と対話するパフォーマンスシリーズ「トランス/エントランス」、そして今回のクロージング・プロジェクト「明日の美術館をひらくために」。そういう、「目の前で・・・」というテーマに関わるいろんな映像を見ながらのトーク。まあちょっと考えてみよう。

映像公開日、自分へのご褒美的に、美術館のカフェでおいしいスイーツを食べた。「カボチャのカタラーナ」という名前だった。


※杉田協士さんは今、『春原さんのうた』という新作を創っている。noteにもそのいきさつを少し書いている。公開される日が待ち遠しい。


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