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高知の奇祭「早飯食い」

1土佐山村の高川仁井田神社


土佐山村は村の90%を占める林野と、鏡川の源流が流れる自然豊かな地域で、「土佐」という地名を持つ自治体として最も古いとされている。
土佐山高川地区の「仁井田神社」では江戸時代から続く「早飯食い」という奇祭が毎年11月8日に行われる。
地区民が拝殿に集い、各々配膳された「米」を皆が一斉にかきこむ、その名のとおり「早く」「飯を食う」祭りである。



2詳細


祭りの詳細については土佐山在住である私の恩師(年齢内緒・女性)からの取材を参考に述べる。

 まずは神事が行われた後、白米が並々よそわれた木製椀・椿の葉にのせた焼き味噌・竹の箸が四角い膳で出される。配膳で使用するしゃもじと竹の箸は当日に手作りされたものである。
進行役である「席配(土佐山村史1064頁)」の「準備ができましたので、どうか召し上がってください」の合図を皮切りに、まずはご飯に焼き味噌をのせ、「ユー、ユー!」という。
すると配膳係りがヤカンに入ったぬるま湯の米のとぎ汁をそそいでくれる。味噌が欲しいときには「ミソ、ミソ!」という。
食べ終えたら「ゼン、ゼン!」というと膳をさげてくれる。
以上がメインである「飯を食う」一連の流れである。
「早飯食い」の玄人ともなると、数十秒で食べ終えてしまう。



3由来


五穀豊穣を願って、神社の「神田」から収穫した米を食べることを目的とした祭りだが、敗走する平家の落人伝説と関連づけて、食事を簡略化し落ち延びた説が語り継がれている。
村内には「平家の岩」「源氏の岩」と呼ばれる場所があり、平家ゆかりの家系図がみつかったことに由来するのではないかと解釈されている(土佐山村史1065頁)。




4高川区長さんの話


この祭りについて高川区長さん(70代・男性)に貴重な子供の頃のお話を伺うことができたので以下に述べる。

 高橋さんが子供の当時、元々山間地域の土佐山  村であるが、さらに山の上のほうまで世帯があり、今より人口は多かった。「早飯食い」の祭りのさいに「神楽」も行っていたようで、区長さん宅には江戸時代・綱吉公の時代から神楽に使用していた面が今でも保管されている。
 当時は牛を使って田をたがやし、農耕は現代のように機械化されていなかったうえ、山間部ゆえの獣害などもあいまって米は貴重なものであった。主食といえば、米に麦をまぜたり、飼っていた山羊の乳をかけたりしたもので、「早飯食い」はそういった意味でも「白米を腹一杯食べれる」特別なお祭りであったそうだ。実際、当時は今より山盛りにもられていたという。
通常は地区の各世帯から代表者と、子供たちも招いて膳を囲むが、昨年はコロナの影響でやや縮小して行われた。



5まとめ


「早飯食い」は当時参加世帯が多く、土佐山の主要な祭りであったと考える。しかし現在「神楽」が行われていないのは「土佐山村史」の冒頭にも表記されていたが、やはり村の「過疎・高齢化」といった現象と無関係ではない。

これらをふまえると、コロナの関係で規模がさらに縮小されていることは深刻である。
この年中行事をとおして山村部過疎ならびに伝統を継承するうえでの時代ととも祭りの本質が変化していく様子は懸念すべき重要な問題であると考える。



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