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久隅守景«夕顔納涼図屏風»

【 久隅守景/夕顔納涼図屏風 】


・夕顔納涼図屏風について

元狩野派の絵師であった「久隅守影」の代表作であり、17世紀後半の作品で国宝に指定されている。
歌人「木下長嘯子(ちょうしょうし)」の和歌に則った作品であり、同題材で画僧の「明誉古磵(みょうよこかん)」、円山応挙の高弟「山口素絢(そけん)」が作品として遺しているが、いずれも小幅な作品である。対して守影の夕顔納涼図屏風は2曲1隻の大画面に描いたことで、余白が効果的に余韻を生み、人物に焦点が絞られる。
粗末な藁葺小屋と夕顔棚があり、その下に莚(むしろ)を敷き、親子が同じ方向をむいている。人物らの目をはばからぬ姿から、家族が水入らずでくつろいでいる様子がうかがえる。
墨の濃淡で描かれた月によって、晩夏の日暮れ前に納涼している時系列が伝わってくる。
女は細線・男は太めの抑揚をもちいて描線は対象によって使い分けられている点など狩野派の技法とはことなる守影独自の感性を表現した作風といえる。

・作品の背景

「夕顔納涼図屏風」においてよく語られる事柄として、「久隅守影」が狩野派を破門になったきっかけとなったと言われる娘「雪」と息子「彦十郎」との関係性である。

・守景の家族とは

守景は江戸の狩野派を作り上げた狩野探幽の姪「国」を妻に娶っている。守景の2人の子供はどちらも探幽に弟子入りしていたが、娘「雪」は他の弟子と駆け落ちし、行方はしれず、息子「彦十郎」は悪所(吉原)通いと恐喝で佐渡へ流されている。本作品は、このような離ればなれとなってしまった守景の家族背景と関連させて語られることが多い。


・久隅守景という人物

生没年不詳の謎多き絵師である。御用絵師の画壇、強大な狩野派組織の絵師であり、中でも技術的に稀に見ぬ才能と言われていた。
「探幽門下四天王」にも数えられた守影であったが、「破門された」となっている。
狩野探幽の姪を娶り、探幽の高弟として多くの作品を任され、狩野グループにどっぷりであった。しかし、守景は御用絵師としての正統な絵より、農夫や、庶民の日常を描く事を好んだ。さらには大名に納品する絵にラクガキをしてしまったエピソードもみられる。破門された理由として、この「ラクガキ(加筆)事件」と「子供たちの素行不良事件」の2点が挙げられるが、「師匠探幽の技術を超えたため」といった意見もあったようだ。
また、私生活では「酒を好み、任侠の徒である」といったような記述もあるが、「高潔な人柄」といった記述もあることなどから、二面性をもつ人物だったのではないかと考える。
しかし、狩野派から離れていった後も、最後まで「久隅守景」という探幽からもらった名を名乗り、御用絵師の法度になる画題は扱わなかったことから狩野探幽への畏敬の念が感じられる。

・考察

狩野派は、権力に組み込まれながらも自分の描きたいものとのジレンマに苦しんだような場所ではなく、狩野グループは割と好きだったのかもしれない。その中で自分の好きな作風をリスペクトする探幽に受容してほしかったのではないだろうか。不本意に狩野派からも家族からも離れてしまった守景の憂いを帯びた姿を想像すると、この「夕顔納涼図屏風」の頬杖を着いたアンニュイな男性は彼自身なのかもしれない。

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