黒海の記憶#44/形骸化するビザンチンによる支配
いままで「東ローマ人」という名称を使ってきたが、そろそろ「ビザンツ」と呼び名を替えたい。実は同時代、彼らは自分たちのことを「ビザンツ人」と呼んでいなかった。中世ヨーロッパの歴史家たちがそう呼んだのである。
たしかに彼らを、たとえ"東"という字をつけようが「ローマ人」と呼ぶのは息苦しい。ラテン人の血はほとんどなく、構成要員は大半がアナトリア系の人々で、言語もコイネー(汎ギリシャ語)の変形だったからだ。ローマに強い恋慕を潜在的に持っている中世ヨーロッパの歴史家たちが、このアナトリ