見出し画像

自己否定を繰り返したら「ダメ」が「武器」になった話

どうも、ダメ人間です🍊
みなさん、今日もネガティブしてますか?
ネガティブって辛いですよね。


過ぎた過去を悔やみ
先の見えない未来に不安を覚え
自己否定を繰り返す…
何を隠そう、僕もネガティブに苦しんだひとりです。 

そんな僕も今ではネガティブハッピー!←
20代で医療系国家資格を取得。
和風美人な彼女ができて最愛の妻に。
生まれた娘はカワイイの最高金賞。
30歳で家が建ちました。
僕がネガティブでなくなったわけではなく、ダメ人間でなくなったわけでもありません。


僕はネガティブと共存することで、ちょっとやそっとじゃ動じない鋼のネガティブになりました。
さらに付け加えるなら、ネガティブでいても辛くないだけではなく、自己否定を繰り返すことで「ダメ」が「武器」になりました。


今回はそんなお話です。




1.ネガティブとの共存。

ネガティブとの共存については、こちらの記事でご紹介していますので、ぜひご覧ください!

ネガティブを武器にするための大前提として、「ネガティブでいても辛くない状態」になること、「ネガティブでいても周囲に悪い影響がでない状態」を維持することが求められます。


望ましい順番としては
①ネガティブのデメリットをカバーする
②ネガティブのメリットを活用する

といったイメージですね。

当然ですが、順番を誤ったり、②ネガティブのメリットを活用するのみでは自分や周囲にダメージが蓄積され続けます。まさに両刃の剣。それどころか呪われた装備です。勇者も真っ青。魔王を倒すどころか序盤の村で行き倒れになります。実は僕がこの状態でした。ネガティブに振り回され、ネガティブに押し潰されそうになりながら、どんどん強くなる呪いのような力に飲み込まれそうになる日々。

妙なきっかけでネガティブを自分の力として発揮できるようになった後も、少なからずその状態は続きました。
けっきょく本当の意味でネガティブと共存できるようになったのは、ごく最近なんです。


2.ネガティブの目覚め。(小〜中学校)

僕がネガティブを自覚したのは小学校を卒業するくらいでしょうか。

それまでは
🍊「やだなあ、学校に行きたくないなあ。」
🍊「運動も勉強も苦手だし、嫌いだなあ。」
くらいの、ネガティブレベルで言えばヒヨッコでした。
かわいいものです。

親の仕事の都合で中学からは転校することになり、それまでの友達とは離れ離れ。住まいも人間関係もゼロからやり直し。
全く新しい環境で中学校生活がスタートするという、運動も勉強もできない子供にはちょっとハードルが高い状況で、僕のネガティブは開花します。

中学校に上がると、クラスメートの立ちふるまいや言葉遣いしかり、先輩後輩の上下関係しかり、小学校までよりもグッと大人に近い言動が求められます。
もともと小柄で幼い言動もあって、小学校まではクラスの弟キャラのような立ち位置に収まっていたのですが、新しい環境では元々の立ち位置なんて役に立ちません。

僕は周りのことを知らないし、相手も僕のことを知らない。
僕に人間関係への苦手意識を与えるには十分すぎる状況でした。

極めつけは、中学に入学して早々に腰の骨を痛めて1ヶ月ほど学校を欠席。勉強も部活も大幅な遅れです。
小学校のころの幼い言動そのままに、あれよあれよと進んでいく時間についていけず、いじられキャラに。
今思い返すと愛あるいじりだったクラスメートとのやりとりにも、環境に馴染みきれない僕は戸惑うばかりでした。

🍊「バカにされてる、からかわれてる!」
🍊「いじられてるほうが人間関係がうまくいく…」
という、感情と現実の狭間で、自分を下げておどけることがコミュニケーションの手段になっていきました。


3.加速するネガティブ。(高校)

高校でもいじられキャラを地で行き、運動や勉強、部活に人間関係など、中学校よりもさらに応用的な立ちふるまいが求められるようになります。

この頃には、いじられキャラが定着し、運動も勉強もできない僕はすっかり自己否定が習慣になっていました。
自分を下げてコミュニケーションをとることが当たり前になっていた僕は、その不健全さに気づきません。
自分で自分を傷つけてすり減っていることに自覚がなかったのです。

幸い部活の友人関係に恵まれていたことが、当時の僕には唯一の救いだったように思います。
クラスではどこか身の置き所がないように感じ、早く授業を終えて、部室に駆け込みたかったのを覚えています。

