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No.129 旅はトラブル / 由理くんよ!これがパリの灯だ(12)着物でオペラ座へ&さらばパリの灯よ

No.129 旅はトラブル / 由理くんよ!これがパリの灯だ(12)着物でオペラ座へ&さらばパリの灯よ

No.127の続きです)

10日前、パリのホテルヴェルネに到着してすぐに荷物を片付けた。ホテルのクローゼットの引き出しに真っ先に入れたのが、連れ合いの由理くんの着物一式だった。東京の自宅の箪笥(たんす)の中では、仲間の紬(つむぎ)や小紋たちと一緒に伸び伸びと過ごしていたが、急に旅行用の鞄の中に、身分の違う普段着の洋服や、あろうことか靴下や下着類と共に詰め込まれた身を嘆いていたようであるが、ここのクローゼットでは、東京よりもゆったりとした空間を与えられていた。

東京にいるときにも、由理くんは友人のマチコさんと、月に一度は着物で出かける「着物でお出かけ二人会」の機会を持ち、文楽や歌舞伎を楽しんでいた。「お出かけ会」のとき、僕はドライバーの役を引き受けていた。「今日は、しんくんと『お出かけ二人会』やね」「そうだね、今日はドライバー役はお休みだね」僕に話しかけるくらいの余裕はあるほどには、由理くんは着付けも慣れてきていたようだ。

この、パリへの旅の3年前、初めてのヨーロッパ、イタリア旅行でのお洒落皆無の旅のリベンジを果たさんと、はるばる日本から持ってきた「キモノ」訪問着と袋帯の出番がようやくやってきた。絹の白い光沢にややピンクが入る下地に、淡い赤色の椿の花柄とそれを彩るおとなし目の幾何学模様が訪問着の左上半身部分と右下半身部分を飾る。白の訪問着と対称を為すように、黒の下地を持つ袋帯には、円を重ねた七宝文様に花柄を施しモダンな要素も加える。

この日は黒子の役を務める僕は、黒の上下のスーツに紅色ベースに淡い青のポルカドット柄の蝶ネクタイを締めて、上に濃紺のハーフコートを羽織る。「オオ、ボンジュール、マダムオノ」と声をかけるフロントの男性も、着物姿の由理くんを見て、いつも以上ににこやかな笑顔を向けてくる。由理くんも「ボンジュール、ありがとう」と着物姿にふさわしい日仏の言葉を混ぜて、微笑み返す。

オペラ座へ向かうタクシーのドアに夕陽が眩しい。いかにも無難な演目といって良い「椿姫」が7時30分に開演となる。由理くんも僕もこの夜の演目を忘れていた。図らずも着物の柄の「椿」と「椿姫」が合っていたがフランスの「カメリア・椿」と日本の「椿」は同じなのだろうか。そんな知識も持たず、演目を忘れるとは、クラシックファンの友人永澤くん(No.070 No.071 No.072)を嘆かせることになったね、などと二人タクシーの中で笑い合っているうちに、オペラ座に到着した。

入場が始まっていた劇場の前には、少しだけ行列ができていた。5、6段上がる入り口は狭い感じで、劇場内に入ると、室内はうす蒼く調度品が照らされ、一気に怪しげなヨーロッパの夜会の世界へと入場者を導く。

観客はオペラの鑑賞に来たと同時に、それぞれが夜会へ招待された客で、オペラの出演者なのだとの気分にさせられた。その一方で、我々の前列で明るくアメリカ英語で談笑している男女二組4人のいでたちは、カリフォルニアのビーチに向かうような原色の上下の服に上着を軽く乗せている。その様は、薄暗い周囲の雰囲気と合わせみると、由理くんと二人、ディズニーランドのアトラクションの行列に場違いな格好で並んでいるのかと錯覚させられる。

王政の残した遺産を継承しつつも、革命によって築かれた大衆への迎合を経てきたヨーロッパの歴史を見る思いだった。日本語のパンフレットを取り、列に従い足を運ぶと狭い入り口から視界がパッと開けた。視界の中央には豪華な螺旋状の手すりを持つ階段が両側のシャンデリアの光に照らされ、視界の遥か上方に天井画が見える。由理くんが言う「これは凄いね〜、宮殿だね」正に我々のいる場所は「ガルニエ宮=オペラ座」なのだった。

