さとやまくらし@note

2017年に東京から「さとやま」へ家族3人で移住。地方移住のこと、さとやまのくらし、子…

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2017年に東京から「さとやま」へ家族3人で移住。地方移住のこと、さとやまのくらし、子育て、仕事や気づき、その他もろもろを、思いのままにつづっていこうと思います(^^

最近の記事

息子のこと

ここで、息子について、振り返りたいと思います。 息子は、都内の区立小学校に通っていました。1クラスに約30数名、学年は3クラスあり、1学年はおよそ100名弱の学年。 息子が小学5年生の夏休み前。 担任の先生との2者面談の時に、先生からの開口一番の言葉が 「〇〇君は勉強も普通に出来ているし、問題行動もないです。なので〇〇君のことは、あまりよく見れていません。もっと見てあげないといけない子がたくさんいるので・・・。」 学校の先生の多忙さは、想像できます。30人余りの小学

    • 家探し

      「決めました!息子の小学校進級に間に合うように、引越しします。」 家族会議の翌日、移住の先輩、支援をしてくださる方たちへ連絡をし、引越し先の家探しが始まりました。 市営住宅を借りるには、手続きなどに時間かかり、息子の進級のタイミングには間に合いそうもありません。 あとは、空き家で即入居できるところはないか?探して頂けることに。 実際、見学させて頂いた空き家は何件かありましたが、家の中には以前暮らしていた方の荷物がそのままあり、即入居できる状態ではありませんでした。

      • 家族会議

        「僕、ここに行きたい」 「じゃ、俺は東京に残る。二人で行ってくれ」 息子は昨日訪れた土地で、小学校に通う子供たちと会って 「ここならやっていけそう」と感じたとのこと。 私も夫も、土地の方たちと短いながらもお会いして、「人との縁」ができ、みなさん気さくで親切な方たちで、息子と同じように「ここなら・・・」という印象を持ちました。 だけど、気になるのは「仕事」 夫が今の仕事を辞めて、地方に3人で移住するのはリスクが高い。 そこで夫が提案したのは、自分は東京の仕事を続け

        • 初めての訪問

          東京の自宅から、待ち合わせをした場所までは、高速を利用して約3時間。土曜日の朝8時に自宅を出発しましたが、高速道路の入り口までの道のりも、下り方面へ向かう高速道路も大渋滞。予想はしていましたが、結局、待ち合わせの場所へ到着したのは1時間遅れとなってしまいました。 待ち合わせ場所は、移住セミナーで紹介されていた地域の子供たちが通う小学校の正門前。そこには電話でお話した方のほかに、移住希望者の支援をされている、地元の方たちも一緒でした。 そして、この小学校に通う子供たちも数人

          彼の地へ

          私たち夫婦は、結婚の際お互いに合意していたことの一つに 「持ち家はいらない」 という考えがありました。 私はもともと、一つの土地、家に縛られるのが嫌だったし、色々な土地、環境で暮らしてみたい、という願望もあったので、自宅を購入するより、毎月定額の家賃を払って家を借りる方が自分にはあってると思っていました。 夫は、自分の両親が借金をして購入した一戸建ての実家を、入居して数か月後に自分が誤って壁に穴をあけてしまった、という経験から、自分が大人になってやっと手に入れた新築の

          それぞれの転機

          私の転機の半年前、夫も転機を迎えていました。 子会社への出向。 夫は入社してから約20年、ほぼ毎日終電まで仕事をし、時には会社に泊まり、徹夜で仕事をすることもありました。 休日もほぼ半分は出勤していたし、自宅にいてもパソコンを立ち上げて、家で仕事をしていました。 年末年始や、お盆休みも、3日休みが取れたら良い方だったし、年末に急な仕事が入って、夫の実家へ急遽、私と息子の2人で帰省したこともありました。 以前、友人に夫の働き方の話をしたら、夫があまりにも家にいないので

          転機

          当時、私が勤務していた職場はとある団体を取りまとめている事務局本部。女性5人が同じフロアーで働いていました。 「口頭でのやりとりは、言った、言わないのトラブルが発生するので、今後、業務にかかわるすべてのやりとりは社内SNS(掲示板のようなシステム)で行い、すべての業務記録が残るようにしてください」 と、上司からお達しがあり、職場の女性たちは、業務中はほぼ言葉を発することなく、ひたすらパソコンに向かい業務連絡を打ち込むようになりました。 私には直接関係のない他者間の業務連

          予感

          当時、東京での暮らしは充実していました。 大自然への思いは、休みのたびに家族で出かけるキャンプで満たしていたし、「自分で畑を耕して育てた安全な野菜を、毎日食べたい」という思いは、近隣にある「体験農園」を始めたことで実現していました。体験農園は7年続けたので、野菜づくりにはそこそこの自信もつきました。 仕事もある。さして楽しい仕事でもなかったけど、自分のペースで続けられ、そこそこの稼ぎにもなり、嫌ではなかった。 友人にも恵まれていたし、都会には魅力的な商品、サービス、イベ

          note、はじめました。

          はじめまして。 みかんと申します。 2017年4月に、東京から長野県の「さとやま」に移住してきました。 都会で空を見上げると、ビルの隙間に見えるグレーの狭い空間。 これが、空? 青くて広い空に憧れて、いつかは田舎暮らしをしたいと思っていました。とはいえ、その願いが叶うのは定年後かなぁって思っていたのですが・・・ 転機は突然にやってきました。 そして、移住を決断してから2か月後には、私たち家族は「さとやま」で暮らし始めていました。 青く広い空。 白く雪を残した

          note、はじめました。