高校生活も中盤にさしかかり、卒業後の進路を決める際、僕にはあまり選択肢がありませんでした。
学力としては高いレベルの大学を目指せるわけでもなく、勉強のモチベーションを保つことができません。


🍊「僕なんかに何ができるんだろう…」
と自分を否定的にとらえており、将来の目標を定めかねていたのです。

僕は、腰の骨を痛めた経験もあり、「医療福祉系の仕事につく」という理由なら周囲にも“言い訳”が立つだろうと思い立ちます。
進学するにも就職するにも、それなりの理由=言い訳が必要と考えていたのです。

決して崇高な思いがあったわけではなく、自分に何かをなせると思っていたわけでもありません。
なんなら自分のモチベーションを保つために
🍊「僕は過去の経験をバネに、医療福祉の道を志す若者」
と言い聞かせていました。自己催眠です。(白目)

「医療福祉の道に進むなら、学ぶべきは理数系だろう。」と安直に選んだ専攻科目についていけず、成績はボロボロ。
親のはからいで家庭教師にお世話になり、なんとか受験対策を進めていましたが、結果として大学は落ち、現代文と面接で専門学校に合格しました。(←理数系どこいった)
余談ですが、当事の家庭教師の方には大変良くしていただき、その後も長らく交遊が続いています。

 

4.ネガティブの好転期。(専門学校)

勉強が身につかないのは専門学校でも同様で、入学1年目にして早々の留年。その頃は、大好きな祖父が末期の癌を患って最期を迎えたことも重なり、どん底の精神状態でした。

留年が決まり、退学か再スタートかの決断を迫られたとき、心配したのは両親の反応でした。両親に留年を告げると真っ先に言われたのは
👨👩「仕方ないね、私達の子どもだもの。学校続けるんでしょ?」
穏やかな両親の表情からは、諦めのような、優しさのような、親としても複雑な感情を抱えている様子が伺えました。

🍊「ああ、僕は期待されていないんだな…」
🍊「いや、ありのままの僕を受け止めてくれているのかも?」
🍊「親も息子の将来が不安だろうな…」
その時の両親の気持ちについて、明確な答えは見つかりませんでしたが、その表情には、そういった疑問への結論を先延ばしにさせてくれるような暖かさを感じた記憶があります。

🍊「辞めたところで自分にできることは何もない…」
🍊「やめたらもっと酷いことが待っているのでは…」
🍊「両親の言うように再スタートをするのが無難かも…」
決してポジティブとは言えない理由で学生生活が続くことになりました。

その時には、自分のダメなところを一通り数え終え、すでに失うものがないほどに、否定するものがないほどに、ネガティブを突きつめていたのです。


ーーーーー


皆さんは、お気づきでしょうか?
ここで奇妙なことが起こっています。
僕の思考は自己否定を繰り返すネガティブな状態でいるにも関わらず、僕が取っている選択肢は「再スタートする」という一見して前向きなものであること。

無事に国家資格を取得し、家庭を築き、幸せになった今だからこそ言えることではありますが、あの時の選択は確実に僕の人生の分岐点でした。ここが、ネガティブが僕の人生を好転させ始めた瞬間だったのです。


5.“後ろ向き” の “後ろ向き” は、 “前向き” 。

僕は、「退学する」という“後ろ向き”な選択肢に対して、「退学したらもっと酷いことが待っているんじゃないか?」という“後ろ向き”な疑念を投げかけています。


“後ろ向き”の状態で、さらに“後ろ向き”になると、それは“前向き”。この選択は、後ろ向きな理由であるものの、僕にとって確かに前進でした。

☆「ダメ」は「武器」になる。

さらに僕は自己否定を繰り返します。ただ「自分はダメ」という主観的な結果でとどめることはありません。

🍊「勉強がダメ」
🍊「運動がダメ」
🍊「コミュニケーションがダメ」

“ダメの追求”をやめませんでした。 
それは言わば自分の欠点を具体的に検証する作業
欠点が分かれば対策をねることに繋がります。
僕はダメ人間なので、その対策も十分なものではありませんが、どれだけ不十分な対策も、反復して自己否定=検証することで精度が増していきます。 

“ダメ”に対策をとれたなら、その延長線には、欠点を補うだけの工夫でなく、より強固な力に変える道標が見えてきます。その道標の先で、“ダメ”は“武器”に反転するのです。


