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過去を手放して、ありのままの自分を満たす

「自分をそのままでいいって満たせてない親の子どもは、大抵同じように自分を満たせないで育つ」

という内容のブログを読んだ。

正直、衝撃的で、でも確かにそうなのかもとどこかで納得した自分がいた。


そんなときにできることは、自分のことを満たせられるように育ててもらえなかった自分の運命に落ち込むのではないよね。

その運命を受け入れ、今できることを積み重ねていくことだと思う。

でもさ、言葉にしたら一言だけど、めちゃくちゃ難しい。

しかも時間がかかるし、その間って自覚があるからめちゃくちゃ焦る。

今の自分はまだまだダメだってつい思っちゃうし、負のループ。

自然と満たされるような育てられ方をした人には必要のない時間を、私はたくさん浪費してるんだなってため息だって出るんだよね。

こんなにも葛藤してるのに、スタート地点になかなか立てないという現実に、やるせない気持ちにだってなるしね。


思えば満たされないことが今までの苦悩の起因だったんだなぁって、いろいろとつながってきてるから、自分を満たすことは丁寧にしたいし、大切な時間にしたい。

うまくいかなかった現実が問題じゃなくて、そのときにちゃんと自分を応援したりナデナデしたりケアをしようとしてこられなかった自分の問題なんだものね。

それができたら現実は一気に変わると思う。

最近、その感覚に足を突っ込んでいて、あ!そういうことか!という感覚が何度も押し寄せてるから。

多分、いくつか読んでる心を扱ったメルマガやブログで言いたいことってそういうことなんだろうなって、やっと根本を理解した気がしてる。

あともう少し。


そういう完全に精神論というか、感情や気持ちを言葉にして整理する記事。


心が満たされていたら何が違う?

