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ひといちばい敏感な親たち:HSPである親の子育ての困り感

こんにちは、HSS型HSPっぽいみかんです。

そんな私の子育てのヒントになりそうだ!と思って、先日この本を注文しちゃいました!!

明日届く予定ですが、このワクワクと買うに至った理由をここにまとめようと思います。

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HSS型HSPとADHD

このnoteでは私は自分のことをADHDと言ったり、HSS型のHSPと言ったりしています。

違い、よくわかっていません。

どちらもチェックするとすっごく当てはまるし。

ただ、自分の特性に困り、生活上助けてもらいたいと思うのであれば、医療サービスを受けるためにはADHDと診断されないと難しいし、そうでなくて自分を知りたい、理解したい、対策したいのであればどっちでもいいのかな、と思ったりします。

どっちの考えと付き合い方が自分に合うか、どっちの仲間といると居心地よくいられるかとかそういうのが大切かな、なんて思っています。

あくまでも私の感覚ね!

ちなみに、ネットで違いを検索したら、こんな文章に出会いました↓


大人の場合、HSS(刺激追求型)がADHDと間違えられる可能性があるのでは、と私は思っています。そして当然、HSPでありながらHSSの人もいる。
 私は、HSPかADHDがどうかを判断する時、その人が静かな場所で集中していられるかどうかを、最も重要な判断基準にしています。ほとんどのADHDは、静かな場所で集中していることが難しく、むしろすこしくらい雑音があったほうが集中できるかもしれません。それに対しHSPは、静かな場所で、神経が高ぶっていないときに、もっとも優れた集中力を発揮する。ですから、HSPにたいしてもっとも大切なトリートメントは、刺激や、それ以外の神経の高ぶり・ストレスの原因となるものを減らしてあげることになります。


この考えをそのまま受け取るとしたら、私はHSPなんです。

ひとりでいるときには静かな空間を好みます

テレビも音楽もつけずに、静かな時間を過ごすことが好きです。

むしろそうでないと気が散って仕方がないので。

そして、付き合う仲間は割と刺激の少ないタイプの人が多いです。

静かに話す人、穏やかな人、あまり表情や動きが少ない人、声が大きすぎない人。

夫もそうです。

私の母はとても刺激的な人なので、一緒にいると疲れます。

一緒に生活していた時は自覚なかったけれど、母の話すこと、話し方、全てが刺激的で、つい返す言葉が強くなってしまうことが多かったです。


今は5人家族で、仕事もしているので、刺激的な毎日。

時々クールダウンみたいな感じで、刺激のない時間を過ごさないと自分を保っていられなくなる感覚があります。

自覚がなかった時はナチュラルハイな毎日を過ごしていました。

ハイだから疲れてバタンキューで寝ちゃうことも多いのだけれど、刺激が強過ぎて冷めずに眠れないことも多かった気がしますね。

そして、私はナチュラルハイな自分が苦手だったし、違和感が強かったです。


また、刺激を求めてしまう時は、自分を責めている時が多いです。

こんな自分ではダメだ!という気持ちが強まると勉強会に出かけたくなったり、人との出会いを求めたり、新しい刺激を求めます。

そういえば…このままの自分でもいいよね!って肯定できるようになってきたら、そんな気持ちも落ち着いてきた気がしますね。

本音はひとり静かに想いに浸ったり、好きな世界に没頭したりするのが好きだと思います。(そういうタイプには全く見えないみたいだけれど)

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ひといちばい敏感な子どもたちを育てるには

発達障害の診断がある長男と次男ですが、長男はHSC、次男は刺激追求型のHSCともいえると感じています。

部分的には2人ともASDで対応した方がいいこともあるし、次男はADHDに対応した方がスムーズなこともあります。

でもそれだけではなくて、HSCと考えて対応した方がいいこともあります。

特に、人の気持ちへの敏感な感覚への対応はHSCで考えた方が対応しやすいです。

音がうるさい、人の多さが気になる、というような感覚過敏には環境調整かな、と思うのですが、人の気持ちに敏感な場合はそれとはちょっと違っていて、気持ちの代弁や共感、相手と自分の気持ちの折り合い地点を考えるなど心へのフォローが大事だと思うから。

