見出し画像

銀座幻散歩#01

サンフランシスコ平和条約の直前、昭和26年の銀座地図である。
この地図から、色々なものが見えてくる。
銀座は晴海通りを挟んで4丁目以前と5丁目以降は全然違う街だ。本来「銀座」という名称は4丁目までだった。

5丁目からは尾張町だ。ところが街としては戦前から5丁目以降のほうが栄えていた。こちら側は繊維問屋が多くて、遊び方もキレイだったからだった。実は木挽町も5丁目以降は黒塀の街だ。新橋の芸者らが乗る人力車が走る街だった。ちなみに新橋の芸妓組合は事務所が銀座7丁目にあった。
地図の真ん中を4丁目の交差点にした。

交差点の左上には交番がある。いまと同じところだ。背にするのは三愛。此処は市村清が建てたビル。ただしこのころは今の円筒状ではなかった。今の形になったのは昭和38年。市村清はとても魅力的な事業家で、リコーの創始者として知られているが、オリンピックの時に出来た西銀座デパートの初代社長もやってる。外苑の憲法記念館を「明治記念館」として改装リニュアルしたのも彼だ。
その隣に鳩居堂と日本堂が並ぶ。ちょいと先にワシントン靴店がある。その横っ腹に細い「抜けられます」があって、2番街に出られた。この露地、僕の子供のころにはまだあったなぁ。
露地を挟んで森永があった。森永はずいぶん長い間此処にあったな。いまは名鉄グループのメルサのなかにとりこまれちゃってる。
に続く

さて。ちょいと交差点まで戻る。三愛の前がライオン。そのならびに大勝堂があって甘味処の月ヶ瀬に続く。露地を挟んでコックドールがあった。ここのコックドールはウチの母のお気に入りで何度も連れてかれた。此処はもともと月ヶ瀬の2階にあったフレンチで、この地図のころには独立店として開業。当時は銀座でも随一のフレンチだった。だから此処へ行くときは、恥ずかしいほどのお坊ちゃまファッションで連れてかれた。嫌で嫌でしようがなかったよなぁ。全体にガッコの友達には出会いたくなかったことだけはよく憶えている。
その先が白牡丹。この辺りは戦災で燃え崩れた処だ。それが6年でここまで復活したんだから大したものだ。
あ~そういえば松本清張の「点と線」を読んだ時、コックドールが出てきて妙に嬉しかったことを思い出した。

昭和27年
画像2


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました