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しあわせ

中島みゆきさんの「糸」という歌の終わりの部分に「しあわせ」という言葉がある。歌詞をみると、よく使われる「幸せ」ではなく「仕合せ」と表現されている。

これがとても腑に落ちる。「幸せを探す・求める・手に入れる」というようなズレた感覚を整えてくれるから。

あたたかいエネルギーがふわりと身体を巡る「しあわせ」な状態は、本来誰もがいつでも感じているべきもの。それなのにその感覚から遠いような舞台を創り上げて自作自演している人がこの地球上には溢れかえっている。

出逢うべき人や出来事に必ず出会う。いつもベストなタイミングで。誰かや何かのせいにしていると、そのシンプルな真理にたどり着けない。

『でも絶対にワタシよりもあの人は、生まれも育ちも外見も能力も恵まれている。ズルい。どうしてワタシはあの人ではないの?』

自分以外の誰かと比較するといだきやすい劣等感と欠乏感。そして自己肯定感をどんどん下げる。

もし励みになるなら素敵な人の暮らしや活躍ぶりを眺めながら、エネルギーを勝手にもらえばいい。

もし嫉妬や悲観が生まれるのなら触れないほうが身のため。情報を遮断して自然に囲まれた場所に行くか、シンプルに目を閉じてリラックスすれば、劣等感を促す比較対象物は単なる幻としてすっと消えて行くはず。

感情をごまかすためではなくなるべく心地よくなる事、場所、人を自分で選べばいいだけ。

ぐちゃぐちゃした感情や不安・恐怖ととことん向き合いたいならそれでもいい。本来なんでもありなのが人生だから。

見ないで蓋をしてきた感情や願望とじっくり向き合う時期だって、貴重な体験として財産となる。

過去から未来へ流れているように教えられて共有している時間というものは、本当は存在しない幻。私達はいつでもどこへでもワープできる。

重い波動の肉体ごと移動するのは私達の身体の造りが適していないが故に、よほどのエネルギー変化がない限り現実的に繰り返すことはできない。

意識はどこへでも飛ばすことができる。少し先の世界のエネルギーを読むことが予言と呼ばれる行為だけれど、可能性は無限に広がっている。ほんの些細な変化がたどり着く世界をがらりと変えてしまう。

「幸せ」を感じることができるのは、本来会うべき事象に出逢う「仕合せ」が体感を伴う経験としてなされたとき。そう感じられないように現実を捻じ曲げて観察しているのは、他の誰でもなく当人の仕業。

だから流れに身を委ねた自然体の人は、いつもしあわせそうな微笑みをみせるし、あたたかいエネルギーを全身から放出する。

安心しきった赤ちゃんをみればそれがどんな状態かわかる。安らかに眠る動物からも感じられる。

「幸せ」を求めることをやめて「仕合せ」に身を委ねる。

呼吸ができること、食べられること、眠れること、動けること。あたりまえの奇跡に感謝しつつ、夏の1日を味わって生きる。

今日も素敵なことがたくさんありますように。

(はてなブログ「アレコレ楽書きessay」2020.8.16 加筆修正転載)

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