発達障害があると人の気持ちに気が付きにくかったり、考えが及ばなかったり、想いをはせられなかったりするというけれど、フォーカスできたら理解できるとか、言葉にしたら次からはわかったりとか、時間が必要だったりとか、苦手なのは部分的だったりして、結構グレーじゃないかって思っているんです。

(興味がないって場合もある。興味が出てくるタイミングも様々)

我が子にはそういう部分もあれば、フォーカスした人の気持ちにとても敏感になってしまう部分もあって、私自身もそんな感じで、自分の気持ちの把握や何をどう感じてこうなったのかの分析ってややこしくて・・・。

我が子は〇〇〇!とひとつに決めつけるわけじゃなく、ひとつひとつの状態で一番近いものに合わせて考える、みたいな考え方を最近ではしているので、余計に私が混乱しているのかなぁ。


さて、自分の子どもが敏感なタイプだ!と感じたら「ひといちばい敏感な子どもたち」に接するコツを知りたいと思いますよね。

なので、そういった本を買って読んでいました。

HSCといえば明橋先生でしょうか。

明橋先生の言葉は温かくて、心に響きますよね。

以前、オンラインでの講演をされていたので、生のお声や話し方、言葉の選び方を実際にお聴きして、私は好きだなぁと感じました。

穏やかで、思いやりのある言葉選びをしている人、という印象です。


ただ、読んでいて新しい発見はなく、むしろ「そうそう、わかるわかる」という感じ。

わかってもらえる安心感はとってもあったし、やっぱりそういう感覚なんだよねって、そこ否定したら悲しいよねって、私の感覚を認めてもらえた感じが強かったです。

でも子育てにおいては、わかり過ぎるがために私の方がつらくなってしまうことの方が多くて、それを解消するような考え方に出会えなかったんですよ。

子どもはとっても敏感で、「そうそうわかるよ、イヤだよね。」と私は理解してあげられるけれど、学校に行けば周りの人間がみんなそう考えてくれるわけではないし、そんな中で傷つきながら生活することの心の負担は私の実感にあることで。

目の前で傷ついたり、しんどくなっている子どもについ同調してしまい、私までつらくなってしまう(当時の記憶が呼び起こされる)。

そんな敏感で同調しやすい親の気持ちまでフォローしてくれる本、ないよねぇ。


私は子どもの療育センターに通いながら少しずつ気づいたのが、そういう「私の困り感」でした。

ADHD特性による困り感もあったけれど、それは仕事と育児、家事の両立におけるキャパの問題であることが多かったんですね。

子どもと接するときの困り感はどちらかというと私の敏感さ故の問題

ビシッと言って様子見てもいい状態のときや自分で何とかするのを見守っていいときでも、子どもの気持ちが伝わってきてしまうことで親としての行動がなかなかできなかったという自覚があります。

それって何?って考えると、例えばビシって言ったときの気持ちが自分の経験から呼び起こされてしまい、自分がつらくなってしまうから言えなくなる・・・そんな感じです。

子どもじゃなくて私の問題

子どもと自分を切り離せない問題と自分の子どものときの「つらかったよーー」って気持ちが実はいっぱい潜んでいて親になりきれない問題。

私はそこから早く卒業したかったので、ここ何年も自分と向き合う時間を大切にしています。

そう、ひといちばい敏感な子どもを育てるには、ひといちばい敏感な親はその敏感な自分と向き合うことが大切

そして敏感さ故にうまくいかない子育てのことを、もう少し自覚して工夫しながら親も子もしんどくならないようにしたい

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もうすぐ届く「ひといちばい敏感な親たち」に期待すること

不登校や対人関係、学習、発達障害など子どもが困っていることに寄り添い、対処法などを教えてくれる本ってたくさんあるけれど、それに付随する親の気持ちの問題にダイレクトに切り込んでくれる本ってあるのかしら。

(オススメとかあったら教えてください)

まさにこのテーマ!と思えた「ひといちばい敏感な親たち」という本。

この本を読むことで得たい感覚は「そっかーー、私の中のそういう感覚を大切にしてあげられたら、もう少し楽になるのね。」です。              

そして、子育てにおける自分の感覚と子どもの気持ちをどちらも大切にしながら親業をするための自分なりのスタンスを考えるヒントになったらいいと思っています。

また読んだ後の感想を記事にするので、遊びに来てくださいねー!!




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