愛にあふれた義母の名言集
義母と話していると、
「ああ、こうやって神のように優しい旦那が育ったのか…」と感じることがある。
そんな義母の、印象に残った言葉たちを、
今日は書きたいと思う。
***
①猫はただ、猫でいるだけだよ。
うちの猫は、
紙を噛みちぎって、シュレッダーのようにして遊ぶ。
それを見て、「Naughty cat(悪い子だね)」と
(冗談で)言っていた義父に、
義母は、
「She is not naughty. She is just being a cat.(悪い子なんかじゃないよ。猫はただ猫でいるだけだよ)」
と言っていた。
「猫はただ猫でいるだけ」、
「猫はただ猫として生きているだけ」。
その言葉がとても印象に残った。
家を走り回って部屋をめちゃくちゃにする子も、
悪さをしているわけじゃなくて、
「ただ子どもとして、”子ども”でいるだけ」。
人前では口数が少ない私も、
「ただ私として、”私”でいるだけ」。
そんなふうに、まるまるっと受け入れられたら、
いろんなことに癇癪を起こさずに済みそうだし、
そうなふうに、まるまるっと受け入れてもらえたら、
「自分らしくいていいんだ、無理をしなくてもいいんだ」
と思えそう。
***
②食べられる野菜だって、こんなにたくさんあるね!
8歳になる姪っ子が、
「この緑の野菜嫌い!食べたくない!」
って言って、
義母が作ったサラダのほとんどを残していた。
わたしは、
「義母はなんて言うんだろう。
”体にいいんだから食べなさい!”
”美味しいから少しだけ食べてみたら。”
”残念だけど嫌いだからしょうがないね”
こんな感じの返事かな?」
とか考えながら見守っていたんだけど、
甘かった。
義母の返答は、予想を上回って、
すばらしかった…!!
「そっか。ほうれん草とかロケットサラダとかの緑の野菜は嫌いなんだね。じゃあ、どんな緑の野菜なら食べられる?ピーマンは好き?ブロッコリーは好き?あら、食べられる緑の野菜もたくさんあるじゃない!♡」
と、義母は言っていた。
本当に何気ない、流れていくような会話の一場面だったのだけど、
わたしが予想した回答のどれとも違っていて、
かなり衝撃的だった。
わたしからは絶対にかけてあげられない言葉たちだった。
「野菜を食べない子供 vs 食べさせようとする親」なんて、
もう見飽きるほどよくあるシーンだ。
わたしは、子供の時、
嫌いなものがあっても強制的に食べさせられて、
わたしの中では「すごく嫌な思い出」として残っている。
だから、義母の言葉は、
そんなシーンをひっくり返して、
叱ることもせず、悲しむこともせず、
「子供ができること」にフォーカスして、「ほめる」っていう、
どんでん返しみたいなことを、
何気なくやってのけていて、
そのことが、とても衝撃的だった…!
***
③女の子だって、セクシーな格好していいんだよ。
オーストラリアの文化なのか、
旦那の家族の文化なのか、わからないけど、
旦那や義父母は、会話の中で、
「セックス」という言葉を平然として使うし、
それにまつわる議論や、冗談を言いあう。
そのときも、「女性の地位向上」みたいなことを話していたのだけど、
義母はわたしの目を見て、言った言葉がある。
「レイプの犯罪が起こるのは、被害者の女性が露出が多かったから、とかそういう声があるけど、そういうことは全く間違っているんだよ。女性は露出が多くたっていい。セクシーだっていい。女性は自分が好きなようにいていいの。だからね、私たちの役目は、娘たちに”危ないから露出を控えなさい”っていうことじゃなくて、自分の息子たちに、”同意のあるセックス”の重要性を教えることなんだよ。」
ということを、言ってくれた。
義母が言っていた内容事態は、
ニュースや新聞で何度も目にした内容だった。
だけど、それを「義母が言ってくれたこと」が、とても印象的だったのは、
わたしが親から、
「露出が多い服なんか着るんじゃない。はしたない。そんな服着て襲われたりしたらどうするの。」
と言われて育ったからだった。
知らないうちに、気づかないうちに、
わたしは「女として生きる」ことの呪いをかけられていた。
そしてそのことを、
義母の言葉を聞いた瞬間に思い出したのだ。
気づかないくらいに、呪いはわたしの一部になっていた。
(そして、そんな呪いが私の中にはたくさんあるんだと思う。)
新聞やニュースで聞くよりも、
義母から直接発せられた言葉は、
何倍もインパクトがあって、心強くて、
なんだかジーンときた。
***
義母の言葉たちは、
「魔法のような言葉だ」と思う。
義母は、
愛にあふれた、そんな人だ。
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