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たゆたうは 鴨か鴎か 都鳥

五月晴れとはよく言ったもンだ。風の優しさが変わった。
東京は四季が未分化しはじめてると云われるけど、まだまだ捨てたもんじゃないと思った朝でした。午後一番まで店のテラスでペコペコとPCを弄ってたんだけど、しまいに厭きて散歩へ出た。
散歩ったって、銀座に出ればトンでもない人の群れにぶつかっちまうのは必須だから、そのまま店の前の柳通りから三吉橋を渡った。
昨日、amazon primeで川島さんの「銀座24帖」を観た。中に築地警察が出てくるけど、これはホンモノじゃない。ん~とたしか新佃にあったビルだ。あスこはよく映画のロケに使われたな。謎のGMを追いかけるサスペンスなんだけど、なんど見ても楽しい。銀座の風景と川筋をキチンと押さえているからだ。あ~そういや成瀬さんの映画に「銀座化粧」というのがあった。こっちは築地あたりの風景が彼処に出来て、あれも好きだ。同じく成瀬さんの「女が階段を上る時」は銀座マリオンが閉館になるときに、最後の作品としてかかったな。35mのフィルムでみる成瀬作品は素晴らしかった。

そんなことをツラツラ思いながら、橋の下を走る都営高速を、そのまま佃大橋へ抜くつもりで作った横道/いまは放置されたままになってる廃道を横目で見ながら、聖路加の前を通って勝どき橋へ出た。
橋は渡らないで、そのまま階段を隅田川の遊歩道へ降りた。
何組か子ども連れが散策していた。
僕は、そのまま花壇の縁に座った。
右上に勝どき橋の雄姿が見える。子供のころは、このアングルで勝どき橋を見るのはむりだったなぁ、そう思った。
大川の川面はユリカモメが忙しく飛んでいた。まだ給餌の時間なんだろうか‥ユリカモメも築地が撤収してからは、糧を得るのが大変になってるンだろうな。そう思った。
古歌に
舟競ふ 堀江の川の 水際に 来居つつ鳴くは 都鳥かも」万葉集4462
と謡われるほど馴染み深い風景だ。

ところがその都鳥=ユリカモメなんだけど、
別に学名として「ミヤコドリ」と呼ばれている鳥がいる。英名「Oystercatcher」というチドリの仲間だ。ちょいと我田引水の気がある江戸時代の本草学者・北野鞠塢が「Oystercatcher」こそミヤコドリと言い出したんだけど、これを薩摩の本草学者だった島津重豪がそのまま『鳥類便覧』に取り込んじゃった。

名にしおわば いざ事問はむ 都鳥 わが想う人は 在りや亡しやと」伊勢物語の中に出てくる都鳥は魚を獲ってたべるとあるからね、川辺で貝類を漁っているOystercatcherは、その名の通りshellfish eaterだから、どう考えたって・・ちがうのに。
ところが、明治時代の学者飯島魁が、これをそのまま採用しちまった。薩摩の学者が云うことにたてつけなかったんだろうな。
というわけで、都鳥=ユリカモメと学名ミヤコドリが併存することになってしまった・・という訳です。

ところで、ユリカモメは渡り鳥だ。冬が終わると北の故郷へ帰る。カムチャッカ半島やシベリア南部あたりの水辺の草地に数百~数千単位のコロニーを作る。日本にやってくるのは冬、そして春秋も繁殖期まではこちらで暮らしている。近未来。外貨を稼ぐ手段が出稼ぎになった時・・日本の若者たちも同じように、繁殖期だけ日本へ戻るようになるのかもしれない。

・・その帰る時が近づくとユリカモメの頭部は黒く色染まる。冬の真っ白なユリカモメが黒い髪に替わるのが春の訪れの知らせだ。
春風に 髪染め直す 都鳥


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました