中国留学記|姜先生とKFC
十年前の北京留学でお世話になった一人に姜(jiāng)先生というおじいちゃん先生がいます。
英語圏に留学したかった私が北京に来ることになった理由のひとつ、交換留学プログラムのオプションにあった英語の授業の先生です。
ループタイがとっても似合う姜先生。
声がしわしわしていて、いかにもおじいちゃんな姜先生。
今日はそんなお話。
毎週一回、夜7時頃、私はいつも一人で姜先生の部屋を尋ねていました。一人なのは、私の日本の大学からこの大学に留学していたのが私だけだったから。「中国でも英語の授業が受けられるよ!」と謳うために日本の大学が留学先に依頼して用意された特別授業でした。
初めての授業の日。
に、にーはお…
I'm Mikan… May I come in...?
開きっぱなしのドアを覗き込むと、小柄のおじいちゃんが出てきました。
Hi!! 你来了! Come in!! Come in!!
笑顔で手招きしてくれました。50代くらいの先生だと勝手に思い込んでいたから、想像以上におじいちゃんが出てきて驚いたのを覚えています。軽く70歳は超えていたかと。
ぴょこぴょこと部屋に入る私。
部屋は広くて、偉い先生であることが想像できました。
重厚感のある木製の机や本棚がキレイに配置されていて、机の前には立派なソファとテーブルもありました。
そのソファに座ってちょっとした自己紹介を終えたら早速授業開始。
教科書の長文を音読→要約→内容について話す…みたいな流れ。
ちなみにこのときの英語力は英検2級くらい。中国語はゼロだったので、そこそこ分かる英語の授業はとても楽しみにしていました。
…だがしかし、姜先生は発音にとても厳しい人でした。しかも日本人の英語を聞き慣れていないうえに中国語訛りが強いので、ひとたび発音の注意が入るとしばらくOKがもらえずに苦労しました。
特にクセスゴだったのは子音Hの発音。中国語でのHは、痰を吐く時の「カァ〜ッ」みたいな発音で、英語で話すときにもそれが求められました。
中国に降り立って一週間くらいの私。中国語はもちろん、中国語訛りの英語も聞き慣れていないのでこれが本当に辛くて辛くて!
have, how, here, he…全て直されました。
日本語のハ行の音では許されません。
音読する際、目線の先にHを発見するとがっかりしたものです。
時が経つと私は言語的に大きなストレスを抱えるようになりました。
ひとつは日常の大半を占める中国語との戦い。
さらにもうひとつ、同級生たちとの英語での会話。
英語もゼロではないとはいえ、所詮英検2級レベル。欧州から来た本気のバイリンガルたちと対等に会話を楽しめるレベルにはありません。
おそらく姜先生との授業が始まる夜7時には
一日の疲れが顔や態度に出ていたのでしょう。
ある日、先生からメールが届きました。
「今日は校舎の入口で待ち合わせましょう」
どういうことかと思いながら指示通りの場所に向かうと、そこには笑顔で手を振る姜先生。
「今日は行ってみたいところがあるので、そこに付いてきてくれませんか?」
「KFCに行ってみたいんです」
「へ?ケンタ?」
驚く私をよそに歩き出す姜先生。
大学のすぐ近くにある店舗に行こうとのこと。
道中、この急展開の事情を教えてくれました。
ーーーーーーー
KFCが中国に上陸してからずっと気になってはいたけど、初めてのファストフードは緊張してしまって一人では入れない。
あ!あなたに付いてきてもらえばいいんだ!と思いついたのでお誘いしました。
今日はリラックスしておしゃべりしましょう。
日本のKFCとの違いも教えてください。
ーーーーーーー
中国語も英語もままならない日本人女子と絡むのはおそらく初めての姜先生。
接し方が分からないなりに考えてくれたのかなあと想像して、あたたかな気持ちになりました。
その日から、姜先生との英語の授業は毎回同じKFCで開催されました。内容も、教科書は使わないし発音も直されない、ただのおしゃべりになりました。
姜先生が頼むのは毎回違うメニュー。
お粥と揚げパンを注文した時には「日本には無い!」と教えてあげました。
ローカライズされてるんだねえhahahaと笑っていました。
普通に生きていたらありえない組み合わせの私たち。生まれ育った場所も時代も異なります。
学生生活やファッション、食べ物、少しだけ政治や歴史、、、たくさんのことを話しました。どれもこれも新鮮で、教科書を使うより学びの多い、そして濃厚な時間でした。
そしてこれを英語で話していたことも、結果的に私のメンタルケアに繋がりました。
同級生たちは英語のスピードや語彙のレベルをコントロールしてくれないので、英語も中国語もできない自分にいつもコンプレックスを感じていました。
でも姜先生は私にも分かる単語を選んで話してくれたので、先生が話す英語をそのまま理解できる喜びがありました。
中国語訛りの英語を聴く力がついたのも姜先生との実践会話のお陰です。
最後の授業ももちろんいつものKFCで。
「あなたから聞く日本の話はとても面白かった。ありがとう」
「KFC、もっと早く来れば良かった」
「帰国してからも頑張ってくださいね」
あれから十数年。
姜先生はどうしているだろうかと今でも思い出します。
先生には悪いと思いつつも、英語を話すときのHの発音は日本式で貫いています。
おそらく思い出のケンタッキーフライドチキン。
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