感動を持って眺めている目の前の人工物の芸の極致の品々も、冷静に見てみると、少し前に訪れ好みでなかったヴェルサイユ宮殿の調度品などとそっくりである。今、目の前に見ている景色との大きな違いは、時間だった。夕方には閉まってしまうヴェルサイユ宮殿も、夜にはまるで違う顔を見せるに違いない。ヴェルサイユ宮殿への夜のツアーなどはないのであろうか?やはり、ヨーロッパの都市は、夜にその絢爛を解き放つ。

3階の舞台左側バルコニー席前列に着くまでに、2回英語で「Oh, Kimono~! Beautiful!」の笑顔を伴った言葉をかけられた。もちろんと言うか、僕の蝶ネクタイへの「Oh, a bow tie!」などの言葉はなかった。

由理くんを舞台に近い左側にして席につき、天井を見上げる。かの名高いシャガールの天井画は、オペラ座の伝統にモダンで優しい華やかさを加えていた。「今まで観たシャガールで一番好きやわ〜」。中央に煌めくシャンデリアは「オペラ座の怪人」で知られるものだろうな。バルコニー席から見ると客席と舞台は金色と濃い赤色のコントラストが実に美しい。オペラ座は見どころ満載である。

舞台も良く見える上等の席で、この日の「椿姫」は無難で安定した演出と演奏で由理くんと僕を楽しませてくれた。途中休憩時間に足を運んだ金のモザイクで知られる「アヴァンフォワイエ」の部屋も、鏡の間「グランフォワイエ」も人で溢れかえっていたが、装飾品の美しさと天井の高さが、様々な言語の渦を喧騒ではなく、穏やかで品格ある賑わいとしていた。

日本から来たと言う若い女性3人組に声をかけられた「パリにお住まいなんですか?」いえいえ、フランス初めてだよ。「ええ〜、慣れてる感じ〜!着物持って来られたんですか!」オペラ座で楽しむためにね。名古屋からの3人組を大いに刺激したようである。彼女たちも、次のヨーロッパ旅行では、着物で街歩き楽しみますと約束してくれた。

2時間弱の「椿姫」を楽しんだ観客たちの最後の方に、ゆっくりと「ガルニエ宮=オペラ座」の出口へと向かった。外に出ると、オペラ座に入る時の西に沈みつつある柔らかな日の光に変わり、たくさんのネオンと道ゆく車のヘッドライトが主役となりパリの街を照らしている。街は、我々がオペラ座にいる間に、既に夜の香りに包まれていたようだ。

「由理くん、タクシーで真っ直ぐホテルに帰ろうか?」「着物やけど、ちょっと歩きたいね、しんくん」

オペラ座からタクシーでコンコルド広場の先くらいまで行くことにした。パリに来て10日あちこちに行き、距離感も大分ついていた。ホテルまで遠くない、シャンゼリゼ通りの適当なところで降りて歩こうとなった。「降りるところは、しんくんに任せるわ」

タクシーの窓から見えるパリの街が走っていく。右手にコンコルド広場が見えた。由理くんが、フランス語で運転手さんにもう少し先で停めるようにお願いする。由理くんも大分慣れたようだ。タクシーから降りるとライトアップされた凱旋門がそばに見える。シャンゼリゼの街の灯りは、本当に大人の華やかさを持っている。

「思ったよりホテルの近くとちゃう、しんくん」
「そうだね、ちょっとは歩けるね。ホテルまで」

「由理くんよ!」
僕は右手を前に掲げ、シャンゼリゼを走る車の列を人差し指で示し、続けて右手を凱旋門の方に旋回させて手を止めて、言葉を口にする。
「これがパリの灯だ」
「かっこつけて〜!」

シャンゼリゼのネオンも、車のヘッドライトも、パリの灯りは、きっと我々に微笑んでくれた。

・・・終

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