死にたいということ ~死にたいという人に対してかけてはいけない言葉~

こんにちは。大変ご無沙汰しております。
「継続は力なり」という言葉はよく知っていますが、
今一つ続けることが苦手なMimiです。
それでは今回もHSP特有の視点、思考を活かして考察していきたいと思います。

ニュースで、自殺者が増えているという報道を見ました。
死にたい人に対して周りができること、死にたいと思っている人が周りの人にかけてほしい言葉について話していました。
今回は、その「死にたい」ということと、「死にたい人にかけてはいけない言葉」について書こうと思います。

「何故なのかという理由を伝えることの大切さ」

まず、これはどんなことにも言えることですが、
人に何かを伝えるときは、「何故」なのかを伝えることがとても重要だと考えています。
人は何かをしなさい、もしくはしてはいけないと言われたとき、「何故?」と考えます。その何故かという理由がわからないと行動することは難しいのです。
しかしそうであるにもかかわらず、基本的に何故そうしなければいけないのか、もしくは何故それをしてはいけないのかのとてもとても重要な「理由」が省かれていることがほとんどです。

「どうしてダメと言っているのにやるのだろう、どうしてやりなさいと言っているのにやらないのだろう。」
それは、理由がわからないから、ということがかなりあります。
もしこう思ったことがある方は、ぜひ理由をしっかり話してみてはどうでしょうか。必ず何かしら違いを感じられるはずです。

それでは本題に戻しますが、この理由について、そのニュースでも説明はされていませんでした。どうしてそういう言葉を書けることが大事なのか、の説明は何一つないんです。それでは、いまいちしっくりはこないですよね。
そこで、私はその「何故なのか」について話していこうと思います。

「どうして死にたいと思うのかの本当の理由」

みなさんは、死にたいと言っている人たちは、何故死にたいと思うのか、わかりますか?死にたいと思ったことがないからわかりませんか?
「今の現実が辛いから、もう希望もないから、すべてを終わりにしたいから」などの理由が思い浮かぶのではないでしょうか。
ではそれが理由だったとして、何故そうだと死にたいと思うのでしょうか?
同じような気持ちになったことがないと、わからないかもしれません。
本当は、死にたいわけではないんです。
なら何故死のうとするのか、死にたいと思うのか?何を言っているのだろうと疑問が浮かんだかもしれません。
もう少し詳しく説明していきます。

生きている現実がとても辛く、精神的に追い詰められているのです。毎日に希望も感じられない。何より辛くて辛くて、心が本当に痛いのです。
どうにかこの状況から逃れたい、そう考えたときに、一番手っ取り早くこの毎日から抜け出せる方法として、「死ぬこと」が思い浮かぶわけです。
そうすれば、苦しい思いをもうしなくていい、辛い思いも痛い思いももうしなくていい、この毎日から解放される、そう思うわけです。
言わば、最終手段なわけです。
本当は、ほかにいい方法があるなら死にたくなんてない。でもその方法が何も思い浮かばない。自分の中で考えつくした結果として出た最後の選択肢、最後の希望なわけです。
そこまでの状況に追い詰められたことがないと、想像することはなかなか難しいかもしれませんが、今の状況よりも死ぬことのほうがはるかに良いと思ってしまうほど辛い状況にいるのです。

「死にたい人に言ってはいけないこと」

そこまでの人に、
「死ぬなんて絶対だめだ」
「死ぬなんてバカだ」
「死んだら悲しむ人がいる」
「生きてればいいことはある」
と言ってはいけない理由がここまでの説明でわかりましたでしょうか?

死ぬしか逃れる方法がないというほど追い詰められている人から「死ぬ」という選択肢を奪うということは、そのまま苦しんだ状況に置くということです。そんなの、何も知らないくせにと怒りを買うだけです。
「死んだら悲しむ人がいる」死にたいほど辛い状況に追い詰められているのにほかの人のことを考えている余裕なんてありません。悲しむ人のために何故苦しい思いをし続けなければならないのでしょう?
「生きていればいいことはある」そのいいことのために死ぬほどつらい状況に耐える意味を感じられない。そんないつ訪れるかわからないことを悠長に待ち続けるほどの余裕もなければ、今すぐに解放されたいほどに痛いわけです。それを耐えろというのはあまりにも酷なことを言っているということにぜひ気づいてあげてください。

「そもそも人の選択を否定しているということ」

「死」は一生懸命考え抜いた結果の選択肢です。人生一度きり、死んでしまったらすべて終わり、そんなことは本人もわかっています。それでもそれを選択するということは、必死に考え抜いた結果なわけです。
一度「死」から離れて考えてみてください。
自分が必死に考えて考えて、これをやりたいと思ってそれをしようとしているときに、そんなことするのはバカだ、そんなことやめろ、そう否定されたらどう思いますか?
必死に考えたことを自分の気持ちも、自分がどう考えたかも何も知らない人にその選択だけ否定されたところで、やめようと思いますか?
この人は何言ってるんだ、何も知らないくせに否定される筋合いはない、そう思いませんか?
それと同じわけです。そこに気づいてほしいのです。

「ではどうすればいいのか?」

大事なことは、何故その選択肢を選んだのか、ということです。
そこに行きつくまでの理由がとても重要です。
まずは、人の考えを否定するなんて、自分でもされたら嫌なことを死ぬほど追い詰められている人にしたりせずに、どうしてそう思うのか、話を聞いてあげることが必要です。
そして、できれば死ぬよりも良い選択肢を一緒に探してあげることです。
そうすれば、「死」はあくまでも最終手段なわけなので、もっといい方法があれば、死ぬ前にまずはそれを試してみようと思えるはずです。(そう思えるような選択肢であれば)

人は否定されれば壁を作るだけです。むしろ理解者はいないとさらに追い詰める逆効果になります。

「最後に」

いかがだったでしょうか。もし何かわからないことがあれば質問、コメントはいつでも受け付けていますのでご連絡ください。
こういう場合は一人ではどうすることもできない状況に陥っているということなので、周りの方が適切にサポートしてあげて、少しでも自殺者が減ることを祈っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?