☆客観的情報の整理と、中立な視点の追求。

また、僕は他人の顔色をうかがい、
🍊「腰を痛めて学校を休みがちだった」
🍊「転校して環境に馴染めなかった」
🍊「腰を痛めた経験から医療福祉系の道に…」

など様々な人に対して、あらゆる“言い訳”をそえることで、体裁を取り繕っていました。誰が見ても納得できる言い訳を模索するのは、客観的情報を整理する作業

また、他人の顔色をうかがうことは、様々な人の意見の中立を追求することにも繋がっていました。僕がどれだけ無能でも、できる限り多くの人の意見の中立をとることで、失敗の数は明らかに減少していきましたし、失敗してからのリカバリーの速さもどんどん向上していきました。


6.ネガティブが「ダメ」を「武器」に変える。

僕はネガティブを
🍊物事のマイナスの側面にフォーカスすること
🍊自分を傷つける危険があるもの
🍊周りを巻き込み悪影響を及ぼす危険があるもの

と定義します。

ネガティブにはそれと引き換えに
🍊物事に疑念を投げかけて問題を浮きぼりにする力
🍊自分を振り返り客観視しようとする力
🍊周りに大きく働きかける力

を得る可能性を秘めています。 

僕は、専門学校を留年して再スタートをきった後、試験・実習・人間関係など、日常の様々な場面で、以前とは違う感覚に気づき始めます。 

自己否定に苦しむ自分は確かに存在するものの、学校の成績は可もなく不可もない水準に近づき、家族・友人・先生等と柔軟にやりとりでき始めているのを感じていたのです。

なんとか国家試験に合格して社会人になってからは、ネガティブの力にどんどん磨きがかかりました。掘っても掘っても出てくる“自分のダメな所”“周りの出来事のマイナスの側面”に対して、手当たり次第に対策をとり、自分の武器へ変えていきます。

時は過ぎ、周囲の人達から一定の評価と信用を得るようになった頃、僕は確信します。
🍊「ネガティブは幸せになる力になり得る」
🍊「“ダメ”は“武器”に変えることができる」
こうして僕はネガティブの力により“ダメ”という“武器”を手に入れました。




ーーーーー 

僕がダメであればあるほど、ネガティブの力はより強く働き、次々と自分や身の回りの“ダメ”を探り当てます。
“ダメ”を見つけて対策をとるほどに、“武器”は増え、より強固なものになります。

しかし、冒頭で触れたようにそれは“呪われた力”

この“武器”は、着実に僕の精神をむしばんでいき、ついには心がボロボロになってしまいました。

7.ネガティブから心を守る方法。

心は動かず、頭は回らず、仕事は休職。
喜怒哀楽を感じることにすら辛さを感じる日々。
そんな僕に救いの手を差し伸べてくれたのは、家族・友人・当事の彼女(現在の妻)でした。

これまで偉そうに自分語りをしてきましたが、僕はやはりダメ人間。 ただひとつ誇れるものがあるとすれば、人のご縁に恵まれていたということです。 人に支えられ、人に導かれ、僕は再び立ち上がることができました。

ここ数年、本業としている仕事の一貫で、精神科患者さんの支援に携わる機会が増えました。そこで学んだのは「自分をありのまま受け止める」という考え方。

🍊欠点を“なくす”より、“補う”という視点。
🍊“強くなる”より、“弱ったときに立ち直る”という視点。
🍊ひとりで“自立”より、誰かと“共存”するという視点。
これらの考え方に触れ、僕はやっとネガティブな自分を、ありのまま受け止めることができました。

「ネガティブの力で、“ダメ”は“武器”になる。」
今もその考え方に変わりはありませんが、戦う相手は周りの人々や環境ではなく、自分自身でもありません。
他でもない“ネガティブな思考や感情”そのものです。

「もうダメだ」、そう思ったときは少しだけ立ち止まってみてください。工夫しだいであなたの欠点はいかようにも補うことができます。

あなたは本当にダメでしょうか?
あなたの周りに、手を差し伸べてくれる人はいませんか?

自分や周囲の環境を否定するその考えや感情こそ、疑いを向けるべき“呪い”かもしれません。

変わりたいのに変われない、ネガティブに苦しむ人達が、少しでも自分らしく幸せに近づくお手伝いをしたい。

あなたがひとりでいるのなら、僕はあなたに手を差し伸べたい。そう思っているヤスラカミカンです🍊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?