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「人との距離」の感覚をアップグレード

あ、なんかわかった、私。

今までの私の「人との距離感」は、ちょっと近かったんだ。

そうか、こういう感覚なんだね。

今は自分とも人とも少し距離を置いて、なんとなーく眺めてる感じ。

以前はさ、

「私はこう考えるけど、相手はこう。どうしようかな。自分が嫌なことはしたくないけど、相手にも嫌な気持ちを与えたくないし。どうしよう。もうヤダ。」

みたいな感じで、いつも心の中ではワタワタしてたんだよね。


私はこう。相手はこう。

そうなんだねーって、それで終わりで良かったみたい。

どうしよう?とかいらなかった。

そうやって眺めるくらいの距離感、やっとわかってきたよ。


そして、この感覚は今まで持ててなかったなぁ。

うん、きっと物理的に人と距離を置ける環境だったりすると、心の距離は近くてもヘーキだったから、必要性が今ほど感じなかったんだよね。

でも子どもとか職場とか、物理的に距離が近いところにいる人とは、心の距離が置けないとキツイじゃんね?


思えば高校の部活や実習とか、人との距離が十分に取れない場所でいつも私、壁にぶつかってた気がする。

だってさ、人との距離感とか考えたことなかったし、自分にとって心地よいスタンスとかもよくわかってなかった。

人との距離って大事なのに、言葉で学ぶ機会ってあんまりないもんね。

感覚で覚えていったり、コントロールしていくものだものね。


だけど、今までの自分の感覚を変えたいって思ったときは、一度自覚して、修正する必要がある。

一度こうって決まったパターンを脱するって難しいもの。

だから、今日はこのnoteで、今まで何度も向き合ってきた「人との距離感」について振り返ってみようと思う。

で、もう一度自分の頭の中を整理して、自分なりのスタンスをつかみたいな。


ずっとあった違和感に向き合う

フツーにさ、自分が育った家庭がどんなで、親との距離感ってどんなだったかなんて、なかなかわからないよね。

私だって、自分の家族、フツーでしょって思ってたし。

というか、フツーも何も、そういうものなんだって勝手に思い込んでたというか。


私は何度も人間関係でいろいろ悩んできたのに、私の根底にある考えや感覚とか、ずっと疑わないできちゃった。

でも私が生まれ育った家族との距離感を、そのまま生かして社会に出ると、それはすごく違和感だった。

何が変だから違和感なのかもわからなかったし、その違和感が何を意味してるのかも、ずっとわかってなかったの。


結婚して子どもが産まれて、なんか子育てが難しくて。

相談したら子どもたちの発達の凸凹や特性がハッキリした。

私はね、なにか自分の中の生きづらさもわかるんじゃないかって期待して、療育に通ったり、勉強したりしたの。

その中で、特性がある子どもに対する「丁寧な子育て」というものがどういうものなのかを知った。

私の困り感は特性と過剰適応からきてるってこともわかった。


それでね、人との距離感とか、子どもの困った行動に対する親の対応の選択の考え方とか、安心感の与え方とか、少しずつわかってきた。

意外だったのは、良くない行動には反応しない、ということ。

これがなかなか感覚的に難しくて。

それは自分の育った環境の影響なのかもって、少しずつ振り返ることができるようになってきた。

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育った家庭

私の父も母も、気になるとすぐに反応するタイプだった。

私って多分言いやすいタイプで、かなりいろいろと言われてきたと思う。

(次男がやっぱりそんなタイプで、普段あんまり言わない夫がガンガン言うの見てると、言いやすいタイプってあるんだろうなって思うのよね)


父や母には、あるときから言い返すようになったけど、正直いい気分じゃないし。

しかも言い返すと相手はもっと感情的になるしね。


だけど、自分の気持ちを正直に伝えること、それは私なりに自分を守るためだった。

だって言わなきゃ私のこと、わかってくれないし。

でもそうやって言ってきたことも、否定されてきたと思うよ。

まぁ、それも当たり前なのよね。

人は感情的になってると、冷静な判断も言葉を選ぶことも相手の気持ちを理解しながら話すことも、なかなかできないもの。


親はさ、子どもの問題行動を指摘して叱咤すればいいって思ってたんだと思うけど、それがどれだけ心にダメージを与えるか。

それが客観的にわかって、やっとね、私、子どものときってホントはつらかったんだなって、認められたんだよね。

そして、同時に自分の子どもたちにも同じようなこと、私はしてきたんだなぁ、と苦しくもなったりして。

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客観的に親のことを眺める時間

時々、父と母がうちにきて、孫と関わるのね。

言い方がキツいって思うし、言い始めると止まらない。

距離も近い。

グイグイくる。

それでいて、孫の気持ちに気づかない。


自分が言われているときには客観的には見られなかったけど、こうして第三者の立ち位置で見てるといろいろ気づくことが多いよね。

そうやって眺めながら、私は自分のことを振り返ってみる。

父も母も20歳過ぎたばかりで結婚して、2人で頑張って生活してきたんだし、母は保育士だったから子どもをちゃんと見てあげたいとか保育の知識を生かそうとか思って、一生懸命だったんだろうな。

