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【クソマイシリーズ】時代は普通教からクソマイ教へ《後編:クソマイ教、誕生》

みなさん、こんにちは。前編を見てない方はぜひ、前編を先にご一読お願いします!

さて、皆さんはふわりんこちゃんの人生はどう思われただろうか?こんな人いないだろ~、もしくはちょっと気持ちわかる…て人もいるかもしれない。

クソマイはこう思った。「ふわりんこちゃん、ちゃんと自分の頭で考えて~!」と。そもそも結婚することが本当に自分の幸せにつながるのか?
その答えに辿り着くには、自分はどんな人生を歩みたいか、どんな自分でありたいか、自分自身がまず地に足をつけ考られることが必要なのではないか。
ただ、一つだけ言っておきたいのが、自分の幸せが普通と呼ばれる中にあるなら、それは普通の幸せではなく、あなたの幸せなのだ。大切なのは自分の幸せがどこにあるかを探すことだ。

さて、突然だがここでみなさんに大事なお知らせがある。


この新たな時代に便乗してなんと「クソマイ教」という新しい宗教が誕生した!!!

ぜひ、皆さんにもクソマイ教を知って頂きたく、ここでご紹介させてほしい。決して洗脳目的ではないので、ご安心頂きたい。

クソマイ教の考えは以下の通りだ。

人に流されるな、自分の頭で考えろ
→人に流されるってことは、結果的にその人の「思い通り」になるということではないのか。自分の頭で考え、賛同するのとは全く意味が違う。あなたは自分の人生のオーナーだ。あなたには自分の人生に責任がある。だから、必死で考え、行動するんだ。自分の人生、倒産させても立て直せばいいじゃないか。生きている限りチャンスはいくらでもある。
自分軸で人生楽しめ
→あなたは自分の好きなこと、やりたいことを明確に理解しているだろうか?自分の意志に基づいた行動ができているだろうか。世間体や周りの目を気にして自分の行動に制限がかかっていないだろうか。他人を軸にして意志決定や行動をしていくと、自分の心が置き去りになる。そうすると望まない現実がやってくるのだ。そして自分で自分の感情に鈍感になってしまう。他人に好かれるより、まずは自分に好かれるような生き方をしてみてはどうか。責任は伴うが自分の心に素直に生きると心が豊かになるぞ。
自分を幸せにできるのは自分だけ、自分の幸せを人任せにするな。
→男女のパートナーにありがちな「女性は男性に幸せにしてもらえます神話」、ギリシャ神話よりも真実味に欠ける神話だ。人は「自分の人生」を生きるために生まれ自分だけが自分を幸せにする方法を知っている。それを他人任せにするということは他人に自分の人生を支配させるということ。自分の人生に無責任になったら、自分まで見失うぞ。自分の頭で考え、行動しないと、こんなはずじゃなかった…と死ぬ前に悔やむことになりかねない。
また、男女のパートナーについて、それぞれに伝えておきたいことがある。
男性たちよ、女の上に立とうとするな。背伸びはよせ、こちらが気恥ずかしいぞ。踏み台になるくらいの気持ちでいるほうが気楽で程よいと思わないか?共に学び成長する意識をもてばいい。女の能力みくびるなよ。
女性たちよ、男に幸せにしてもらおうと思うな、弱いふりして依存するな。楽して得られるものなどないのだ。自分一人くらい幸せにできないでどうする。年収1000万のいい男と結婚したければ自分で1000万稼いでいい女になる方がよっぽど手っ取り早いぞ。
自分を測る物差しをもて。他人の物差しで自分を図るな、図らせるな。

色々な人生経験を積んでいくと自分の価値観ができてくる。それが自分の物差しだ。
例えば結婚して子供を産むのが女性の幸せなのか?独身の女性は可哀想なのか?
より多くのお金を稼ぐことが男の価値につながるのか?いくら稼げるかが男の価値基準なのか?
それらは他人に決められることではなく、それを自分でしっかり見極める物差しをもたないと自分を過小評価したり、むやみに人を見下したりしてしまう。
とにかく自分を正当に評価できるよう、物事の真価が理解できるよう、自分の物差しが必要だ。では、どうやって物差しを作るのか?知性や教養ももちろん必要だが、何よりも人生経験が必要だ。色々な場所に出向き色々な事に関心をもち様々な経験をし、様々な人と話し、多様な価値観や考え方を知ることで自分だけが持てる物差しを手にいれることができる。他人が勝手に小さな物差しで自分を必死に測ってきて、ウダウダいってきても自分を正当に測れていれば気に留まらないはずだ。そして、自分自身も自分の物差しで他人を測るような愚かなことをしなくなるだろう。

クソマイ教では人生は自分の作品だと伝えている。とはいえ生まれながらに与えられた環境や病気など、自分では変えることができないものがある。そういう意味では人はみな、初めから真っ白いキャンパスを持って生まれたとは言えない。
かく言うクソマイも難病というものを背負って生まれてきた。だが、生まれながらに背負わされるものがあってもそれを背負いながらどう生きるかはあなたの自由なのだ。
自分で自分の人生をクリエイティブ(創造)すればいい。クソマイのように生まれ持ったキャンパスはグレーでも真っ白く塗りつぶして好きな色を足していくのだ。それが「クリエイティブ」だ。

クソマイはどうしても自分の力で自分らしい人生を切り開きたかった。だから、まずは自立のために行動し続けた。(これはキャンパスを真っ白く塗りつぶす作業)そして、自立した今、自分らしい人生を生きるため、人生をクリエイティブしまくっている。(好きな色を足しているところ)

とまあ、かなり強気な教えや生き方を伝えてきたがそう言われても勇気がない、一歩が踏み出せないという人もいるだろう。
そんなあなたにクソマイ教の誕生前の弱気なクソマイも知ってもらいたい。

クソマイは子供の頃から病気に苦しめられ、こう思っていた。こんな苦しい思いして生きなきゃいけないなら死にたい。人に迷惑をかけることしかできない私は生まれてきた意味なんかないから死にたい。人と比べて出来ないことばっかりで生きる価値なんかないとしか思えないから死にたい。全てが死と繋がっていた。でも死ぬ勇気も力もなく、途方にくれて「取り敢えず生きる」ことにした。

そして、どうせ生きるなら真摯に生きようと思った。それは、死なないこと、死にたいと思うような人生にしないように努力することだった。それからはひたすら生きた。真摯に生きることに向き合えば向き合うほどに少しずつ生きることが楽しくなりクソマイが確立されたのだ。それでも、ふっと気を抜けば生きるより死んだ方が楽だと思ってしまう。だから生きることに集中する、その繰り返しだ。物凄くネガティブな理由でポジティブに生きている。

このように、初めから強い人間などいないのではないか。もし、変わりたいと思うなら一先ず逃げないで「生きること」「人生」「自分」と向き合ってはどうだろうか。逃げるのはいつでもできるが、向き合うのは変わりたいと思った時にしかなかなかできない。
だからチャンスを逃さず勇気をだしてみてほしい。勇気はお金もかからないし、なんの準備もいらないぞ。

これが人生についてのクソマイ教の考えだ。

言ってみれば、人はみな生まれながらにクリエイターなのだ。
さあ、あなたは自分の人生をどんな作品にしたいだろうか?

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