心が満たされていたら、最優先事項が「誰かのため、社会的に」じゃなくて、どんなときでもまずは「自分をちゃんと守れること」を選択できるんじゃないかな、と思う。

それって、赤ちゃんのときは親がしてくれて、こうやって自分を守っていったらいいんだなっていう経験が、徐々に自分でできるようになっていくんだよね。

でも赤ちゃんや小さな子どものとき、十分に親に守ってもらえなかった、もしくは守ってもらえてる感覚を得られなかったら、その子はどうなるか。


自分への意識が強いタイプは自分で守るしかないって思うみたい。

夫や長男がそうかな。

人と同じとか、周りに合わせるとか、みんなが笑顔がいいとか、そういうのを最優先しないタイプ。

自分が楽しいとか自分はこうしたい、を生まれながらに優先できるタイプで、周りに媚びず、必要ないと思えば親の存在さえシャットアウトできる強さを持ってる。

夫は小学生のときから親をシャットアウトしてきたっていうしね。

このタイプはどちらかというと、周りからシャットアウトすることで自分を守るから、うちにこもりやすいと思うけど、自分の気持ちや意志はちゃんと尊重できるの。

すごいなーって思う。

ただ、ちゃんと自分を尊重できるタイプの中に2パターンあって、感覚や価値観が多数派なのと少数派なのに分かれてると思う。

多数派に属していれば特に問題なく、そこまで悩むこともなく生活できちゃうんだろうと思う。

夫や長男は少数派の感覚や価値観を持っているから、社会にはなじみにくくて、苦労が多いと感じる。

でもね、ちゃんと長男は学校に行かない選択ができるからね。

スゴイよね。

私、不登校になる子たちの中には学校教育が本気で合わないタイプもいて、学校に行かない方が成長する子たちもいるんだって長男見てて実感したよね。

このタイプは学校行かせたらメンタル壊れちゃうよ。

そういう子は、割り切って部分的な学校との関わりで十分(検診とか身体測定とか)で。

学校で合わせることを強要すると、親子関係は破滅、何かのきっかけで引きこもっちゃうんじゃないかと思う。

本当に必要なのは自分が心地よくいられる場所や無理なく活動できる場所。

そこを見つけていけたら、のびのびできるんじゃないかな。

だからこの「自分を尊重できるけど、少数派」なタイプは、理解ある環境や人がキーポイントで、自分と向き合うよりは環境の選択が大事な気がする。

夫は私に心を開くまで、10年くらい時間がかかっているし、長男も産まれて8年目でやっと私と話ができるようになったものね。

人に心を開くことがこんなにも大変なのは、いろんなことを敏感に感じていることと、世の中のことをよくわかってるからなんだと思う。

わかり過ぎているからこそのつらさだよね。


一方で、私は人と同じとか、周りに合わせるとか、みんなが笑顔がいいとか、そういうのを優先するタイプ。

さっきのタイプの「人の目が気になる」は評価されてることよりも、自分に危害を加えてこないかというリスク回避の意味合いが大きいのに対して、

私みたいなこのタイプは嫌われないか、ダメだと思われてないかが気になるタイプじゃないかと思う。

周りの環境や人に振り回されやすく、うまく適応しようとして過剰適応からしんどくなりやすい。

自分よりも周りが気になるし、つい合わせてしまうから無意識に他人軸に傾きやすいのよね。

このタイプは周りや状況を考えるよりも、自分と向き合う方がバランスが取れやすいと思う。

だけどさ、なかなか自分に意識が向かないのよね、日々の生活の刺激が強過ぎてさ。

で、つい合わせちゃうから例えば親がコントロールしやすいし、親の言いなりになりやすいのよね。

社会でも強いタイプの人に振り回されやすくなる。

そんな中では、なかなか自分を育てられなくて。

親が精神的に自立している人、待てる人、人との関係を築くのが上手な人ならいいのだけど、多くはお互いに影響し合って、癒着しやすいんじゃないかしら。

何かをキッカケに、親が自立するか、子どもが気づいて自立するかが必要で、気づかず子育てに苦しんでしまう人の方が多いんじゃないかと思う。

私もそう。

子育てってこんなに苦しくないんだって、自分育てが上手くいってる人って。

みんな苦しいのかと思ってたのに。

私は子どもたちがみんな特性持ってるから大変なのかと思ってたけど、その話を聞いてからは、ああ、私が自分のことを満たせてなかったり、そのままを受け入れられてないから苦しいのか、なんて、ちょっと視点が変わったよね。

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私と向き合うと?

私のように周りに合わせちゃうタイプにも多数派と少数派のパターンが存在すると思う。

私は少数派に自分が位置しているような感覚で生きてきたけど、少数派よりの多数派、あたりの位置づけじゃないかって、最近では自覚してる。

多数派よりも少数派の人といる方が心地よいから。

でも少数派の人の感覚にはなりきれないというか、少数派の夫や長男、次男、三男を見てると、ああ、私にはその感覚はないかも、と思ったりする。


うーーん、でもさ、厳密的には何とも言えないよね。

だって多数派に合わせて生活してきたし、それが当たり前だったし。

自分が本当はどっちかわからないくらいに自分を偽って今の自分があるような気がするし、元々そこまで自分が強い人じゃないのかもしれないしさ。

どんな自分だって、心地よいと思える環境や人の中で過ごせたら、それでいいというか。

こだわりとか全然ない。

人の笑顔とあったかい空間が好き。

物事の出来不出来でピリピリ、イライラしてる人とかが苦手。

一昔前の私がまさにそうだったのだけど、それは社会に影響され過ぎたが故の姿だったのだと思うし。

穏やかな時間を心許せる人たちと過ごすこと、これが私の幸せ。


合わせちゃうタイプで、少数派な人はめちゃくちゃつらいし、生きづらいと思う。

そういうタイプは自分と向き合って、少数派を自覚して、そのままの自分を尊重して少数派として生きていく覚悟をすると楽になるのかなって思う。

うーーん、そう考えると私も少数派なのかも?

その自覚がないだけで?

ここの判断が難しいのよね。

例えば、次男は周りに合わせちゃうタイプで少数派なのね。

学校では、帽子をかぶってマスクしていないといられなかったり、注目されたくない人で、以前は離席も多くて。

だけどクラスの人気者でもある。

パッと見はひょうきんで面白い性格だし、ムードメーカーな側面もあるしね。

私はそこまで輪の中にいようとは思わないしなぁ。

体育会系に分類されやすいけど、文系の友だちが多いって感じ。

動くの好きだけど、落ち着く人と穏やかに過ごしたいの。

騒ぎたくないの。

でも騒いでる中にいるとひといちばい騒いでるっていう。

影響されやすいってことか。

ホントの自分は?