そんな母の気持ちが伝わってくるから、私は素直に母の言うことを聞いてきたんだろうなぁ、と改めて思う。


でもね、私、子どもは親の言うことを素直に聞くものっていう教えを守り過ぎたなって思ったよね。

私には言えば聞くから、どんどん言うようになったんだと思うもの。

だけどね、うちの子たち、そんなふうに育ててないから、言ったって聞かないの、ごめんね。

だけどね、父も母も孫たちが言うことを聞かないから、どんどん言い方が強くなる、感情もかなり入ってる…ああ、これ、信頼関係が築けないパターンよ。


私はどうだったかな。

その強くなる言い方が嫌で、親から言われないために文句言われないようにやることを完璧にやるようにして、言われたときは逆ギレしてたと思う。

ああ、そこから完璧主義が生まれたかもしれないね。

親からの一方通行な関係では、親には大切なことを相談する気持ちにならなかったし、今だって表向きの付き合いでしかないよ。

親の気持ちはわかるけど、一定の距離を保ちたいと思ってる。


でもきっと、それはダメなことじゃなくて、大切なこと。

人との距離感って、大切に考えていいことなんだよね。

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人との距離を図れなかった経緯

子どもは、親からの自立の過程で、

「親はこう考えてるけど、自分は違うんだ!」

って思って、反抗したり、距離を置くようになったりして、大人になっていくんだと思うのね。

だけど、親から言われ続けてあまりにも当たり前になってることとか、親の考えをそのままそういうものだって思い込んじゃってるとか、そうじゃなきゃダメ!くらいまで強く感じてたりすると、ちょっと厄介だよね。

私はそっち。

ちょっと親に影響され過ぎてて。

というか、結構こうしなさいとか、これが常識とかうるさく言われてた気がする。

で、それが当たり前って、思い込み過ぎてて。

自分はどうしたいか、なんて聞いてもらったことは記憶にないなぁ。


だけどさ、その感覚で生きてたら、生きづらくて仕方なくて。

そこから脱するのには、新しい価値観で上書きするしかなかったよ。

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上手くいかない人間関係をもとに、自分と向き合う

私ね、自分の子どもとの距離感がうまく図れなかったことがいちばん苦しかったし、つらかったのね。

具体的には長男とは近付きたかったけど心を許してもらえなくて、次男とは近づいたらお互いに近過ぎてしんどくなっちゃった…みたいな感じかな。


この根本ってなんだろう?ってずっと自分に問いかけてた。

でもわかってたらそもそも苦労しないわけで。

その答えが「人との距離感」って視点で考えたら、納得いったのね。


以前からね、職場でも人間関係でいろいろあったの。

トラブルとして表面化はしなかったんだけど、自分だけで考えて苦しくなりやすかった。

そのときは自分の中の「人との距離」の感覚が原因って見方はできてなくて。

原因がわからなくても上手くいかない人とは関わらないことができたし、上司だとキツかったけど最終的には辞めることもできたから、そこまで問題にはならなかっただけ。

そう、なんとかやり過ごしただけだった。


でもさ、子どもとの関係はそうはいかないじゃない?

向き合うしかないよね。

いい機会をもらったんだと思って、とことん向き合うことにしたの。


それで、上手くいかないと思ったり、苦しいと感じたことから自分を深めてみることにしたんだよね。

仕事をセーブして、できた時間で自分と向き合うことにした。


ちょうど3年前くらいになるかな。

ブログやったり、ストレスクリアってセッションを受けたりして、ちょっと自信ついたところで起業の世界に足を突っ込んだりもしたなぁ。


ブログは自分を責めちゃったからどんどん苦しくなって、やめて。

ストレスクリアセッションはいろんな視点でひとつの物事を見る練習になったの。

だけど、リアルタイムでは思考の整理がしきれなくて、ワンサイクルが終了。

新しい感覚をつかめたのは収穫だった。


で、思い切って踏み込んだ起業の世界では、決めたことをやるのは問題なかったんだけど、マインドが全然ついてこないって実感したのよね。

ああ、私、今この機会にもっと自分と向き合わないと前に進まないんだって、わかったの。

で、結構お金かけたんだけど、丸ごと手放してみることにしたんだよね。

その世界を知ることができたから、自分を俯瞰できるようになったんだと思ったしね。

やっといろんなことを手放そうと思えたよ、自分と向き合うために。

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自分を応援するようになった経緯

そんなふうにね、いろいろ模索する中で、まずは自分を大切にすること、自分で自分を応援することの大切さにやっと目がいくようになったの。

ん?何がキッカケでそっちに目がいくようになったかって?

