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黒海の記憶#39番外/黒海は東洋と西洋の境目にある#01

エーゲ海と黒海を繋ぐボスポラス海峡の西側にイスタンブル/旧市街がある。北に金角湾Golden Hornがある。金角湾の向こう側が新市街だ。
その湾を跨いでいるのがガラダ橋。
橋は二階建てで、一階部分は商店レストランが並ぶ。二階部分は道路と歩道だ。ガラダ橋は何回か焼け落ちており、僕が知っているガラダ橋はもう少し西側にあった。今のガラダ橋は知らない。・・ふと、その焼け落ちたガラダ橋を思い出したのは、昨今のロシア・プーチンと英米のウクライナを利用した東西抗争のニュースを見ていた時である。 東西?どこまでが「東洋Orient」でどこから「西洋Occident」なのか・・である。
今、使われている「東西」と「東洋Orient/西洋Occident」は、もちろん違う。それでも、何を以てして「世界」を東と西に分けるのか?を考えてしまった。
(ちなみにフィリピンは、ミンドロ島とネグロス島をオリエンタルとオクシデンタルと別ける。なぜかという話をすると、むちゃくちゃ長くなるからしない。余談としてだけにする)

ミシガン大学心理学教授であるリチャード・E・ニスベットは、その著「木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか」の中で「西洋人の視野は望遠レンズ、東洋人の視野は広角レンズ」と書く。
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このように、多くの人が「東洋と西洋」の違いを語る。しかし・・では一体どの辺りからその違いが分水線として発現するのか?それを明快に語る人は少ない。
僕の興味は「東洋と西洋」がどう違うのかではなく、何処までが東洋で、何処からか西洋なのかである。
旧ガラダ橋の中間にあった「ここから西洋/ここまで東洋」は。どこに立っているのかである。

ところで・・東西の「東」だが、一番西側にいるのがロシアだとすると・・ロシアの出自であるルーシ人はウクライナが発祥地である。となると、やはり「東西の境目」は今のウクライナあたりにもとめるべきなのか?という気になってくるなぁ。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました