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黒海の記憶#36番外/プリニウスの博物誌

椎間孔狭窄はデブなオヤジの老人病だそうで・・つらい。
連続歩行は10分くらいが限界になってる。座るとすぐさま雪にションベンでね、痛みは溶けて無くなるんだけど‥それでもまた歩き出すと痛い。仕方なく、先月からブロック注射なるものを始めた。こいつも痛い。なんてまあ痛い事ばかりで・・はは♪命ある事を実感してる。

てな感じで、東京散歩の再開が困難になってるのです。
今年は、武蔵野台地の東の外れをマメに歩こうと思ってたのに、夏から滞ってる理由は・・じつはこれです。
それと、んんん。次の「東京散歩」のテーマは、GHQが籍を置いていた建物を片っ端に歩いて、その位置関係を探ってみることだなと思ってリスト作りを始めてたンだけど・・できるかなぁ。ちょい心配です。面白いんだよ。今は無くなってしまった大手町の朝鮮銀行のなかに在った某セクションが下山事件とか帝銀事件と距離的にも近い事とかね。G2とG4の距離感とかね。将官クラスと左官クラスの暮らしたホテルの違いとかなね。面白いんです。
ははは♪「東京散歩」が途中で断筆にならないように・・はい。頑張ります。
ワタクシ、まだまだ71でございます#^0^# あと十年は行けます♪
(_ _).。o○
それでも今夜は、昨日ブロック注射をしたおかげで、かなりラクなので、ウカウカと聖路加タリーズへ出てプリニウスと格闘しておりました。
しかし「博物誌」デカいし分厚いンで持って歩くのも難儀な本です。こんな時は、パリのトゥールジャルダン・ブラッサリーガ贖ったトートバックが大活躍します。
最初の千年紀の始まり頃の、ローマと黒海の関わり方を見つめるにあたって、再度色々と当時の資料を漁ってるんですが、その一環のつもりで持ち出してみました。しかしまあ、これを読んでいると、いかにローマが立農国家だったかを実感しますね。

プリニウスの頭の中にあるローマは、かなり単純化されてまして、都市を中心に郊外があるという構造です。その併存する都市を繋ぐのがローマ道であり、ローマ内の交易であるという形。
そして、都市周辺の郊外はニ別して「葡萄とオリーブの地」と「小麦と他作物の地」がある。前者は豊かな農家が並ぶ地域で、後者は貧しい農家が並ぶ地域。この二者を別ける大きな括りは、多くの場合都市からの距離である、という視座です。

彼が見ている「ローマ化」とは、まさに都市の建造と周辺農家の整備だと云えるのではないでしょうか?タリーズで彼の言葉に耽りながらそんな風に考えてしまった。

どうしてかというと、彼が語るローマ世界の作物は、オリーブオイル(オリーブは長い間食用にはならなかった)そして葡萄。小麦など穀物類。乾燥野菜。これがの殆どなのです。地域的なバリエーションは少ない。どこもかしこもオリーブとワインそして小麦粉他穀物類なのですよ。
これに合わせて都市部の近い所では放畜が行われているわけですが、肉は運びにくい。なのでマーケットから離れたところでは産業になり難いということでしょうかねぇ・・

「ローマ化」するということは、これらの作物を常食として受け入れ、これらを栽培すること・・プリニウスの視座に、僕はそれを強く感じてしまいます。

つまり田園風景としてのローマ・・ローマは、周辺地域までもまた徹底的に均質な「ローマ的景色」に変質させたのかもしれない。ローマでなければ、世界でない・・という感じ・・かな。彼の本からはそんな印象を感じてしまいます。

これから鑑みても灌漑技術を含めて、いかほどローマが確立した「農業国家を形成していくシステム」が秀逸だったかが窺い知れますね。より高い産業的効率を求めるならば、ローマ化を受け入れるしかなかった、ということでしょう。

「プリニウスの旅」は、この"ローマ化"された世界を旅するものだった。彼は遍く周辺地域を自ら歩き取材しているが・・実は、それは正にローマの掌の上だけだった。そんな印象が彼の本からは伝わってくるように思いました。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました