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旅のすえ また大川に めぐりあう

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彷徨を続けた人生でしたが、いまは大川の畔にもどっています。
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#銀座

らく町まぼろし散歩#06

「これ、おいしいね」と僕が言うと、母の額にピッ!と走るものがあった。 「男はね"うまい"で佳…

勝鬨美樹
2年前
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らく町まぼろし散歩#05

有楽町駅前のすし屋横丁の中に「コンボ」というジャズ喫茶が有った。オーナーは川桐徹という方…

勝鬨美樹
2年前
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らく町まぼろし散歩#04

嫁さんの誕生日で先日道東にあるオーベルジュまで食事に出た。片道9時間の晩飯行だった。 さす…

勝鬨美樹
2年前
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銀座幻散歩#04

四丁目と数寄屋橋交差点の間は、西側と東側にはっきりとした明暗が有る。 東側は寂しい。それ…

勝鬨美樹
2年前
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銀座幻散歩#03

さて。再々度4丁目の交差点に戻る。服部時計店(和光)の表示はまだPXになっている。Post Exchan…

勝鬨美樹
2年前
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銀座幻散歩#02

さて。再度4丁目の交差点に戻る。こちらがわの角には、服部時計店(和光)と三越がある。服部時…

勝鬨美樹
2年前
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銀座幻散歩#01

サンフランシスコ平和条約の直前、昭和26年の銀座地図である。 この地図から、色々なものが見えてくる。 銀座は晴海通りを挟んで4丁目以前と5丁目以降は全然違う街だ。本来「銀座」という名称は4丁目までだった。 5丁目からは尾張町だ。ところが街としては戦前から5丁目以降のほうが栄えていた。こちら側は繊維問屋が多くて、遊び方もキレイだったからだった。実は木挽町も5丁目以降は黒塀の街だ。新橋の芸者らが乗る人力車が走る街だった。ちなみに新橋の芸妓組合は事務所が銀座7丁目にあった。 地図

葱鮪鍋の思い出

佃のウチでは、冬になると葱鮪鍋がよく出た。 鮪の脂身に近いとこを賽の目に刻んで、これを葱…

勝鬨美樹
1年前
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旧い友の訃報をうけて

この年になると旧い友の訃報がときおり舞い込むようになる。 文面の裏側に「お前をそろそろ身…

勝鬨美樹
1年前
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たゆたうは 鴨か鴎か 都鳥

五月晴れとはよく言ったもンだ。風の優しさが変わった。 東京は四季が未分化しはじめてると云…

勝鬨美樹
2年前
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欄下の機獣を見つめて思うこと

小沢昭一の「ぼくの浅草案内」の中にこんな一文がある 浅草には川がある。 東京にも昔は川が縦…

勝鬨美樹
2年前
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有楽町の鳩事情

近所で同じく飲食を営む方と話をしてた。たまたまネズミが増えた話になった。 「カラスがいな…

勝鬨美樹
2年前
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「銀座の子」

銀座は小商いが集まる"村"だ。 この"村"の産業は小商いだった。一階に店舗を構え、二階以降に…

勝鬨美樹
2年前
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ビニールで 出来たコウモリ 木偶の坊

僕は、傘は殆ど差さない。持って歩くと絶対にどっかへ置いてきちゃうしね。宜しくない。 でも、驟雨とも云える降りだと、出かけようと思って店先に立った時に、やはり少しは逡巡するのです。 その隙間に嫁さんが声をかけてくれた。 「傘、持ってきなさいよ。忘れてきてもいいようにビニール傘にしてね」 「傘・・傘ねぇ。やっぱし、いるかなぁ しかしこう雨が続くと、土方もコウモリもオマンマの食い上げだな」 「ウチだって似たり寄ったりよ。オマンマの食い上げよ。」と言いながらビニール傘を手渡してくけた