なんかわからなくなってきたなぁ。

長年、周りからの評価とうまくやっていくことばっかり考えてきたからなぁ。

嫌われるの怖いし、あの人ちょっとねって思われるのもイヤで。

今だってやらかしてないかなーって思うしね。


でもね、人が好き。

仕事でいろんな人と出会えるのが心地よい。

めちゃくちゃクセのある人もたくさんいるけど、その人間くささがツボで、いいなぁって思う。

人にはそこまで寛大なのに、なんで自分にはできないんだろうなぁ、不思議。

やっぱりね、親からの扱われ方っていうのが感覚的にあるからかもしれないね。

ジャッジやコントロール主体だったとしたら、それが身についちゃってて、なかなか抜けないのよね。

他人は私がしたことに対する反応があるから、そこに柔軟に合わせていけるんだけど、自分に対してはジャッジやコントロールが当たり前になっちゃってるから受け入れちゃうというか。


そっか!

ジャッジやコントロールをイヤだ!って声あげていいんだ。

自分で自分をジャッジしたりコントロールしようとしたりすることに対してもそうだし、誰かが自分をそう扱ってきたときにもそうしていいんだよね。

あーー、私、そう思うと外ではそんな感じかもしれないな。

他人から言われたらちゃんとヤダッて言ってるか、態度で示してるか、無視してるわ。

それなのに、親と同じような存在(言うことを聞かなきゃいけない気がする相手、上司)と自分にはそれができないんだ。

やーー。

それは早々と手放したいな。


言うことを聞くいいこちゃんからの卒業かーー。

無難で楽なんだよね。

ま、それはさ、表向きはそれを残しておくとして、心を別にする、で解決できそうな気がしない?

真に受けないってやつよね。

あーーーー、そう考えるのねって受けとめるだけで、受け入れないってやつ。

いいこちゃんな自分の声にも、

あーーー、いいこちゃんでいたい不安な私はそう思うのかぁ、うんうん。

で、いい。

でも、私はこうしたいんだよね、と。

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私の気持ちを言葉に

ここで、ちょっと仕事の話を。

仕事での感覚ってすごく分かりやすいから、整理もしやすいかもって思って。


私は、仕事では目の前の患者さんの気持ちや想いを応援したいし、一緒に過ごす時間を楽しみたいと強く思ってる。

もちろん、そうできない状況もあるし、優先順位もあるし、いろいろ決まりとかもあるけどさ、状況が許す限りはそういう中で楽しみたいと思ってる。

それがあるから仕事を続けられているんだし、治療技術もみがいてきたんだもの。


ただ職場の人間とうまくいかなかった経験から、そこにめちゃくちゃ臆病になってるところがあった。

でも、昨日、職員の人間らしさを垣間見て、ちょっと落ち着いたんだ。

ま、そうよね。

いろんな人がいるし、いろんな状況があるよね。

それに惑わされずに、私は私が実現したいことにコツコツ努力を続けていけばいいのよね。


あのね、人が障害や機能低下をした、もしくはしていく体とうまく付き合っていくことを一緒に考えていきたいっていう気持ちが強いんだよね。

原因を評価して、できることを実践しつつ、どんなふうに付き合っていったらいいのかを一緒に考えていく。

私にできることは、身体機能を評価して、機能や能力に合った生活や機能アップできる部分をサポートしていくことだもの。

そういう感覚、考えが私の根底にはある。

それは特性がある子どもの子育てにも通じるものがある。


ああ、なんだ。

とりあえずそれだけでいいじゃん、今は。

仕事も子育ても、あんまりいろいろ背負わないこと。

そのためのパート勤務なんだし。


そして、自分。

もっと自分の声をたくさん聞いてあげたいね。

私、めちゃくちゃいい子になろうとしてきたんだもん。

で、いい子でいなくていい人に出会えて結婚したんだから、楽しい人生にしようよ。

太っても

「おっぱいデカくなったんだからいいんじゃん!ってオレがだけど。」

って笑ってくれるしね。


で、穏やかで心地よい毎日を送りたいんだから、おうちの環境を整えるために、いろいろ考える時間をつくっていいよね。

いい子でいようと頑張った過去の自分を手放して、頑張った功績や頑張るために必要だったものは全部捨てちゃお。

今の自分でできないことは、もっと頑張る!じゃなくて、やめたっていいじゃないね?

手放してもやっぱりやりたかったら、そのときは新しい知識を身につける方がいいし。

だから、いろいろ詰まってる屋根裏とか、なんかのときに必要そうなものは全部手放しちゃえ!

↑ホントは手放したくて仕方ない。

「なんかのとき」がきたとき、そのときの自分に必要なものを考えたらいいもん。


40歳で迎える新しい年には、もう少し身軽な自分でいたいものね!

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