ミキヒラメ

35才で芸術大学勉強中 学習の記録として。

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最近の記事

アジアの美術史

西アジア芸術の流れ 1はじめに  西アジアの芸術は最古の文明といわれるメソポタミア文明とともにはじまった。シュメール人の小さな都市国家(1)にはじまり、周囲国の干渉や領地の拡大が西アジア芸術に変化をもたらしていく。そしてシルクロードによって「四騎獅子狩文錦(2)」や「鳥獣文綴織陣羽織(3)」など、遠路日本にも西アジアの影響を示唆する美術品を数多残すこととなった。 2古代  ウルの王墓出土品「ウルのスタンダード」はシュメール文化の代表作例である。箱の形状をしてお

    • 財閥コレクションについて

      益田鈍翁からみえる財閥と美術品蒐集の意義   明治以降、華族は衰退し実業家たちが美術品蒐集の主導となっていた。その中でも、旧三井物産(以下三井物産と記す)初代社長・益田孝は茶人として「鈍翁」の号をもち、蒐集家としても名高い。茶器はもちろんのこと、書や絵画、歴史的文物など数多のコレクションを有し、どれも国宝級の貴重なものである(1)。彼ら財界人たちによる美術品蒐集や、財界数奇者による茶の湯再興の意義とは何であったのか。益田孝という人物を通じて、それら本質的意図を探る。

      • 「生涯学習における芸術の役割」

         「生涯学習」とは生涯において学習する行為や理念のことであり(1)社会教育的な要素を含む。「芸術」は美的な物体・空間・時間の創作活動であり、個人の精神的なものをなんらかの技術をもって他者に伝えることが「芸術」に定義される(2)。 社会的な要素が強い「生涯学習」と個人的要素の強い「芸術」の組み合わせは一見相容れないようにみえるが、生涯学習において、地域や個人を繋ぐ媒体として芸術が折々活用されている。 たとえば「アートプロジェクト(3)」などである。「アートプロジェクト」とは地域

        • 高知の奇祭「早飯食い」

          1土佐山村の高川仁井田神社 土佐山村は村の90%を占める林野と、鏡川の源流が流れる自然豊かな地域で、「土佐」という地名を持つ自治体として最も古いとされている。 土佐山高川地区の「仁井田神社」では江戸時代から続く「早飯食い」という奇祭が毎年11月8日に行われる。 地区民が拝殿に集い、各々配膳された「米」を皆が一斉にかきこむ、その名のとおり「早く」「飯を食う」祭りである。 2詳細 祭りの詳細については土佐山在住である私の恩師(年齢内緒・女性)からの取材を参考に述べる。

        アジアの美術史

          令和のムスリム③

          〇宗教考察 宗教とは教養である。歴史であり、哲学であり、民俗学である。 エリーさんがまず始めに「インドネシアには5つの宗教があります。イスラーム・ヒンドゥー・ブッディ・プロテスタント・カトリック」と教えてくれた。「プロテスタント」と「カトリック」を当たり前にわける教養をもつ日本人は少ない。 戦後、日本の教育は大きく変わった。敗戦国となった日本は欧米のシステムを輸入したことで好転した状況もあったが、宗教感に関しては極端に後退をみせた。 宗教の無知や偏見が問題というよりは、

          令和のムスリム③

          令和のムスリム②

          〇信仰 イスラームをあまり知らない私達も「メッカ」「礼拝」「断食」くらいは耳にしたことがあるのではないだろうか。 ムスリムの「イスラームの柱」とよばれるもっとも重要な「五行」を以下に述べる。  ・信仰告白    「アッラーのほかに神はない。ムハンマドはアッラーの使徒である」と宣言すること  ・礼拝    一日5回、聖地メッカの方向(キブラ)に向かってお祈りをすること。  ・喜捨    財産をもつ人が、貧しい人々などのために寄付をすること  ・断食    イ

          令和のムスリム②

          令和のムスリム①

          「令和のムスリム」 〇はじめに 今回「宗教学」のレポートで「イスラーム」について論じることが課題とされた。今日、日本人の宗教に対する教養は乏しいといえる。日本の主な宗教といえば「仏教」と「神道」が一般的であるが、何を起源とし、教えとしているのか具体的内容を把握している日本人は少ない。「宗教」という概念がないからこそ、この課題は机上の論では理解できないと考え、インドネシア出身のムスリム「エリーさん」に話を聞くにいたった。等身大のムスリムの女性を通じて学んだことを以下に述べる

          令和のムスリム①

          久隅守景«夕顔納涼図屏風»

          【 久隅守景/夕顔納涼図屏風 】 ・夕顔納涼図屏風について 元狩野派の絵師であった「久隅守影」の代表作であり、17世紀後半の作品で国宝に指定されている。 歌人「木下長嘯子(ちょうしょうし)」の和歌に則った作品であり、同題材で画僧の「明誉古磵(みょうよこかん)」、円山応挙の高弟「山口素絢(そけん)」が作品として遺しているが、いずれも小幅な作品である。対して守影の夕顔納涼図屏風は2曲1隻の大画面に描いたことで、余白が効果的に余韻を生み、人物に焦点が絞られる。 粗末な藁葺小屋と

          久隅守景«夕顔納涼図屏風»