実はね、Facebookで私、自分の想いをかなり熱く語ってた時期があるんだけど、伝わる人には伝わるのよね。

必ず私を応援してくれるような人が現れて、つくコメントって応援してくれるような言葉ばっかりだったの。

ありがたいことよね、うん、とっても心強かった。

だけどさ、すごく違和感もあったの。

ああ、私の文章が応援させてるんだって。

頑張らなきゃっていう姿勢をババン!と見せてるもんだから、頑張って!って言ってくれるし、ちょっとしんどそうだと、頑張ってるの伝わってくるよって頭をポンポンしてくれたりする。

ああ、私、それが自分でできなかったことなんだ、それを自分でできたらいいんだなって、そんな経験から気づいたんだ。


そこからnoteを始めたの。

ちょうど1年前のこと。

自分で自分を応援する文章を書こうって決めて。

応援コメントがついたら、まだまだ自分で応援し足りないって分析して。

共感コメントや気づきのコメントが増えてきた後半は、自分への応援がだいぶ上手くなってきてるのかもって実感してるよ。


1年間、このnoteで自分の応援を続けてきたら、だいぶ自分のことがわかってきたし、自分を応援する感覚もつかめてきたと思う。

その中でいろいろ感じてきたことはあるんだけど、人との距離感でいうとね、私ってめちゃくちゃ自分や他人と近かったんだなー、だから周り見えなさすぎたんだなーって実感できた。

何年もかかったけど、やっと少しずつ実感できてきたよ。

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感覚が変化する

今はね、最初はそっけなさ過ぎない?って思ってた夫との距離感が、すごく心地よくなってきてる。

夫はさ、人との距離感、絶妙だと思う。

相手がグイッときたら、少し距離を置く感じが絶妙。

人と対峙してるときは相手が嫌な気持ちにならないように…と思い過ぎてて、つい相手にとって心地よく感じるように自分を演じてしまう私とは大違い。

ちゃんと自分を守ってるし、踏み込み過ぎないし。


最初は夫のこと、「そんなに反応しないで、心も開かないで、人とコミュニケーションなんてとれないじゃない?」って思ってた、正直ね。

だけど、開き過ぎてたのは私の方。

誰にでも開き過ぎてた私は、表向き誰とでも仲良くなれてたけど、いつだって心は苦しかったの。


誰とでも仲良くして、楽しいんだったらいいのよね、それで。

でも、私はそれが苦しく感じてた…そんな自分の気持ちをもっと大切にしてあげていればよかった。


今の職場では周りのスタッフがみんな年下で、リーダー的存在も10歳くらい下の男性なのね。

ちょっと私が心を開くと、そこを巧みに利用しようとしてきたり、バカにしてくるところがあって。

関係を作るのがすごく難しくて。

それは他のスタッフもそう思っていたみたいで、表向き話を合わせるけど、深くは関わらないスタンスで彼と接してて。

でもさ、私、彼の話もよくわかるところがあって、ちょっと同調しちゃったのよね。

あと、どんな人に対しても、つい応援したくなる私の悪いクセが出て、距離を縮めてしまったの、いつも通りに。

結局、私が苦しくなってしまった…ああ、またこのパターン。


気づいて考えて、行動を修正してみて、また気づきから考える。

苦しいことも多かったけど、noteのおかげで自分を応援するという軸がブレなかったから、以前よりは前向きに行動できたんだ。

そしてそんな自分も肯定的に捉えられるようになってきた。

バンザイ!

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今、見え隠れしてる私の感覚

なんとなく夫や子どもたちと、距離を少し置こうって思えてる。

私がやらなきゃ!とか、なかったんだって気づいたし。

私はもう少し自分のこと、考える時間を作ってもいいって思えたし。

人のこと、ああじゃない、こうじゃないって考えたって仕方ないし。

「私がどうありたいか」

「私が夫や子どもたちとどう過ごしたいか」

それをまずは大切にしていいのだし。

世間的にとか、社会的にとか、そういう視点が必要なこともあるけど、まずは自分にとっての心地よさを追求してみたっていいって思う。

やってみての自分の感覚、相手の動き、よくみて感じて決めたらいいんだと思う。


そうやって考えていくと、すぅーーっと相手を尊重する感覚が芽生えるから不思議。

多分自分を尊重してあげられてるからだよね。

だから、相手のスタンスも尊重しようっていう気になる。

それが大事なんだね。

私、ちょっと歯車がかみ合ってなかったのかもしれない。


自分の声に耳を傾けて、心地よいって感じる気持ちを大切にしよう。

私が心地よいで満たされるスタンスをもう少し模索してみよう。

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