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AC(アダルトチルドレン)である私がどのように社会生活を乗り切ったか

~幼児期編~

【※前置き】

アダルトチルドレン(AC)とは、自分は子ども時代に親との関係で何らかのトラウマ(心的外傷)を負ったと考えている成人のことをいいます。(機能不全家族の元で生活など)

現在、対外的に私は2人の幼児の母でライターなど副業をしながら主婦をしています。

人生に置いて、それぞれ個人個人課題や生きづらさはあると思います。今回は、アダルトチルドレンならではの生きずらさと、課題、私が乗り越えるためにやったこと(結果的には)を書いていきたいと思います。

一般的な最低限文化的である生活を営むのにアダルトチルドレンやトラウマをもった人間は人生が0どころか-からのスタートを余儀なくされます。しかも見た目は、障害はないため非常に理解されずらく、誤解を生んでしまう場合もあります。

これからは社会に出てから、どのように環境を乗り越えたか、元となる家庭環境について、私の家族環境をモデルケースに伝えていきたいと思います。

幼児期に

母は、私が3才になる前に離婚をし、母子家庭となりました。(しかしその離婚は祖父の命令によるものである)その理由は、父の親戚が水商売だったためであると後に話を聞くことがありました。もし離婚しなければ、将来的に私も水商売をさせられたとの事(真相は闇のなかですが)

私の母は、多分今でいう軽いADHD(発達障害)+幼児期に過剰な過干渉で他力本願な性格です。症状は、一番は料理は、ご飯を炊くのも失敗、水加減がわからない、麺もゆでれない固いまま、麺がひっついたまま。幼稚園のお弁当は、ご飯におかずに芋が一個。はずかしいし、おいしくなので、食べませんでした。皆の卵焼きや、工夫に満ちたキャラクターの楊枝で指したハムなどがキラキラと目に入りとてつもなく辛かったです。惨めさでいえば、最大のトラウマかも知れません。小学1年から私が自分でお弁当をつくりました。母は、文字をかくのも、ものすごい汚い字で私が小学生当時、先生が子供の字と勘違いして激怒するため私が代わりに一般的な大人の字を真似て自分の書体と変えて書類を書いて出していました。化粧は、口紅ははみ出し、ファンデーションもうまく塗れていませんでした。一番強烈なエピソードは、私が成人したのちに、結婚式に母はジャージで出ようとした(対外的な洋装がわからない?)服髪型から自分の式よりも母のセッティングのお世話重視となったのが一番の疲労だった。(またそれは成人編で語りたいと思います。)

経済的に母の収入は漆塗りの10万ちょいで、苦しいため、祖父の家の2階を間借りしていた。(暮らしていたよりは間借りに近い)ただ、母が幼児期に家出してしまったため、(後ほどもどってきますが、それがさらなる引き金をひくこととに)しばらく祖父母と暮らすことになりました。

祖父は、元警察官で、その後、地方大手企業につとめ外面はよい人でした。ただ戦争を生き抜いた経験からか、常に殺気に満ちた目をしていて、近くにいるとピリピリとした空気をまとっていました。靴を揃えなければ、壁に激突するくらいなぐられました。友人に玩具を見せようとしたら、お前は親がいない子なんだからそういうことをするなと言われました。食事は、祖父は、自分は柔らかい炊きたてのご飯。子供は、固い前日のお米をまぜたもので、おかずは良かったのですが、私は黄色い固い米は固くて食べれなくて、だらだら食べていたら、もう食べなくていいと叱咤されていました。食事の緊張感は苦痛でした。

その後小学生1年生ごろ、私はとても大人しく、ボスの女の子に一時期でしたがいじめにあいました。その頃、幻聴(大勢の人間が話しかけてくる)、幻覚(壁に突然スクリーンが現れ恐ろしい映像が映る、また床にブラックホールの穴が空く)などでした。ただ大人しかった私は、誰にもはなしませんでした。弟にすら。それに、幼児期に甘えたり家族と話をするという習慣がありませんでした。唯一つは、おばさんが遊んでくれたのは癒しになっていました。おばさんは、漫画が好きで、漫画をいくつかくれたので、(里中 満智子デザイナーなど)漫画から大人の世界や恋や友情を学びました。それに私の夢は漫画家なることになり毎日ストーリーを考え紙に真似て漫画を書き始めていました。

ただ幻聴や幻覚が収まる転機が来ます。

その頃には、母が戻ってきて(罰として祖父母の家は追い出されます)当時すら珍しいぼっとん便所のボロ小屋で暮らすことになります(海外でいうトレイラーハウスのような)

転機というのは、転校生がやってきたことです。しかもそれは、同じ母子家庭の女の子でした。毎日毎日、そのこと2人で夢中で遊び、幻覚幻覚は、気づいたらなくなっていました。さらにその親友の母のすすめで、ボランティア団体の1日パパをしてくれるサークルに入りました。川で魚釣りに出かけて、火起こしして焼いて食べたり、とても楽しい体験でした。母子家庭には、こういった様々なボランティアグループの活動があるようです。私は、これらと親友に救われ次第に少しづつ明るくなっていきました。親友の祖母の家の倉庫には漫画が何百冊もあり夢中で読みました。そして3年生には、従弟が生まれ交流するようになり小さい赤ちゃんに癒されていました。

そして体育教室の習い事で運動神経がよくなり、親もとを離れキャンプなどのお泊まりに参加するようになりました。そういった活動が自信になりました。それに祖母が当時は比較的やさしかった(ただ後に祖母が一番の人生の問題をつくることになります、これはまた後程語ります。)私はだんだんと、自我が形成されました。親友にとても感謝しています。(ただその親友は、後にダークサイドに堕ちもう会えなくなります。救う事はできませんでした。また後に語ります。)

◯幼児期、まとめ

・親友、または信頼できる人と交流すると確実にメンタルが安定する。

・夢中になれる趣味を見つける。(私は、ビーズ・読書・漫画など)

・そして夢を持つ(私は漫画家でした)

・運動神経を鍛えることで精神面も鍛えられる。いじめの改善にもなる。(私は体育教室に行きましたが、縄跳びや水泳など全身運動が効果的)近々研究で、運動やヨガはアダルトチルドレンの脳ストレスにも効果を発揮するらしいです。)

環境がひどいなら自分で学習してクリアできる事は代わりにやる(私の場合は料理)

これらを振り返る事により、アダルトチルドレンであるひとが親になった場合の子育てにも生かせると思います。それはまた子育て編で語りたいと思います。

ではまた次回

貴重なお時間ありがとうございます✨

(予定)思春期編へ


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